新年の期間中は大混雑であったろう鎌倉周辺 少しは落ち着いたでしょうか・・・。
東京方面からJR横須賀線で大船駅を過ぎると、車窓の風景はそれまでと違い一変する
それまで見られた工場やマンションは消えて、瓦屋根の向こうに里山が続くようになる
車内アナウンスで“次は北鎌倉~”と! 何とな~くそれまでと違ったようにも感じる
ここは、昨年の9月に亡くなった「伝説の女優」 “原節子さん”と“小津安二郎監督”との
初作品【晩春】(1949年)と2作目【麦秋】(1951年)はここが舞台なんだそうです。
私は、そんなことを気にせず?知らずにです何回か、この地・この駅を訪ねたことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e5/f9515494d30d9ad7c274ded8d65728ae.jpg)
「晩春」の冒頭を飾る北鎌倉駅の木造駅舎は、昭和初期の建設当時から使われているそうだ
円覚寺の境内にあり、戦災を免れ、戦後の再開発もなかったそうです
映画に登場した「驛倉鎌北」の駅名標が展示されていたが、バリアフリー改修のため外し、
今は駅の倉庫に入ったままなんだそうです。(JR横浜支社) 早めの再展示を待ちたいものです
「麦秋」には東京に出勤する主人公が、戦死した兄の友人と電車を待つシーンがあるそうだ・・?
2人が並んで立ったのは、上り線ホームの端から30~40㍍くらいのところなんだとか・・?
今は屋根やベンチが置かれていて、当時あった木製の柵は消えてしまってが・・
上下線ホームをつなぐ踏み切の方に目をやれば、スクリーンの構図のままだ!とファンが・・
すぐそばの円覚寺には‘小津監督’の墓所があります。
監督の誕生日や命日の日などには‘小津ファン’が、今でも参拝する姿が見られるそうです。
2作品の完成後、監督自身も北鎌倉に転居したんだそうです。
旧小津邸は鎌倉街道を駅から南東へ5分ほど・・昔の赤く丸い郵便ポストを右折した先の
「浄智寺」そばにあります。 私も近くまで行ったことがありますが、長いトンネルがありそこを
抜けないとたどり着けないそうだが、そこは私有地なので出入りはできませ~ん・・。
監督の通夜、前年の映画を最後に銀幕から消えていた“原さん”は、このトンネルから厳寒に現れ、
声をあげて泣いたという噂があるとか・・ないとか・・?
監督が映画の舞台に北鎌倉を選んだ理由については、ハッキリした記録はないんだそうです
(鎌倉市川喜多映画記念館)。 晩春の原作(広津和郎「父と娘」)の主人公も東京の人です
しかも北鎌倉に住んでからの監督は、鎌倉を自作の舞台にすることはなかったそうだ
原さんは監督の死後まもなく、鎌倉市内の浄妙寺に接した義兄宅の敷地内に移り住み、
皆さんご存知のように、独身のまま晩年まで隠れるように過ごしたと言われています。
そして訃報が報じられたのは、2カ月以上を経た後でした・・。
鎌倉市川喜多映画記念館は鎌倉駅が最寄りの駅だが、北鎌倉駅からも歩いて30分の距離
追悼コーナーの年譜は1963年(43歳)~2015年(95歳)までは空白になっているそうだ
新年でまた鎌倉を訪ねる機会があったらまた立ち寄ってみたいと思っています。
東京方面からJR横須賀線で大船駅を過ぎると、車窓の風景はそれまでと違い一変する
それまで見られた工場やマンションは消えて、瓦屋根の向こうに里山が続くようになる
車内アナウンスで“次は北鎌倉~”と! 何とな~くそれまでと違ったようにも感じる
ここは、昨年の9月に亡くなった「伝説の女優」 “原節子さん”と“小津安二郎監督”との
初作品【晩春】(1949年)と2作目【麦秋】(1951年)はここが舞台なんだそうです。
私は、そんなことを気にせず?知らずにです何回か、この地・この駅を訪ねたことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1b/e3d58af86b267b811deb34aa3828f9e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e5/f9515494d30d9ad7c274ded8d65728ae.jpg)
「晩春」の冒頭を飾る北鎌倉駅の木造駅舎は、昭和初期の建設当時から使われているそうだ
円覚寺の境内にあり、戦災を免れ、戦後の再開発もなかったそうです
映画に登場した「驛倉鎌北」の駅名標が展示されていたが、バリアフリー改修のため外し、
今は駅の倉庫に入ったままなんだそうです。(JR横浜支社) 早めの再展示を待ちたいものです
「麦秋」には東京に出勤する主人公が、戦死した兄の友人と電車を待つシーンがあるそうだ・・?
2人が並んで立ったのは、上り線ホームの端から30~40㍍くらいのところなんだとか・・?
今は屋根やベンチが置かれていて、当時あった木製の柵は消えてしまってが・・
上下線ホームをつなぐ踏み切の方に目をやれば、スクリーンの構図のままだ!とファンが・・
すぐそばの円覚寺には‘小津監督’の墓所があります。
監督の誕生日や命日の日などには‘小津ファン’が、今でも参拝する姿が見られるそうです。
2作品の完成後、監督自身も北鎌倉に転居したんだそうです。
旧小津邸は鎌倉街道を駅から南東へ5分ほど・・昔の赤く丸い郵便ポストを右折した先の
「浄智寺」そばにあります。 私も近くまで行ったことがありますが、長いトンネルがありそこを
抜けないとたどり着けないそうだが、そこは私有地なので出入りはできませ~ん・・。
監督の通夜、前年の映画を最後に銀幕から消えていた“原さん”は、このトンネルから厳寒に現れ、
声をあげて泣いたという噂があるとか・・ないとか・・?
監督が映画の舞台に北鎌倉を選んだ理由については、ハッキリした記録はないんだそうです
(鎌倉市川喜多映画記念館)。 晩春の原作(広津和郎「父と娘」)の主人公も東京の人です
しかも北鎌倉に住んでからの監督は、鎌倉を自作の舞台にすることはなかったそうだ
原さんは監督の死後まもなく、鎌倉市内の浄妙寺に接した義兄宅の敷地内に移り住み、
皆さんご存知のように、独身のまま晩年まで隠れるように過ごしたと言われています。
そして訃報が報じられたのは、2カ月以上を経た後でした・・。
鎌倉市川喜多映画記念館は鎌倉駅が最寄りの駅だが、北鎌倉駅からも歩いて30分の距離
追悼コーナーの年譜は1963年(43歳)~2015年(95歳)までは空白になっているそうだ
新年でまた鎌倉を訪ねる機会があったらまた立ち寄ってみたいと思っています。