二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

久しぶり!!

2010-06-27 17:37:29 | 徒然に想う
今朝起きたとき、雨が降っていた。最近本を読んでなかったので、風呂を入れてゆっくりと読書。そして朝食。

5月末に参加した「清水いきもの復活大作戦・春の巻」の写真・資料を整理し、レポートのドラフトを書き上げた。顔を上げれば、雨が上がっている。湿度が異常に高くなるが、こうなると虫が騒ぎ出す。昼食をとっていざ出発。

雲と雲の間、顔を出している。8合目まではいかないか、9合目あたりまでは雪が残ってる。

筋状の高層雲が出て、飛行機はその下、雨雲らしき中層雲との間をすり抜けていく。富士山の方は雨雲がちょうど切れ、富士が低層雲とはさまれているように見える。いつ見てもまことに美しい。




今日の一枚:見えるかな…。カワセミの川の土手から。


朝焼け

2010-06-26 15:30:55 | 徒然に想う
こんな映像を撮っていたのを思い出した。

朝焼け、夏になるとどうも見れる時間が短いような気がする。秋や冬に比べあっという間に黄色、白の時間になってしまう。まるで花火のようにパッと赤くなって散っていく。

それはそうか。深い角度で昇ってくるんだから。





今日の一枚:昨日の朝のこと、散歩に出た時間が日の出時刻だった。畑の中の道で。

梅雨の楽しみ?

2010-06-26 10:56:50 | 徒然に想う
ヒメジョオンが咲きほこる。白いのもあれば、ややピンク色が入ったのもある。なかなか個性があって、これまた見ていて楽しい。散歩中パラパラときたが、相変わらず梅雨の中休み。しかも時折サラサラとした風が吹く。梅雨は梅雨なんだろうけど…。

この時期、マアジがおいしいと聞いた。ちょうど夏の産卵に備えて身に栄養を蓄え旬を迎え、脂ののりはマグロのトロにも匹敵するほどらしい。どれ、今夜はお刺身でもねだってみようか。



今日の一枚:カワセミの川の土手にて、今朝のこと。

どうしたんだろう

2010-06-24 07:10:24 | 徒然に想う
静かな朝。梅雨の中休みの晴れ間。散歩する人も多いだろうと思いきや、そうでもない。遊水池の駐車場は一台も止まっていない。空を見ても鳥たち、静か。どうしたんだろう。






今日の一枚:神社をあとにしてJRの陸橋の手前。一昨日はまだ開いていない。風にそよいだ。

トレーニング

2010-06-22 13:06:00 | 徒然に想う
平日の朝の散歩はトレーニング。5、6メーター先に視点を定め、一心不乱に前へ前へと。幸いなことに、最近は太陽が雲の中。目を引き付けるものがない。トレーニングにはうってつけ。

目を閉じる代わりに、耳を開く。鳥たちや虫たちの声を聞く。何種類聞き分けられる?ツバメ、カワセミ、キジ、ヒバリ、コジュケイ、シジュウカラ、オナガ、ムクドリにヒヨドリか。それ以外に何種類、名がわからない。

今朝は10分早く出たのでちょっと寄り道。神社下の公園の真ん中、公園事務所の前のクヌギ。もちろんクヌギは何本もある。そこだけ、なぜかカブトムシやクワガタが多い。この時期行けば何かしら見つける。ただカラスたちと競争。彼らもカブトやクワガタが好き。遅れると食べられてしまう。

5センチほどのノコギリクワガタを見つけた。ちょっと遊んでもらおう。そうはいかぬか。あと30分で家にたどり着かねば。

クワガタをカラスの目につかない所に帰し、コースにもどる。一気に階段を上がり、境内。挨拶し神社をあとに。自分の足音、貨物列車の轟音、車の騒音。カラスが、起こして間もない畑の上、ヒョコタン、ヒョコタン、カァ。ツバメたちのおしゃべりに、ただいま!





今日の一枚:カワセミの川の土手にて

夏至

2010-06-21 21:42:39 | 徒然に想う
夏至である。夏に至るわりには涼しい朝。『暦便覧』には「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり」と記されているそうだ。

日の長き? 今朝の日の出が4時25分。一方、先週末は24分だった。調べてみると、それより早くはなってはいない。つまり、もう日の出時間は早くならない。代わりに日の入りが遅くなった、ってこと。

だが、それも終わり。今日が昼間が最長なんだから、日の入り日の出の時刻に関わらず短くなるのみ。どちらが先にしびれ切らして、早くなる?




今日の一枚:駅に着いて、空をあおげば、雲間から朝陽。スッキリいかぬは梅雨時期さ。

「多く知る:」って?

2010-06-20 14:43:20 | 徒然に想う
ヘラオオバコの花序、こんなものを今朝見つけた。ひとつの花序の先端あたりに茎がまた出てその先に花序が出ている。これは桜並木の川のわきの草っ原の一角。いろんな形があって、三叉の矛のようになっていたり、円錐形だったり。バラエティー豊か。

ところが、5メートルも位置がずれると、もうカワセミの川と同じようにバレリーナや宇宙船のような形だけになる。何が花序の形の決定要因なのか想像できないが、不思議なもんである。この形から同じ品種のものとは思えない? 

「たくさん知る」ことと、図鑑や教科書、百科事典にあることを「知っている」こととは同じではない。ただ事実を見て、それをそれとして受け入れることが、「たくさん知っている」ことに他ならない。そう思わない?

そう、それをそれとして受け入れるだけかも知れぬ。このヘラオオバコの花序の後ろに普通の形のが見える。ヘラオオバコなんて名前がなくとも、そのまま同じ仲間と思えばそれで十分。決定要因なんて考えても仕方ない…、か。


今日の一枚:花序の違うのを見つけるのが楽しいらしいが、なかなかお目にかからなかった。だが、まさにその一角のみ不思議な形が目に付く。




学力は額力

2010-06-19 07:02:59 | 徒然に想う
今朝気付いた昨日のニュース。「親の所得が学力左右」と文部科学省が白書で。家庭の経済力の差が子どもの教育機会の格差拡大につながりつつある現状を挙げ、教育への公的投資の必要性を指摘している。解らぬ、といかその程度のことしか今の教育はなされていないのかと驚いた。

全国テストの分析によると、就学援助を受ける生徒の割合が高い学校では正答率が低い傾向にあり、親の年収が400万円以下の子大学進学率は31%なのに対し、1000万円超だと62%に達する。つまり学力の伸長が親の所得に左右されている可能性があるという。それで「教育に社会全体として資源を振り向けることが喫緊の課題だ」とした。

学力とはなんだろう。知ったことを統合して別なものに答えられること、知りたい気持ちを維持することだ。森に住む知り合いの娘さんは、周りの自然から大人から吸収したくさんのことを知っていた。教科書の中にあるような事柄は少なかったが、いまや飛び級などして、その国でもトップクラスの大学で数学だか物理だかを学んでいる。親の経済力とは関係がない。

「ゆとり教育」で、そんな統合力を付け、知りたいという気持ちを育てたかったのにできなかった。「ゆとり教育」で減った知識を補なえなかったのは、あたかもすべて親の資金力のせいだと言い放ったように受け取れる。公的財政支出を得るための戦略的な言葉ならば目をつぶれないくもない。が、なんという教育哲学、理念の不在・喪失。開いた口が閉まらない。




今日の一枚:起きると雨。こんな朝は、本を読みながら朝風呂。しかし、出てみれば青空が顔をのぞかせる。お天道様から怒られた。

時との戦い

2010-06-17 07:50:25 | 徒然に想う
梅雨のこの時期、雨が降ってない時は貴重。雨が降るだろうと予想してゆっくり起きると晴れて、よしと思って起きると雨なんてことばかり。雨が降っていても土日なら思い切って散歩道に飛び出せばいいが、平日はそうはいかない。今朝は一休みには早いが、晴れた。

ッピィ-、ッピィ-、ッピィ-と、右手の川の上、カワセミが上流向けて飛んでいった。一番手だ。蜘蛛たちには悪いが、バリバリと折角巣を張ろうと出した糸を切って前に進む。遊水池を左手にこえ、神社下の公園の入口が向こうに見えて、今日最初の「おはようございます」

遠くに出かけたい。ゆっくり歩きたい。時計を投げ捨ててしまおうか…。

神社を後に、半地下の線路に沿って家を目指す。後15分。足が早まる。あぁ、改めて進む方向を見るとゆったりとした起伏があるもんだ。里芋の葉っぱに水滴がコロコロ。ちょっとした風に大きな一滴が滴り落ちる。




今日の一枚:家を出て畑の一本道に入ると時刻は正に日の出。雲が橙に色付いたり。もう少し下まで入れれば良かった。平日の朝は忙しない。