二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

爛漫2

2008-03-31 05:21:54 | 徒然に想う
昨日の夕方六時頃から降り出した雨。あぁ、「シャー」という車が水をはじく音、降っている。カーテンを開け街道を見下ろすと、案の定、道は街灯できらきら輝き、まれに歩いている人も傘だ。午前中にかけ残ると予報士さん。

画像は昨日の朝。満開の桜、大丈夫だろうか。この雨に、しかも昨日は最高気温が11度くらいの花冷え。花を散らしてしまいやしないか。もう一度見に出かければよかったかも知れぬ。

今はこうして桜、桜。ついこの間までは梅の話。が、ふと気付くと雑木林の新緑の複雑なこと、複雑なこと。木の種類によって葉の出かたが異なる、葉の色も違う。軸の部分の方が目立ち茶色に見えたり、葉そのものの白っぽい黄色だったり。それこそ天然色。日々色合いが濃くなってもいくのも素晴らしい。

散歩道にある三箇所の雑木林。それぞれ表情が違う、遊ぶ鳥たちも違う。花や実用性など目だったものは持たぬが、本当に美しい、全てが合わさって春爛漫。

分かっている…

2008-03-30 18:17:51 | 徒然に想う
だけど、怒りを感じてしまう。ここは、散歩道のスタートしてから3分の1位の位置にある神社の裏手、雑木林の中。どうして、伐採するんだろう。何年もかかってここまで大きくなったんだ。それをなんの都合か知らないが…、腹立たしい。

自然林ではないから、人間が手を入れ続けなければならない。それは分かっている。だからといって、無駄に切ることはない。周りに送電線や電線があって倒れて切断の恐れもない。パイルに組み上げているんだから、薪にして使うのだろうか。

そう、結局「なんで」が見えないのだ。使いもしないで、単に、人間の仕事を作り出すためのように見えてしまうのだ。あるいは破壊・人間のエゴのように見える。だから、「手入れ」の為かも知れぬが、意味が分からなくて。庵主に説明する必要はない。でも、子供達の子供、そのまた子供たちの子供から借りてきている自然ではないのだろうか。彼らにどう説明するんだろう。

準備だって

2008-03-28 18:02:48 | 徒然に想う
ついこの間まで楽しませてくれた梅が散髪してもらっていた。しかし早くないのかなぁ。剪定は冬のような休眠期にするんじゃなかった?

実は、2日ほど前、前を通ったとき、ご主人が三脚をだして何か作業されていた。剪定とは思わなかった。まだ咲き残っていた花を活けるのかで切られているものと想像していた。梅の木をどんな目的で植えたのかによって剪定時期は決まるのだろう、きっと。

<ストレス…、ヤバい。庵主のかかった腎臓の病気、現代の医学でも原因が解明・特定されておらず、ストレスからくるともいわれている。最近暴飲暴食に走り勝ち…。まずいなぁ。>

しっかり手入れされているから、毎年きれいに咲かす。ただ、毎年やらなけばならない。梅の木、そのものにまかせたらどうなるんだろう?サッパリしてもらったお礼、あんなに盛大に花を開かせるんだから。でも実をつけられないのはストレスにならないのかなぁ。

連鎖

2008-03-26 09:36:17 | 徒然に想う
ツバメ! ついに今年の第一陣が庵主の住む町にやって来た。桜も勢いよく花を開き満開とは言えぬが見事。ヒヤシンスやボケ、モクレンなどなど。花が咲き乱れている。確実に、絶対に春。

小五郎のハナ。黙ってシャッター切ったら「勝手に写真撮るな」と吠えた。「すまん、すまん」と頭なぜたら、降参とお腹を見せた。かわいい友人の一人。

暖かくなったせいか、散歩人が多くなってきた。中には挨拶を交わす人もいる。挨拶だけだから友人とは言えないだろうが、全く知らない同士が挨拶を交わす。そんな風景が気持ちがいい。今朝は四、五人の散歩人と「おはようございます!」

春霞がかかっているのか、スッキリ晴れている感じではない。なんとなくボンヤリしている穏やかな午前の風景。

予期せず

2008-03-25 10:00:12 | 徒然に想う
濃霧の為20分ほど電車が遅れている。朝の様子は美しいだけだったんだが、これほどの遅れがでるとは思いもしなかった。電車を待っているとき、ふと昨日のニュースを思い出した:

黄砂。黄砂の到来を春の使者だなんて喜んではいられないらしい。はるか昔から、ずっと黄河流域から日本海を越え渡ってくる。ちょっとしたロマンを感じて春の使者として受け止めていた。

問題なのは重金属。それを吸着しながらやってくること。しかも、その長大な旅のうちに粒子が細かくなるんだそうな。つまり日本列島に来るころには体内に重金属を持ち込む使者と生まれ変わっている可能性があるのだという。

春の使者が重金属を取り込む使者になるとは、なんてこと…。ロマンなんて微塵もない。大気がそれほど汚れているのかと驚く。

こんなところにも

2008-03-23 09:28:22 | 徒然に想う
別に探したわけじゃないんだけど、ひょっこり顔を出していたのを見つけた。いつもなら、散歩の後半でほとんど歩くことに専念しているところにある公園の植栽のなか。あらっと、一旦は通り過ぎたのだが気になって戻ってみた。あんなに探すとないのに、こんなもんだわな。

数年前、カルフォルニアのナパ・バレーにワイン仲間6名で出かけたことがある。ちょっとマニアックな作り手でGrace Family Vineyardsというのがあって、それを見つけたら飲もうということになっていた。三、四日の日程なので初日から昼や夜やレストランに入ると躍起になって探したてみた。で、結局駄目で、もういいかと投げ出した最終日、夕食で入ったファミレスに毛が生えたようなレストランで、なんと$200程で飲める。それまで、そこにはないだろうとずっと外し続けていたところだったから…。期待通り、上手いカベルネでした。

「何気なく」とか「ふと」ということが、ほんといい発見になる。

ついに、

2008-03-22 20:23:41 | 徒然に想う
確認!! 午後、19度近くまで上昇、4月並みの暖かさに、開花した。やっぱり、美しい。

が、このあと、陽気に誘われ川沿いを西に上流へ向かって上っていった庵主が目の当たりにしたのは、なんと、もう七部八部咲かしている桜、桜、桜。テロワールというか、マイクロクリマというか、ほんの数分歩いただけで全く状況が違う、驚き。

いつも歩いているところは、川の南側が丘陵のようになっていて陽が昇ってもすぐには光が当たらないし、おそらく冷気も溜まりやすい。一方、咲いていた場所は、道を挟んで住宅地だがほとんど平坦地でより日光を浴びれる。寒暖の差は大きくても、春の陽気は直接受けられるにちがいない。きっと、そんな状況がいっぺんさせたのだろう。

面白いことに、さらに上流に十数分。また南側が丘陵面になる。案の定、またツボミだけ。まったく、自然ってのは頼まれもしないのに、何も言わず楽しませてくれる。庵主は、大きな公園に入って大きく深呼吸した。

これ…

2008-03-22 08:59:20 | 徒然に想う
探していたんだぁ。ヨモギがあるから、必ずあるとふんでいたんだが、なかなか見つけられなくて。でも、今朝、やっと見つけた。何気に見た公園の土手で。ツ・ク・シ。

ずっと、梅や若葉だとか上ばっかり見ていたからね。足下の春を見過ごしがちだったかもしれない。が、そもそも、数が少ない気がする。子供の頃はどこでも見つけられた。嫌ってくらい取っては、オフクロに頼んで卵とじにして食べ、余らし怒られた。時期が早いってこともあるまいし、目のある人に既に取りつくされてしまったのだろうか。除草剤が使われている?それとも、ヨモギから想像した酸性土壌ではなく、アルカリ性? 自分が子供の頃の目を失った?

加島祥造「求めない」を何気に読んだ。福岡正信みたいなものの見方をしている。発見は何気ないところにあるのかもしれない。気付いたら、木蓮かコブシも綺麗に白い花を咲かしていた。桜はまだだった。午後もう一度出てみよう。