二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

造られる

2008-04-30 09:34:11 | 徒然に想う
靴が朝露に濡れる。草がラメを引いたように輝き、木々は多種多様な緑に取り囲まれて。暑くなってきた。夏日になる。

天気予報の後、番組の特集で、野菜工場を取り上げていた。増えるのだそうだ。中国の餃子に農薬が混入していた事件で象徴されたように食の安全、食材の安定供給は重要課題。それを解決するのが、野菜工場だから。

朝、圃場で作業をされている方がいた。路地物に農薬。以前伺ったところ、出荷までに、一度二度やるかやらないかだそうだ。時季に旬に近い物が提供される。工場の野菜は一切無農薬の水耕栽培。農薬は使わぬが化学肥料などの薬漬け。しかも温度一定に制御。真冬にトマトやキュウリが市場に出せる。

いいんかなぁ、安全・安定を考えるあまり…。変な方向に向かっている気がするのだが。朝露は造られたものではない。だから濡れても全く気にならない。

香り

2008-04-29 10:40:50 | 徒然に想う
フワ~ッとコーヒーの香りが漂ってきた。ほとんど毎日その家の前を通ると、コーヒーの香りがしてくる。好きな人なんだろう。風呂から出て、そのことを思い出し、コーヒーが飲みたくなった。

シュンシュンとお湯が沸き。ソロソロ、チロチロとペーパーフィルターのコーヒーにゆっくり落とし。フワ~ッと香りを楽しみ。ロストロポーヴィッチの無伴奏チェロ組曲を聞きながら。美味いなぁ。

さてさて、今夜は白にするか、赤か。カミさんは、優雅に海外旅行と決め込んで昨日早々に旅立っていった。チャンス到来!そんなときのちょっとした楽しみが、秘蔵のワイン、高いワインなんて持っていないが美味いだろうと思って大事に持っている、を一人飲むこと。テキもワイン好きだから、美味いと先を争って飲んでしまう。ゆっくり楽しむにはこんな時しかない。

GW、出かけるわけでもなし、人ごみにもまれるわけでもなし。こうやってゆっくり時間が過ぎる。これで十分だ。

赤い地球号

2008-04-28 09:42:26 | 徒然に想う
最悪な朝。三時半頃目が覚めてしまい、うつらうつら。寝たいのに寝れないのが二時間位続いた。今、日の出は五時前。暗いのに、鳥たちの挨拶が聞こえきた。雨じゃない。散歩に出掛けられる。

小麦の国際価格の高騰、農産物輸出国の輸出制限などの外圧。しかも外圧を下げるため国内のことを棚に上げてWTOに提案、殴り込む。日本の自給率の低さ。農業政策の失敗によって、いよいよ社会が飢えていき二極化していこう。国民皆中流意識はむかしの話、今や幻想。

誰が豊かに?ホワイト・カラー・テロリスト。だから更に地球はどんどん暖まり、農産物は高騰。やがて砂漠となった地表では草木がなくなり工場で農産物が造られ。豊かを越えた暴力に支配される

やがてカグヤは満地球を撮すが、赤々とした物体にすぎない。地球号は…滅んだのだ。

これも副作用?

2008-04-27 21:33:39 | 徒然に想う
世の中のプレドニストたちは、どうやってストレスを解消しているのだろう。

毎日ステロイド剤という副作用のいろいろあるものを飲み続けなくてはならない。庵主の場合さらに、楽しみである海外に出れない、圃場にでての作業も出来ない。しかも大変ありがたいことに、日々周りから、通勤の行き帰り・勤務中と、望むと望まぬにかかわらず、沢山ストレスをかけていただける。

庵主の病は原因が特定されていない。ストレスが一因だともいわれる。このまま、ストレスばかり感じていたのでは、再発の可能性はまちまちかだが、どうなることやら。幸いなことに、再発しても「不条理」に直結しはしない。ただそのとき、また、「あぁ、あれも、これも、何もできない…」と、窓越しに思う? 再発だけは御免こうむる。

頼むから、制約をこれ以上増やすな。一つでもいい、少なくしろ。出来ることなら、この薬を飲むという「不自然」さえ一刻でも早く終わりに。何を子供じみたことをと、いわれるかもしれない。でも、我慢あるのみですか?

2008-04-27 09:17:52 | 徒然に想う
記念撮影をしよう。今朝は涼しく曇っていている。昨日の雨の滴も綺麗だし、目一杯輝いている。そのぶん映えている。

昨日の午後、最近撮り貯めた写真を整理し終わったあとで、The One-Straw Revolutionをパラパラとめくっていた。巻頭言のところで目が留まった。あぁ、逐語訳ではないと、翻訳者自らが残している。日本語にあって英語で表現できない意味の単語がいくらでもある。日本語の意訳もどうしてもでてくる。だから、福岡の監督の下英訳を進めたが、英語版には自ずから限界がある。しかし、それがスタートだ。その英語版をもって海外で広まる。

確か、彼は「言葉は無言だった。書物は無用である」と言っている。彼には英語も日本語もない。

ツツジは自然の構成員としてだけ何も求めず求められず花をつける。純真無垢。それ以上の美しさがあるだろうか。そして、それをそのまま受け止められたら、どんなに良いだろう。

振り返る

2008-04-26 09:36:00 | 徒然に想う
散歩道、川が左手に流れている。何人もの知らない人たちと「おはようございます」。歩いてきたところを振り返って撮った。ふと、高村光太郎の「道程」を思いだした:

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る

ああ 自然よ 父よ

僕を一人立ちさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため


バシャと何かが、川に。その方を振り返ってみると、カラス。バシャ、バシャ、バシャと羽を動かしすぐに飛び上がった。よく言ったもので、まさに「カラスの行水」。ほんとあっという間だった。初めて、本物を見た。

最近かかわっているプロジェクト、集大成という感覚でもあるのだろうか、議論を重ねれば重ねるほど今までやってきたことを振り返ることが多い。焦燥感? 前を見るのが重たくなってきた? それとも、思考のメビウスの輪に乗って、何もしてこなかったことに対する焦り?

ウサギのいる公園

2008-04-25 18:51:11 | 徒然に想う
ドウダンツツジ、ハナミズキ、チューリップ、ポピー。あぁ、アヤメ、サツキに、ウサギ。ゥ、ウサギ?

川沿いのこの公園、このウサギの他に、似つかわしくない生き物がいる。ニワトリ。一羽じゃない、数羽いて、けっこう我が物顔でのさばっている。

手に負え、かわいいうちはいい。が、負えなくなってくると、結局殺すことは出来ない。貰い手もつかない。処分に困り、公園なら誰か面倒をみてくれるってな訳だ。だったら、かわいいとかの一時的な感情で飼わせない、動物も生き物であるのを説明しどうすべきなのか諭さすのが、まず第一。誰か、親の役目。それが出来ない社会。無責任社会。

雑木林も梅の木も果物の木も、ペットという生き物も、人間が手をかけてしまった以上、途中で放棄するわけにいかない。最後まで面倒をみなければならない。ただ、今は自分の子供すら放棄する。畑や山林が放棄されても致し方ないということか?

農薬

2008-04-24 09:28:46 | 徒然に想う
農薬の異臭。思わず息を止めたくなる。西の空に黒い雲。今にも雨が降り出しそう。散歩の出だしにはかなり寂しい。

神社の林の小道、蜘蛛の糸が顔に手にまとわりついてきた。蜘蛛の糸は灰でも、直ぐに切れてしまうという。まして、農薬なんて撒かれていたら。たくさん、たくさんまとわりついてきたのが嬉しい。

農薬、別に目の敵にするわけではない。特に除草剤は農家の方の時間と手間をずいぶん作ったと聞く。使い方によっては有効なんだろう。ただ、どうして農薬をふらなければならない?そうしなければならない状況に人間がしてしまったからではないかと。


雨…。結局、八時半過ぎ会社に出掛ける時、降り出てしまった。

意識

2008-04-23 12:13:33 | 徒然に想う
偶然のイタズラか、桜の花の軸が蜘蛛の糸に絡みつきあって頭上高いところからぶる下がっている。こうなると、限界を越えている。ちょっとわからない?

今朝は何人と挨拶できたろう。公園に着くまでに三人。入口で昨日の猫。小父さん二人に老夫婦二組。で、犬の小五郎。犬の散歩をさせていた小父さん、小母さん。外人の小母さん。ほぉ、けっこうな人数だ。

オョとあたりを見回したが何もない。いや、突然ガサッと音がしたもんだからビックリ、飛び上がる。ゴミでも踏んだかと振り返ってもみたが、やはり何も無い。薄気味悪い…。すると鳥の黒い影が飛んでいった。

ちっちゃなことが目に入り、多くの人たちと挨拶したのは覚えているのに、鳥の枝から飛び立ったのに驚かされる。歩いていてどんな意識だったんだろ。