昭和のある時期、マンガは世の大人から悪書とされて、追放・撲滅の対象となったことがあった。
理由は「読むと頭が悪くなる」 「子どもたちの敵」。 などと散々な言われ方をしたものだった。
雑誌などとともに校庭や広場に積まれて、燃やされたといった焚書(ふんしょ)騒動となったのも
昭和史の一断面として各地に伝わっていたと思う。
マンガの神様と称される"手塚治虫先生"も、PTAの集まりに呼び出されては糾弾されたという。
そんな時期に、それでもマンガ家を志す若者たちが手塚先生を慕い集まり、腕を磨いたとされ
るアパートが東京・豊島区にあった「トキワ荘」だ。
老朽化で1982年11月に取り壊されたが、40年近い時を経て今般、当時の所在地近くに
再現され公開の運びとなった。 (マスコミなどでも大々的に紹介された)
取り壊し前のトキワ荘 再現されたマンガミュージアム
ギシギシと音のする階段を上がると、"赤塚不二夫先生"が風呂がわりに水浴びをしたといわれて
いる共同炊事場があるそうだ。 左右には多くの名作を生んだ4畳半ひと間の部屋が並んで
いるという。 座卓の上にはペンや定規が当時のままのにように並んでいるそうだ。
乾かすため描きかけの原稿も広げてあるんだそうだ・・。
そういわれると「人生で必要なことはマンガで学ばせてもらったようなもの」と思っている
私、今は少々ボケてしょうもない爺さんだが、とっても懐かしく思えてなりません。
先月催された記念式典には、東京都知事や現職の国会議員らも駆け付けて、お祝いムード
を盛り上げたという。 (出席した先生方は本当に分かっていたのかな?)
「手塚治虫先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生、藤子・F・不二雄先生‥‥」
すでに鬼籍に入った住人の先生も様子を見に集まってきたのではないでしょうか。
"日本人の文化であるはマンガは・・"などというあいさつした来賓諸氏に苦笑いを浮かべ
マンガを描きにまた消えていったのではないでしょうか・・。
理由は「読むと頭が悪くなる」 「子どもたちの敵」。 などと散々な言われ方をしたものだった。
雑誌などとともに校庭や広場に積まれて、燃やされたといった焚書(ふんしょ)騒動となったのも
昭和史の一断面として各地に伝わっていたと思う。
マンガの神様と称される"手塚治虫先生"も、PTAの集まりに呼び出されては糾弾されたという。
そんな時期に、それでもマンガ家を志す若者たちが手塚先生を慕い集まり、腕を磨いたとされ
るアパートが東京・豊島区にあった「トキワ荘」だ。
老朽化で1982年11月に取り壊されたが、40年近い時を経て今般、当時の所在地近くに
再現され公開の運びとなった。 (マスコミなどでも大々的に紹介された)
取り壊し前のトキワ荘 再現されたマンガミュージアム
ギシギシと音のする階段を上がると、"赤塚不二夫先生"が風呂がわりに水浴びをしたといわれて
いる共同炊事場があるそうだ。 左右には多くの名作を生んだ4畳半ひと間の部屋が並んで
いるという。 座卓の上にはペンや定規が当時のままのにように並んでいるそうだ。
乾かすため描きかけの原稿も広げてあるんだそうだ・・。
そういわれると「人生で必要なことはマンガで学ばせてもらったようなもの」と思っている
私、今は少々ボケてしょうもない爺さんだが、とっても懐かしく思えてなりません。
先月催された記念式典には、東京都知事や現職の国会議員らも駆け付けて、お祝いムード
を盛り上げたという。 (出席した先生方は本当に分かっていたのかな?)
「手塚治虫先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生、藤子・F・不二雄先生‥‥」
すでに鬼籍に入った住人の先生も様子を見に集まってきたのではないでしょうか。
"日本人の文化であるはマンガは・・"などというあいさつした来賓諸氏に苦笑いを浮かべ
マンガを描きにまた消えていったのではないでしょうか・・。