二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

2014年最後の夜明け

2014-12-31 07:15:13 | 徒然に想う

あっという間に大晦日。さてさて、どんな年でしたでしょうか?

いい年でした。それは、最後の最後になって「母なる土地」に向けて大きな進展、いわば人生の第三ステージへのドアが開き始めたのですから。正直、いろいろな準備をしてきたつもりですが、不安はぬぐえません。かえって、いい結果をと想像すると、大概反対のことになるのがこれまで。楽しみであると思えば思うほど、不安が広がってしまいます。ただもう重要な決断はくだした、次は行動です。行動のみです。師匠の『野仏の 指差すままに 枯野分け』を唱えながら、ゆっくりやっていこうと思います。

来年もよろしくお願いします。良いお年を。

 

 

今日の一枚:6時15分頃、神社の展望台にて。

 


ごめんな

2014-12-29 09:44:27 | 徒然に想う

冬至から一週間だというのに、既に太陽が沈むのが遅くなってきた。一人だけかと思っていたら、隣の畑の人も同じようなことを感じている。つまり、これから寒さは酷くなるが、一日の時間の長さに春を見出し始めた、ということらしい。春が待ち遠しい。その春に備え、借りていた畑を出来るだけ平らにと片付けだす。

カエルを起こしてしまった。寝入っていたところをたたき起こされ、不満顔。のそのそとクローバーの中に潜り込んでった。

こぼれ種から芽吹き林のようになった小松菜の中にバッタ。かろうじて足が動くも、成虫では越冬しないから瀕死状態。多少暖かいかと刈り取った葉を布団代わりに、かけてみた。彼らは目に付いた。

目に触れぬところで、どれくらい騒いでたことだろう。ごめんな。

 

 

今日の一枚:昨日の12時頃、畑にて、北の空を。 

《野の佛 冬芽を見上げ 微笑まれる》


大掃除

2014-12-27 20:00:11 | 徒然に想う

夜明けを楽しんでる場合じゃない、かもしれない。買い物に出ても、街全体がざわついているし、角松を見かけたりする。我が身をみれば、年賀状だの大掃除が頭をよぎる。なんだかんだ押し迫ってきた。

年賀状はいつになく書き上げた。大掃除か…、少しでも進めなきゃならんよな、と思うも逃避。何を見るわけでもなく、テレビを前にボォーっと。すると余計なことに、こんな工夫で楽に進められるなんて特集を始め出す。

レンジや換気扇にレンジ用洗剤ではないものを使ってる。しかも、汚れがみるみる落ちていく。実に早い。このあたりの掃除は毎年お鉢が回ってくるので、目が釘付けになってしまった。セスキ炭酸ソーダ、というものらしい。近くの薬局に行く機会があったので、早速そのセスキ炭酸ソーダなるもの、買ってみた。

正直、テレビのレポートは眉唾ものかと思っていた。 が! 予想以上、テレビで見た以上!!  実に、台所用洗剤なんて比べものにならない、よく落ちる。楽しいくらい落ちる。かけたすみから、汚れが落ち始める。今までの洗剤がなんであったのか。無駄にスプレーし、何度もふき取る。全くやりきれない…。

 

レンジ周り、2時間くらいかけピカピカに。ちょっと気持ちのいい時間の過ごし方。

 

 

今日の一枚:神社を出てすぐの病院の近くで、6時半ころ。

 


少年たちの一言

2014-12-25 21:55:50 | 徒然に想う

「まじ、マジやばくねぇ。このグラデーション、つーの?」

神社の展望台で夜明けを楽しんでいたら、人がやってきた。時間が時間だけにめったに来ないし、声からして二人の高校生くらいの少年。これは、オヤジ狩りかなんて思った瞬間一人のが呟いたのだ。思わず微笑む。確かにこの美しさを表現する言葉は見つからないが、その感動を表現するには十分足りるセリフ。もう一人は何度かこの場所に来てこんな風景を見た経験があるようで冷静を振舞っているが、何度もシャッターを切っていた。何度見ても美し物は美しい。彼ら、どうも日の出を撮りに来た。 

 

「最初からあんなに飛ばしたら、息切れする。続きゃしない…」

第三のステージへの準備をいよいよ始動させる。一輪の桜が導いたことに従い確かめたゴールに向かって、来春高知へと進む。川が呼んでいる、待っている。新たな思いで新年を迎えられる。まだまだ最初の一歩の為に、かかとを浮かせた状態。何かあってすくわれないよう、もう一度見直さねば…。畑の師匠の息子さんの言葉を、その師匠に挨拶に伺う道すがら、思い出した。彼が中学生くらいだった頃か、師匠の所に来たばっかりの研修生の姿を見てポツリと言ったのだ。その研修生、2週間後伺った時すでに姿がなかった。

《日溜まりに 横たう貨車の 雪便り》 ― 報告に向かう車窓から

 

子供の目は、言葉は、ストレートすぎてキレキレかもしれないが、意外にも真実を言い当てる。可愛らしいが怖い。それがどうして、どのようにして鈍り、しまいには表現しなくなるのだろう。そんな目や言葉を忘れるな、と願う。今6時15分、47分が日の出。寒さに気をつけてな、と神社を後にした。

 

 

今日の一枚:神社の展望台から、少年たちが来る5分くらい前、6時10分頃。

 


毎日食べなきゃ

2014-12-22 10:00:30 | 徒然に想う
朝新聞を読んでいたら、93%の子供が毎日朝食をとるとのデータが載っていた。93%かと思ったのだが、7%もの子供たちが毎日食べない事実。理由はさまざまだろうが、こちらのほうに目を向けなければと考え直した。

朝栄養バランスのいい食事を取ると学校にいってから勉強に身が入りやすいとも。ただ、このことは「知らない」「あまり知らない」が63%。庵主もこの口。しかし、思い出せば、しっかりした朝食を食べさせてもらっていた。勉強に身が入っていたか、自信ない…。

マッサン、養女のエマがニンジンを食べない。なんだかんだ理屈つける。エリーはもちろん、食べなさいと。そこに帰宅したマッサンがからんで、小咄のようなやりとり。可愛い一コマだった。

いったい7%もの子の親たちはなにしているのだろう。毎日子供たちが食べないことに疑問を抱かないんだろうか。体調なと何かの異常を見いだすチャンスだろうし、脳のみならず体を作る基になる。実に、0.7%のほとんど食べない子供たちの親(?)たちはいったい…。





今日の一枚:先週土曜日、お世話になった高知県農業担い手育成センターの方が仕事で出てこられた。県の移住担当、新規就農担当の方々も合流され、東京会場の8人、計12人で忘年会。楽しい宴でした。そのとき、店の子がチョコレートで絵を書いてくれた、カツオネコ(?)

準備はどう?

2014-12-20 11:09:54 | 徒然に想う

ここ数日の極寒もやわらいだ。あと十日もすれば、新しい年。これだけ残り少なくなれば、もうやってくる春のことを話しても鬼も笑わないだろう。連絡しなくちゃ…。冬至は明後日、まだ冬に至ってないのに気が早い、早すぎる? なんてことを思いながら歩く。メジロも下りてきているようで、柿の枝えだを飛び回ってる。先週畑に向かう道すがら見かけた木蓮の冬芽、ずいぶん膨らんでた。三月に咲くのに、こちらも気が早いというか、準備がいい。何かをするための準備は早いことに越したことないと教えてくれてるんだろう。

準備というわけではないが、複式簿記。働いていた時分経理にいたにもかかわらず、大嫌いでずっと避けてきた。だが、それでは管理や記録ができない。一朝一夕に身つけられるものではないからと、春ごろから始めたのだった。これが意外、お小遣い帳に毛が生えたようなものだが、始めると結構面白い。右と左がバランスするのは当たり前だが、ぴたりと一致するとにやけてしまう。こんな項目にこんなに使ったかと丸裸にもなるし、無駄遣いがあからさまになる。困っているのが、日常生活に関すること(家計?)と畑に関する項目(事業?)を、どう分けるか。たとえば交通費。畑に向かう時使えば“事業”の項目、本を買いに行くときであれば“家計”としておかなければ、自分の財務状況が掴みにくくなる…。また会計のテキストを一から読みだした。

沢山、回り道をしてきた。しかし、簿記のようにどういうわけかまた廻りあう。昔のことだが、学生時分代数学なんて大嫌いだったが、、就職してから代数(可換環論)の本を読んだ時期がある。結局、特に嫌いだったものほど出てくる。目指す事に対し、これまでの道中どれほど「時」や「お金」を無駄遣いしてきたとの思いが強かったが、実は準備だったと最近思えるようになってきた。 準備万端にはまだまだだが、来年こそ! どこか、年初の件みたいで気恥ずかしくなってきた。

 

≪蝋梅の 幽かな告知 足止めた≫

 

 

今日の一枚:開花したばかりのよう、蕾のほうがずっと多い。JRの弧線橋の近く、6時半頃。

 

 


弥勒菩薩半跏像の目

2014-12-18 12:14:03 | 徒然に想う

神社の展望台に着くのがちょうど夜明けだと、思い浮かべることがある。子供のころ家にあったある旅行社のカレンダー。広隆寺の弥勒菩薩半跏像の顔がアップで映り込んでいた。不思議な笑みをたたえ、何を見ているんだかいないんだか分らぬ、あの目。訳が分からぬままに子供心に記憶した。

あるとき、突然、その目を思い出したのだ。あれはこの形を残そうとしたんじゃないだろうか。闇が消え、今日一日を迎えられる幸福感に包まれ、活動しはじめられる。これが毎日、今日も明日も明後日も未来永劫続いて欲しい。その望みを、この形を仏像の目という形で掘り込むことで、表現しようとした。

タリバンは報復としてパキスタンの学校を攻撃、結果141人(ほとんどが子供)が命を落とす。どこにどのような大義名分が立つのかわからぬ。ただ、宗教やゲリラ掃討作戦で片付けられるようなことではないように思える。「親の気持ち子知らず、この気持ち親知らず」のようなものがあるではないか、どうも「力」を振るう側にはそうでない側の気持ちが理解できないということかもしれない。

誰にでも等しく朝は迎えられなければならない。141もが突然そのことから断たれた、断たれてしまった。これがまた火種となり、火車となり広がる。偶像はご法度だとしても、この夜明けの風景は誰にでも平等に見られなければならぬ。そのためには、いかなる「力」も報復も要らない。…そうか、弥勒菩薩半跏像は、それだけでない、仏様の像の多くはえも言えぬ慈愛に満ちた夜明けの様子の目を持たれている。 それは、突然断たれたとしても、仏は生ける物だけではなく全て平等に夜明けを見せられていると示唆する。141の魂はどこかで見ているってこと、か…。そう思えば救われなくもない。夜明けは、たとえ無神論であっても、妙に宗教的にさせる。

 

今日の一枚:神社の展望台から今朝の様子、6時頃。月齢26の月も写し込めた。

≪静けさも 氷りつきしぞ 夜が明くる≫

温度を測ると氷点下、寒いわけだ。

 


ふたご座流星群 結果

2014-12-15 10:22:56 | 徒然に想う
二時間ばかりに、六個確認。飛行機が数機。撮れたのは飛行機のみ。それでも、やっぱりこの流星群とは相性がいい。確実に流れるのが見られる。

月。今朝でなく昨夜見に行ったので、邪魔しなかった。街の光の方が気になる。が、その光、徐々に弱まっていったのが面白い。街が寝静まってゆく、体の芯まで凍えそうだったが、どこか心暖まる。

《凍てる夜 ながるる星を 追い求め》


家に戻り、芋のお湯割り、写真を確認。結局、これも流れ星を撮るぞと意気込んだが、叶わず。同じことか、「ふと、××する」って事が一番なんだと追認しながら、床についたのでした。





今日の一枚:一眼で撮ったもの、ふたご座を横切る飛行機。遊水池にて、22時半から23時頃(携帯に送る際、時間を書き留めるのを忘れた)。

三升漬け その後のその後のその後

2014-12-14 10:58:38 | 徒然に想う
三升漬け、室温での発酵を止めました。これまで毎日かき混ぜてきました。たいてい、多少抵抗感があってまとまりがなかったんです。それが三、四日前から、急に解消され、今朝は容器を傾けると、一緒に傾きました。

前回の時には、いい発酵臭がしたので止めましたが、今回はさほど上がりません。香りが上がるのを待つか、何度となく香りを取りながら迷いました。つまみ食いしても、かなり柔らかったので、止めることにしたのです。

今朝のことです。例によって、散歩に出ました。今晩はふたご座流星群が極大になるとか。二つ流れるのを確認しました。相性がいい流星群ですが、極大の前に見れるとは。今夜はしっかり楽しませてもらえそうな予感がします。

…違いは。麹は同じ、材料の合わせ比率も同じ。お醤油は同じメーカーですが、違う商品。前回は有機丸大豆、今回はそうではありません。大きい違いは、大豆の有る無し。麹が同じなんだからと思っていたから、意外でした。今晩あたりから、ゆっくり楽しんでいきます。そうだ、麹、送ってもらわなきゃ!!





今日の一枚:7時半頃、冷蔵庫に入れる直前。

電車の中で

2014-12-13 09:39:06 | 徒然に想う
畑に行こう。空が青い、澄んでる。煙突の煙りも息も真っ直ぐに上る。日陰はまだ霜の色。

新日本風土記。南アルプス、高野山、国東半島と続いて、一人はまってる。南アルプスの回では、農鳥小屋のオヤジさんがでてた。この夏、縦走した際、小屋に撮影のクルーがいた。オヤジさんの水場へいってみろの一言を思い出す。冷たいいい水、頭から浴びた。

《野仏の 穏やかな笑み 雪が降る》-映像をみながら、未だ見ぬ仏に


この三ヶ所。好きなところ、好きなところ、行きたいところの順。次回はどこ? 何か示唆するんだろうか。神からの啓示と思えるようなことが起こることがある。師匠から頂いた句

『野佛の 指さすままに 枯野分く』

のよう、野佛に従うをよしとし、次回の場所に足を向けてみようか。


電車の扉が開く度、まだ冷気が足元にくる。畑もまだまだ寒いんだろな…。





今日の一枚:神社の展望台から、6時頃。
 
 
 
もう一枚:月と木星のランデブー。結構、月が明るい。五時半過ぎ、遊水池にて。ふたご座流星群のときはじゃまするなよ、と独り言。