二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

さすが!

2007-12-31 15:31:26 | 徒然に想う
門松や注連縄・正月飾り、いろいろなものを見て来たと思う。が、こんなにすごいキャンバスに描かれたものは、記憶にない。職業柄、ならではだ。粋というか、一言、さすが!! 準備万端ですね。

午前中、午後と年を迎える準備。庵主はベランダ掃除に窓磨き、風呂場の大掃除。カミさんは、昼寝、じゃなく、黒豆など煮たり御節の下準備。とりあえず、三時過ぎ、お茶。

御節といえば、今時の家庭、約二割が一切無いそうだ。元旦から、コーンフレークに果物・ヨーグルトとか、トーストに目玉焼き。お雑煮すら作らないってことになる。しかも、家族ばらばらで、起きた順に好き勝手食べて、はい、終わり。きっと、「おはよう」も「あけましておめでとう」もないだろう。嘆かわしいというか、日本の食の崩壊がすぐそこにある。いや、いや、食だけじゃない、挨拶という文化もだ。食の安全性を唱える前に、日本らしさの崩壊を食い止める工夫が必要なんじゃないだろうか。

あとは残るは、お神酒の買出し。で、二畳庵も準備万端。よい年を迎えられますように!

足下を

2007-12-30 09:38:00 | 徒然に想う
見なきゃ。一年中イチゴを食べたいといってイチゴを食べながら、温暖化は問題だ、どうしようと話しているのはおかしいよ。

所さんがテレビで言っていた。話題は温暖化対策のこと。飛行機で雪雲や雨雲にドライアイスを撒いて雪や雨を降らすことで、夏の渇水対策に出来ないかの研究が紹介された後でのコメントだ。温暖化は、単純に考えれば、二酸化炭素による温室効果。雨や雪で水をダムにたまるようなことだけでは何にもならない。因果応報でないが、回りにまわっていけば温暖化対策なのかも知れないが、自然という大きなサイクルの一部だけ取り出して何になろう。

いいね、人間が旬でないときに自然をコントロールして物を造り食べる。もともと自然をコントロールするなんてことを考えるから、温暖化が引き起こされる。その季節のものを食べれば、温暖化対策はもっと簡単じゃないの、身近じゃないの。所さんのコメントは、そう聞こえた。

一旬一味という造語を見た。その旬にそのものを食べようという気持ちをこめているらしい。なるほど、究極の温暖化対策。

それは、それは、

2007-12-29 17:06:07 | 徒然に想う
おめでとうございます。実際にお会いすることはありませんでしたが、記帳されているのを読ませていただいており、もう何度もお会いした気になっていました。ただ、ここ数日拝見していなかったので、どうされたのかと。そうだったんですか、三ヶ月半の長きに及ぶリハビリが終られた。今日は29日だから、ああ、昨日ですね、退院されたのは。今頃はゆっくりコタツの中でしょうか、新年をご家族と迎えられてホント良かった。おめでとうございます。

神社の記帳所にあるノートに、「リハビリ中です。今日はxx回目のお参りになります」と書き続けられている方がいらした。三ヵ月半ということは、その方がリハビリ入院されたのは、九月。庵主も九月だったから、違う病院とはいえ、どこか親近感を抱いてしまった。しかも、この毎日の散歩は落ちた足の筋力回復の為で、庵主にとってもリハビリ、なおさらである。

年明けから、週三回の時短勤務ではなく、月曜から金曜(10:00から16:00まで)の出社となる。やっと産業医の先生が許可してくれた。

庵主もやっと「退院」? 狛犬さんは、口を噤んで答えてくれない。


思い出した?

2007-12-27 10:08:31 | 徒然に想う
先日のことになる。久しぶりに雨が降って、朝方散歩に午後出かけた。いつものように神社で挨拶して。畑の中の道、雑木林。桜並木の河辺と…。

畑の中の道で気付いた。それまで乾燥し、しかも寒い日々が続く。畑のニンジン、葉っぱを黄色くしマルチにべったり張り付けていた。少し様子が違う?まだ青々している茎を中心にピンと背筋を伸ばしている。

桜並木の河辺、川と反対は里芋畑。蚊柱というのだろうか、小さな虫たちが集団になって乱舞している。それも一本、二本ではない。無数にだ。雨になって、止んで暖かい。落ち葉や枯れ草などの陰に小さく集まっていたのを一気に解散。春かと乱舞か。

入院中のこと。何気に担当の看護婦さんをからかって甘えている、まるで子供みたいだ。バカなと思ったが…。よく会話を聞いていると、自分だけではない。他の同室の方たちもおんなじ。皆さん、会社ではしかるべき立場のはず。あぁ、なんだか、なんだか…

結局、意識外や自然の摂理の中で覚えていて行動するのだろう。こうなったからこうしなさいなど誰も言わない、教えない。が、何かを引き金に発露させる。誰も抗えない。生き物とは…


いよいよ

2007-12-26 14:53:55 | 徒然に想う
押し迫ってきた。いつもお世話になっているO町の農家さんの所に、午前中ちょっと年末の挨拶に。庭から、湯煙のようなものが二筋。

やっぱり! 今日は餅つきだ。丁度良かった。


確か、去年は最後の火曜か水曜にやっている。今年もお世話になりましたという気持ちを込めて、年内最終の消費者出荷に野菜と一緒に入れる為だ。消費者の方たち、注文したいとのことだが、研修生の人数も多い、なかなか受けられないらしい。こういううれしい悲鳴を上げていらっしゃる生産者の方もいる。今年は、どうかな、いつかなと思い巡らせていた。


去年は、お誘いを受け一日休みを取りお手伝い。それは、それは楽しい、ビール片手にワイワイやりながら餅をついていく。春の田植え、秋の稲刈り、冬の餅つき。一つのサイクル、締めくくり。昨晩の天気予報で、気温は上がりにくいが安定しているという。これはチャンス。仮に終っていても、年末の挨拶を欠いたら男が廃る。10時に酒屋が開くのを待ってビールを片手に、家を飛び出した。


搗き立てのお餅をきな粉で頂く。美味いねぇ。

…会社に何も言っていない。失礼だと思ったが、早々に退散せざるをえない。丁度、東京で下宿されている娘さんが帰ってこられた。大将、奥さん、ご家族のみなさん、研修生たちみんなに挨拶が出来る。今年もお世話になりました、よいお年をお迎えください! 来年こそは!!

ザクッと

2007-12-26 08:31:36 | 徒然に想う
足下で音がする。おぉ。ザクッ、ザク。何年ぶりの音?

霜柱を珍しく感じたんではない。温暖化で霜柱が立ったのが久しぶりなんてことでも、勿論ない。冬場O町に出かけていけば去年だっていつだって、踏んで遊んでいる。冬ではよく見るもの遊ぶもの、ありきたりのものだ。でも、今朝の音、靴から伝わってくる感覚、懐かしさすら感じた。どうしてだ。

子供の頃は、庭が白く見えると飛び出して行っては、弟と競ってザクザク踏み潰したもんだ。学校への道すがら、やはり見つけては我先に走っていってザクザク。校門を入れば、校庭の隅、校舎の影で。

入院の一ヶ月間以降、何か感覚や感情が退行(子供化)したような気がするときがある。感覚・感情が澄んたとでもいえるだろうか。ずっと当たり前と思っていたことが当たり前でなく、えっていうのもが当たり前のことだったりするのに気付き直させられることが結構ある。南の空を見上げたら、朝陽のなか、小さな青や赤やに色ずく彩雲。


雨は

2007-12-23 06:32:19 | 徒然に想う
夜更け過ぎに白い雪になって…。本州の南岸を、低気圧がなめるように北上するとの予報。ワクワクしながら床に就いた。

深夜二時過ぎ一旦起きる。もちろん、雪かどうか気になったからではない。そう、入院中はよく相部屋の方たちの物音や話し声で起きてしまうことがあった。ということは、退院以来のこと。耳をすますと、忘年会上がりの人たちだろう、窓の下の歩道で楽しそうにワイワイしている(これだ!)。おやぁ?…。まだ雪ではない、残念。車の音も水をはじくよう、シャーベットや雪をはじいているのとはちがう。だいたい、雪が降ると音が吸収され辺りがシンと静かになる。が、そんな気配じゃない。見ない、見ない。外は見ない。朝のお楽しみ。

いつものように六時過ぎ目が覚めた。カーテンを開けた。ああ、残念、お預け…か。低気圧のコースは良かったのだろうけど、寒気団の力がまだ弱かったな。見下ろした隣接する駐車場や交差点の路面に雨の小さな波紋が見える。

暗雲…

2007-12-22 12:03:54 | 徒然に想う
最近、散歩の時間によく立ち込める。仕事がらみのことを考えてしまうからだ。効率よく進む進まないとかではない、相変わらず月水金の週三出社、残り二日在宅の状態。その出社のときあった事柄のことをずっと引きずってどうするか。鳥や風の音、周りのことに目もやらず、確かめもせず…。こうやって、目が失われるのかと、暗澹たる気持ちになっていく。

今朝も仕事のことを考えながら、雑木林を通り抜けていった。やがて、桜の木のある川辺を過ぎ、散歩をするようになってから知り合ったワンコのところに着いた。

そいつ、初めは、口笛で呼んでも目をチラッと上げる程度。しばらくして、小屋から出てくるようになったが、近づいてきやしない。頭をなでてやろうとすると、吼えた。先月くらいからか、少しは慣れてのか靴の匂いをかいだりしたが、緊張か怖いのかブルブル震えていた。ところが先週、午後の散歩のときだ。近寄ったら、飼い主のおばあちゃんと目が合った。「こんにちは」「あぁ、こんにちは」

次の日から、彼は震えることもなく、呼べば出てきて、頭をなでろと足元に座る。おばあちゃんとの会話を聞いて理解でもしたかのようだ。

そんなことを考えた。今朝は、スーッと暗雲が立ち去った。


逆転層

2007-12-21 18:36:47 | 徒然に想う
遺伝子操作技術のレベルはいきつくと、進化をもコントロールすることになるらしい。ほとんど確実という。

今の技術でも、人間の遺伝子を豚や他の動物たちの中に細胞を埋め込んで、人間が必要なもの、しかも遺伝子のレベルでその人に適応しているのを作ることが可能だとドキュメンタリーのアナウンサーは言っていた。まるで、動物たちを人間用の臓器製造機に仕立て上げられる世の中だ。

すごい、すごいと喜んでいいのだろうか。技術自体が進むのは悪いことじゃない。が、進化は偶然によって起きてきたもの。人が今の人間であるのもその偶然によってのみ。それを人間自らの手で取捨選択していくと言うのだ。そんなに人間の都合いいように行くもんだろか。人間も自然の中に組み込まれたもの、その流れから抜けられない。その偶然をコントロールし恣意を入れ得るのは、神=自然以外ない。


小さな地域での気候すら正確に予想できない。逆転層だった作れるわけでない。進化をコントロールする前に滅んでいる…?





感謝

2007-12-20 09:17:20 | 徒然に想う
おや? 金柑?

階段を登りきると、その昔山城であった神社が出てくる。祭られている神を信じたり信心深いわけではない。が、神社に行けば、「おはようございます」であったり、「こんにちは」と社に向かって挨拶をする。今朝も、境内を進み、頭を下げようと社の前に歩み寄った。賽銭箱の隣にある机、参拝の記帳の為においてあるのだが、何か置いてある。結構立派な花瓶に…。 

花が活けてあったこともある。気取ったものではなくて、おそらく自分の庭から取ってきたものであったと思う。境内の植樹はきれいに手が行き届いている。ただ、やもすれば、人気がないところだ。花が活けてあるのを見たときには、心が和んだ。

あらら、稲穂も一束、あるじゃない!

金柑と稲穂。そういえば、秋にはザクロも置いてあった。どなたか近くの方が持ってこられたのだろう。農家の方か。自分の得られた恵みを感謝され、捧げられたにちがいない。こんな風に、祭事ではないときでさえ、感謝の気持ちを捧げる方たちがいる。いいなぁ。