二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

一杯のコーヒー

2017-08-16 07:30:25 | 徒然に想う

これまでなん杯のコーヒーを飲んできたろう。でも、飲んで眠くなったことなど、あったろうか。先日、どうしたものか、友人からいただいたものを朝食後飲んだら、その後小一時間ほど時間が消えてしまった。ここでの生活の中でも、よっぽどリラックスできたんだろうと思う。気持ちのいい時間だった。

そういえば、そうだ、十年前。あの頃、リラックスなんて一切考えられなかった。仕事に日常に振り回され、ストレスが溜りに溜まってた。ついに2007831日、爆発。数日前から体調があまりにおかしい。自分でも恐ろしくなって、ちょっと産業医の先生に診てもらうつもりで、医務室に駆け込む。話を聞いて様子を見られ、彼が発したのは、「さて、どの病院にするか」。そして、検査のため病院へ。検査だけのつもりが、そのまま入院。「一か月は出れんよ、キミ」と担当医。

色々なことが、こんな自分にも起きる。このカン詰め、傍かから見れば、今思えばどうでもいいことだが、大きな出遅れ・ネガティブと映ったろう。不摂生の自業自得とさえ思った人もいたと思う。が、幸いにも、自分では、重要な岐路に立てる準備をすることが出来た、と言い切れる。このカン詰状態が終わるころ、「ここ」にくる下地が完成していたのだから。とても大切な一つの人生のイベント。

はじめの数日、検査やら、点滴に繋がれ茫然自失。何かの恵みだからしっかり休もうと思えたのが数日後。福岡正信さんの本を持ち込み、読みふける。か、寝るかの日々。まさに完全休養。一通り読み終えたころ、これまでの自然観、人生観が整理されてゆき。暑いのか寒いのか、セミが唄ってたのか、風が吹いたのか、雨が降ったのか、分からないなんておかしい、間違ってる! そして今、こうやってどっぷり仁淀の流れに癒され、この自然に抱かれてる。何だろう、この幸せ。そこに、あの一杯のコーヒーがもたらしてくれたものは?



今日の一枚:玄関を出て定位置に立って。5時過ぎ。


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