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啄木鳥の詩

里山の自然と山野草・高山植物、低山歩きと野鳥観察

妙義山「中間道」を歩いた

2011-11-15 09:04:19 | 低山歩き

高校時代の仲間と“飲み終わった”のは前夜11時半頃だった。4人は朝8時からのゴルフ。私は妙義山を歩くため、7時半過ぎに彼等と分かれた。下手なゴルフに未練は無いが、独りになると少し寂しい。物語山か妙義かのどちらに登るかは前日まで決めていなかったが、ホテルの窓の正面に聳える妙義を見て、歩きたいと思った。

高さは無いがそれだけに異様な形をした岩場の連続が里からも望める。かなり厳しい鎖場の存在などが知られるだけに、技術の未熟な私はこの山に登りたいとは思わなかった。ただ、山頂の連続を避けて中腹を歩く「中間道」があることは知っており、いつか歩こうと思っていた。

ガイド本の通りに、中之岳神社から石門群を通過して、妙義神社に下るコースを予定していた。歩く距離で4-5キロ。駐車場まで車道を戻る。これが嫌だった。登山道の登りは急だが“妙義神社から登り、ピークの大砲岩まで往復しよう”と予定を変えた。

心地よい登り。第一、第2の見晴台まであっという間に過ぎる。関東ふれあいの道に登録されている歩きやすい道を進むと“本読みの僧”(中間点)がある。お地蔵さんなのか何なのか良く判らない。植物はもう枯れているが、紅葉しかかった広葉樹林が美しい。妙義の山ノ岩肌もところどころで目に入ってくる。


東屋があり、ここを下った辺りから道は険しくなる。長いハシゴによる狭い尾根の登り、迫り出した岩盤の下をくぐる場所、岩だらけの沢を越すなど単純な迂回道ではない。

目的とした「大砲岩」の取り付きに着くと人がいっぱい。中ノ岳神社から石門群まわりで登って来た(約40分かかる)人が溢れている。鎖2箇所を伝って大砲岩まで来ると静かになった。ここまで2時間ほど。

大砲岩には15分ほどとどまり、中ノ岳には下りず、来た道を予定通り引き返した。途中の静かな林の中で天ぷらそばとパン1個、コーヒーの昼食を楽しんだ。“ふれあいの道”だが、登山道はなかなか大変。下りが多い帰路で初めて気付いた。



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「石尊山」

2011-11-10 11:38:57 | 低山歩き

「石尊山」(1668メートル)は浅間山の南西に伸びる裾野にあり、山頂からは豪快で雄大な浅間の山頂が目の前に望める。寄生火山と呼ぶのだそうだ。

単独でユッタリと歩くのが私の山歩きだが、日の暮れるのが早い晩秋になってくると1人では寂しい。山の楽しみを教えてもらったHさんの友人で、ここ3、4回同行していただいているAさん荷声を掛けていただいて、高崎ハイキングクラブのNさん、Sさん3人の山行に加えていただいた。N,Sさんはクラブの例会の下見登山だと言う。名だたる山々を歩いてきたベテランに気後れするが、息が切れても“会話のある山登り”も楽しいものがある。

国道18号で軽井沢を過ぎた追分宿が登山口。下見登山が目的のため、複数台の駐車スペースを探して回り込む。数百メートル北の林道脇に何台か駐車できるスペースがあり、ここから歩き出す。カラマツ、アカマツが植林されたほぼ平坦な緩い登りを30分ほど歩く。

作業車専用の林道を2回ほど横切ると赤滝入り口。ここから本格的な山道となるが、まだユッタリとした登り。赤滝は鉄分の多い酸性の水が酸化し赤っぽく見えるのでそう呼ばれているようだ。更に進んで“血の池”と呼ばれる小さな池がある場所で、直登するコースと源泉コースが分岐。直登コースを行くが、ここからはきついほどではないが急登となる。この辺は広葉樹林だが木の葉は全て落葉済み。樹林越しに浅間の姿が微かに望める。

2時間45分ほどで山頂に着いた。目の前(北)に浅間山が広がる。東ー南方面に大展望。富士山や八ヶ岳は見えなかったが、妙義や西上州の山並みなど見事だった。軽井沢の人工雪スキー場では降雪作業が進んでいるらしく、白い雪がコースの部分だけ際立っており異様。風も無くユッタリと1時間以上食事と休憩。

下りは、源泉コース。目印のテープをポイントごとにつけるなど、山の会の皆さんが安全に最新の注意を払っている様子が伺えた。70歳を越えた?と思えるNさんの力強い歩きにも感服!
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「諏訪山」

2011-11-03 13:53:41 | 低山歩き

「諏訪山」(1207メートル)は群馬県南西部、埼玉県との県境にある静かな山。山頂付近の広葉樹は紅葉して見事。南側にそびえる両神山が厳しい山容で迫ってきた。

藤岡から神流川沿いに遡り、神流町(旧・中里村)から志賀坂トンネル(秩父方面)に左折。恐竜の足跡を売り物にする場所、小さな集落を抜けたところに“谷コース”での登山口。この近くに車を止めるが、車道をトンネル方面に20分ほどノンビリと歩く。トンネル手前にも登山口があり、ここから登る。

同行のAさんは今回で4回目とか。私もかなり昔に登ったことがあるが殆ど記憶は無くなっている。紅葉が始まりかけた広葉樹林、植林された檜や杉の針葉樹林を快調に抜けると埼玉県との県境尾根。東に二子山、樹林越しの後方に叶山が岩肌を見せていた。好天に加えて急登もあり、汗がじんわりと出てきた。

県境尾根の埼玉県側ではヒノキ林の伐採が進んでいた。そのため、南側に両神山が厳しい山容をくっきりと浮かび上がらせていた。8年ほど前に登ったが“あんなに厳しい山だったろうか”と思う程だった。山頂には小さな祠が祭られている。両神を眺めながら、ユッタリと昼食をとった。片道で約2時間。

帰路は車を停めた間物(集落の呼称)登山口を目指す周回コース。山頂付近は紅葉の盛り。西上州の山々の遠望と紅葉を愛でながらゆっくりと降りた。
写真は両神山方面の展望。

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「涸沢」の紅葉/10月9日

2011-10-30 09:30:40 | 低山歩き

岐阜に住む友人のO氏から「紅葉の涸沢」の写真が届いた。憧れの北アルプス登山への拠点で、紅葉の名所。この秋に入ってからもテレビの中継で2回ほど見た。残念ながら私は、涸沢はおろか上高地までしか行った経験が無い。穂高の山にここ数年のうちに“チャンスがあれば”と思っている。が、何が何でもという訳ではない。どうなるか・・・。

O氏は学生時代からの友人。卒業後は年賀状付き合い程度だったが、還暦を過ぎた後に山を通じて旧交が復活。仕事で群馬に来た彼と尾瀬を歩き、私にとっては初めての3000メートルの南アルプスの山を2年連続で案内してもらった。年に1回のイベントだが体力の続く限り、愛知のK氏や岐阜の2人のO氏の3人組にくっついて歩きたいと思っている。

涸沢の写真を撮った日が10月9日と記されていた。もう、標高1600メートル前後の群馬の山でさえ、稜線付近の木々は葉を落としている。涸沢はもう初雪のころだろう。写真を見ても、尖っているのは槍ヶ岳?どれが前穂?奥穂ー何が何だか判らない。好天の日に群馬の山の山頂から見える槍ヶ岳の姿は直ぐ判るのだが・・。とにかく美しい風景だ。行った人にしか味わえない・・・・。

昨晩テレビ(BS)で放送していた東北の山々、北アルプスの山々などまだ登ってみたいところは多い。もう少し早く山の魅力に気付けば良かったという思いと、まだまだこれからと言う思いが交錯している。



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霧積温泉から「鼻曲山」

2011-10-27 09:07:02 | 低山歩き

私としては珍しく、4人での山歩きとなった。友人を通じ何回か山井行経験のあるAさんから誘っていただき、初対面のKさん・Nさんの3人のグループに加えていただいた。1人では味わえない、紅葉を愛でながらの愉快な山歩き。剣が峰の頂きではイノシシが歓迎?してくれた。

「鼻曲山」(1655メートル)は今回が4回目。山歩きを始めた頃に友人と霧積から。会社の同僚と二度上峠から。昨年は1人で、軽井沢の熊野神社から留夫山経由。霧積温泉のスタートは7時半。先頭をマイペースでゆっくりと歩かせてもらう。普段と違いペースがつかめない。金湯館のある分岐で先頭を交代してもらった。

途中に16曲峠に0・2キロの標識。右に分岐するように見える。かなり進むが16曲がりらしきものは無い。地図で確認し、間違って進んでいることを確認したが、時間に余裕があり「剣が峰」(1430メートル)まで往復する。山頂の一角ではイノシシに出会うと言う幸運?だった。花は咲いていないが、紅葉が見事。往復で1時間30分ほど。



16曲分岐に戻り、紅葉が進んだ緩やかな登山道を歩く。小さなピークを2つほど越す。時折、浅間山や妙義の岩山など見え隠れする。鼻曲山の鼻の部分(岩)が近くなるに従って急登となる。

山頂は、東ー南側に展望が広がる。高崎の市街地から西上州の山々。他の登山道を登って来た人もいたようで、山頂は意外に賑わっていた。冷たい北風が強く、西側の浅間山の大展望が広がるところに移動し、風を避けて昼食。八ヶ岳連邦も雲の上から顔を出していた。

ゆっくりと休んで山々を眺めたが、途中で登って来た「剣が峰」の場所について、私が主張したピークは間違い。Kさんの説が正しいようだ。かつて私が登った剣が峰は“角落山”で、剣が峰は2回目となった。午後の3時半ころに登山口の霧積館に到着。歩行時間で7j巻ほどの快適な山行だった。下の写真は剣が峰の山頂。樹林越しに浅間隠し山が望める。








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「尼ヶ禿山」とブナ平

2011-10-23 09:12:36 | 低山歩き

尼ヶ禿山(アマガハゲヤマ=1466メートル)とは妙な名だが“雪が積もると禿た状態”に見えることからこの名がついているようだ。友人と紅葉を愛でながら歩いた。玉原高原は沼田市の北西にあり、天狗のお寺「迦葉山」の更に奥。スキー場のほか、夏場のラベンダーパークが少し人気。純揚水式ダムとしては世界最大級という「玉原湖」(東京電力)や周囲4・3キロと小型ながら、植物の種類が豊富な「玉原湿原」、大好きなサンカヨウが自生する「鹿俣山」(1637メートル)などあり、年に何回か訪ねるところ。今年は3回目。尼ヶ禿山は4,5年前に鹿俣から縦走して以来2回目。

1人歩きが多い私の低山歩きだが、この日は高校時代からの友人と一緒。センターハウス前→ブナ平→玉原越え→トンネル→鉄塔→尼ヶ禿山→玉原湿原→センターハウスの予定。歩行時間で約4時間。平野部は曇り空だったが、玉原上空は上々の天気。紅葉したカエデやブナと青空、差し込む光が絶妙。何とか良い写真をとチャンスを狙ったが、結局駄目だった。

ブナ平の分岐を左に分ける。ブナの大木の中をノンビリと歩く。登山と言うよりはハイキング。湿原から水上町方面(長沢橋)と尼ヶ禿山方面への登山道が交差する玉原越えで小休止。一度舗装された道路に出て、トンネル(閉鎖中)の手前を左折。沢を渡ると禿山への登り。ようやく登山道らしくなり、送電鉄塔を過ぎると30分足らずで山頂に着く。

山頂からは玉原湖、鹿俣山(武尊山)方面、谷川岳方面など好展望、紅葉に染まる玉原の山々が迎えてくれた。山頂では味噌汁、コーヒーつきのフルコースとマル秘?話で2時間近く過ごしてしまった。

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「菅峰」と「トリカブト」

2011-10-12 09:08:11 | 低山歩き

テレビの番組表で山や自然に関する番組が無いかよくチェックする。この中で世界の名峰など取り上げるケースもあるが、私の場合殆ど興味がわかない。何故かといえば“私が登る可能性がゼロだから”。「秩父の奥にある静かな山」の方が関心がある。強いて言えば、珍しい植物でもあれば最高。展望の山、花の山、静寂の山・・何でも良い。

「菅峰」(1474メートル)は“八ッ場ダム”で有名になった辺り。県西部、長野原町と吾妻町の境にある。幕府最後の勘定奉行“小栗上野介”の領地だった権田(旧・倉渕村)から国道406号線を走り、国定忠治の“忠治地蔵(処刑跡と書いてあったような記憶がある)”の先、大戸を左に分ける。薬師温泉との分岐を右に分けてさらに15分弱。須賀尾峠が登山口。この峠を下れば川原湯温泉方面=八ッ場ダムとなる。

峠の直ぐ手前に1台の車が止めてあり、微かな踏み跡がある。元々“道標のない山”は承知の上。先行者がいると思ったが、クモの巣が払われておらず、この山を目指しているのは私だけかもと思う。適度な傾斜のある斜面を登っていくと稜線に出る。小笹が茂った尾根添いに歩く。歩く人が少ないからだろうが、数メートル先は笹に覆われており、登山道は見えない。両サイドが深い谷となっており、谷に下りなければ問題ない。

40分弱で中間峰(1268メートル)。さらに露岩が多い場所を2箇所ほど登り、左手に山頂が見える直下の鞍部に下る。ここからは道のはっきりしない急登となる。踏み跡が少ないうえに笹が生えており、ルートの発見に最深の注意。肝心の場所にはテープで目印があるが、微かな踏み跡が分かれている場所が多く1人だと不安。

中間峰から40分ほどで山頂に着いた。山頂への鞍部も笹に覆われており、道は殆ど見えない。展望もなし。西南のカラマツ林の樹間から浅間山?が見えた。三角点と枯れた木に名刺大の小さな山名プレートが貼ってある場所で昼食とした。

降りるときの目印にしていた「トリカブト」と一株のリンドウ。花はこれだけしか咲いていなかった。紅葉にも早く寂しい山だが、静寂と適度のスリル感、疲労感に満足。ミツバツツジもいっぱいで春にまた行こう。


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草紅葉が始まっていた「尾瀬ヶ原」

2011-09-28 08:17:56 | 低山歩き

尾瀬ヶ原ーーー。東電小屋から山ノ鼻に向かう木道。所々で片方が欠落しており、片側通行になっていた。もう何回も歩いた道だが、片側通行があちこちあるのは初めて。福島の原発事故で厳しい目が向けられる東京電力。損害賠償で資金も大変。“木道までは手が回らないのでは”と心配になった。

尾瀬の半分前後が東京電力の土地だと聞いた。元々、発電所の建設用地だったのだ。反対運動(自然保護運動)の結果が功を奏し、今の景観を保っている数少ないケース。原発事故の補償対応で、資産売却が検討される中、尾瀬の広大な土地の売却も“うわさに上がった”。むろん、群馬県や地元関連団体など挙って反対した。東電からの年間の尾瀬環境保護に支出されるお金は年2億4千万円程度と報道された記憶がある。

東京電力が事故の補償に、わが身を削るのは当然。ただ、東京電力に対する、風評被害を含めた“補償要求”の声に行き過ぎは無いのだろうか。無論、福島県をはじめ避難指定地域などの皆さんは別だ。まして、原発を持たないで東京電力から電気の供給を受けている都県は少しぐらい我慢するのが当然。電力会社がピンチの時、自治体は事業協力金の減額や返上が検討されることは無いのだろうか。

「補助金はよこせ」「補償金は一円でも多く」という姿勢の、私の住んでいる県。企業局の発電事業の売電をはじめ、東京電力には大分お世話になってきたとおもうが。最近は“地元業界紙”以上の地域密着振りを示す“J新聞”にも飽きがきた。今月で変えよう。

「尾瀬ヶ原」は標高で1400メートルほど。東西に約6キロ、南北約3キロ、約8690haに及ぶ尾瀬特別保護地域の西側にある。「草紅葉が始まったのでは・・」という友人のお誘いに飛びついた。快晴の天気に、心地よい風のなか、鳩待峠ー山ノ鼻ー竜宮ー東電小屋を周遊。友人の計算では約17キロの歩行距離。

草紅葉というと幻想的だが、実際は枯れかかった草原。草原の大きさ、燧ケ岳や至仏山を背景に加えると“懐かしさ”“優しさ”“おおらかさ”など大きさを感じられる。エゾリンドウも盛りを過ぎていた。花は殆ど見られなかったが、やっぱり尾瀬はいい・・・。
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「蟻ノ戸渡り」(ナイフブリッジ)

2011-09-18 09:39:50 | 低山歩き

一昨日の戸隠登山の心地よい疲れと、岩場鎖場の連続による恐怖感と無事にクリアしたことの満足感が未だ残っている。ちょっとしつこいかもしれませんが、広いところでも幅1メートル弱、両端が絶壁のナイフブリッジと呼ばれる「蟻ノ戸渡り」チャレンジを再掲載させていただきました。

約30メートルの岩場を鎖に頼って登りきると「蟻ノ戸渡り」。女性が四つん這いの状態で渡っており、男性がリードしている。恐ろしい場所に来てしまったと思った。先程の岩場の脇に“○○子さん やすらかに”と弔いの標。嫌なものを見てしまったと思った矢先だけに尚更だ。70代の3人のパーティ、男性1人がおり、ベテランの人が“今日は風も無く良かった”とか“ここまで来て引き返す人が珍しくない”など解説してくれる。単独で、風でも強かったら私も引き返したかもしれない。何しろ国内でも有数の「ナイフブリッジとして知られている」のだそうだ。

3人のパーティーの真似をしながら後について渡り始めた。両側は切り立った崖。踏み外したらどこまで落ちるか判らない。肝が冷えた。四つん這いでスタート。ただ、少し慣れると落ち着いてきた。立った方が楽と思い、少しだがそうしてみた。ふらついたらお終いと考えると恐くなり、また四つん這いに。狭い場所は“馬の背に跨る”ようにしてゆっくりと進んだ。無事通過して喜んだ後に“剣の刃渡り”があったが、こちらは距離が短く恐さも感じないで通過した。

急峻な蟻ノ戸渡りは距離にして3,40メートル。両側の谷の深さは、大キレットなどアルプスの有名なナイフブリッジに及ばないが“長さと恐さは有数”なのだそうだ。

鎖場を登りきった「八方睨」では、6人が揃い急峻な岩場を登りきった喜びで話が弾んだ。3人組みの1人は「20数年前に登った時、蟻ノ戸渡りには迂回路があり、木も生えていて恐い場所でなかった」という。年に何回か登るというリーダー格の人が「両側が崩れ落ちてしまい、現在の形になった。何年間か通過禁止になっていた。崩落が進み、いつかは通れなくなる」などと説明していた。
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「戸隠山」と鎖場

2011-09-17 10:49:50 | 低山歩き

今年登りたいと思っていた「戸隠山」(1911メートル)に16日に登ってきた。難所とされる“蟻の戸渡り”は四つん這いになってかろうじてクリア。“剣の刃渡り”“胸突き岩”など鎖場の連続は忘れられない山となった。

戸隠神社奥社の参道入り口の駐車場に着いたのが8時30分。〃45分にはスタート。厳しい山行が予想されたので奥社に参拝し安全を祈願。奥社脇の登山口からいきなり急登となる。樹林帯の中を1人だけ静かな歩きだが、風が無く直ぐに汗が噴出してくる。調子よく百軒長屋、小さな石仏が祭られている西窟など経て最初の鎖場までは順調。

鎖場に入っても、天気が良く岩が乾いて滑らないだけに順調で、胸突き岩を登りきると最大の難所となる「蟻ノ戸渡り」。4人が休憩していた。見ると両岸が切り立った絶壁に、広いところでも幅が1メートルない“ナイフブリッジ”状の尾根が3,40メートル続いていた。先行する男性がリードし、女性が四つん這いで渡っている。

1人だけで、天気が悪かったらここで引き返したかもしれない。70代の男性3人がスタートしたので、参考にしながら後を追う。恐い!!!。途中から少し余裕が出て立って歩ける部分もあったが、馬乗り状態でゆっくりと進むなど肝が冷えた。
鎖場が連続する


高さや距離の長さ、自分でコースを選択しなければならないなど、今まで経験した鎖場と全く違っていた。“剣の刃渡り”で胆を冷やすと最初のピーク「八方睨」(1900メートル)。戸隠西岳が連なり、北側には高妻山、東側に飯綱山など360度の展望。遠くに白馬岳が見え大雪渓が遠望できた。

6人ほど集まり恐怖の経験?を語り合い、健闘を互いに讃え合う。小休止してスタート。間もなく「戸隠山」(1911メートル)のピークがあったが目立たない場所だった。
九頭龍山(1883メートル)一不動避難小屋を経て戸隠牧場に下りる。計4時間弱の長い下り。鎖が水に濡れて滑る鎖場も大変だった。更に、駐車場まで「ささやきの小道」を40分ほど。疲れたがスリリングで楽しい山行だった。

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