二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

散歩

2007-11-28 09:13:55 | 徒然に想う
ここ数日、朝の散歩に力が入る。日の出前あたりでもさほど寒くなく気持ちがいい。しかも、応援団といっしょだ。


オレンジ色のパーカーを着て歩く。ガシガシ、歩く。だから、腕の部分と脇とがすれる音が結構する。それが、不思議なことに、「ガンバって、ガンバって、ガンバって…」とずっと声援のよう。


昨日、夕方在宅をいいことに早めに仕事を切り上げ、O町の農場へ。送別会だ。帰り道22時頃こんなメール:

食卓を囲んでいると家族を感じる。オヤジがいてオフクロがいて。研修生の息子たち、その家族がワイワイガヤガヤ。今月末一人の研修生が旅立っていく。送別会の宴。あぁ、この和の一端として自分が居る、いられる。なんて幸せなんだ。
<引用了>


そう、早く完全に復帰したくて、体力を取り戻したくて、力が入っている。主治医は、感染症に注意すれば筋力回復は問題なしとお墨付きを出してくれている。来月になると、また薬の服用量が減る。また、更にチカラが入りそうだ。

印象…

2007-11-27 09:34:43 | 徒然に想う
携帯の写真を整理していた。何じゃ、こりゃ? 数日前の富士山。大きく見え、かっこいいなぁと思い、写真を撮った、はず。

同じように、朝陽や夕陽が大きくみえることがある。で、映像で残し、後で見てみると、どうもその大きさやスケール感がない。科学的な説明や撮影技術の問題はこの際どうでもいい。大きく見えた富士山・朝陽・夕陽が事実なのだろうか。それとも、写真で残ったもの、どちらだろう。

はたして、同じ風景を二人並んで見た場合、その人にはどのように映るんだろう。やはり大きな富士山であり、大きな朝陽だろうか。だが、そうだとしても、どうやって確認する?事実を伝えるとき言葉で表現することの限界があるように、映像にもやはり限界がありそうだ。どうやって事実を伝え合う?

伝え合おうと言葉や映像で切り出したことで、事実が消失してしまった? だとしたら、切り出してしまうことに意味がない。だが、文明は事実の記録を残し続けている。はたして…いったい。

久々の…

2007-11-26 09:06:36 | 徒然に想う
畑、ずーっと感染症のことが頭をよぎり、なかなか足を向けられなかった。が、昨日、となり町にある自然農の農場見学にいくというので、一緒に連れて行ってもらおうと出かけたみた。行きと帰りの電車の中で、思いを書いている。何も編集しないまま…


行きの電車の中より:7時過ぎ

この思いを忘れない。ここ三・四年カミさんには毎週日曜日出かけろくすっぽ何もせず、いやな思いをさせた。完全寛解となり、またO町。行ってくると先日言ったときの嫌そうな体を気遣ってなのかの複雑な表情。悪いと思いつつ、こうして出かけている。ほんと、ありがとうだ。

<引用了>


帰りの電車の中から:19時半過ぎ

3ヶ月ぶりの作業。A君と三番ハウスのマルチ。一畝冠水チューブ二本、四畝たてる。二の腕、筋肉痛気味に。筋力の低下著しい。その前に水やり。それらの作業が出きる。嬉しい嬉しい。感謝の限りである。それらをやらせてくれたTさん夫妻、農場の皆さん。出かけることを分かってくれたカミさん。ありがとうございます。

ここまで回復してます。後はゆっくり筋力を取り戻す、行動に移していくだけです。

これは生き方です。

<引用了>

朝の分は致し方ないとしても、夜のメールに見学会のことがなんら書いていない。自分でも、こうしてみると、畑に行けたことがうれしかったのだろう。

今朝の散歩に力が入ったのは言うまでもない。

炊き上がる?

2007-11-23 10:10:30 | 徒然に想う
やれやれ、朝方散歩に出かけるとお腹がなってしかたない。あまぁ~い香が漂ってくる。ご飯の炊き上がり?蒸気が吹き上がり、お釜がカタカタ。白い割烹着のお母さんが忙しなく台所を右へ左へ…。もう、まもなくだ。エノキの香り? あぁ、ごま油ねぇ。歩いていてもどんどん伝わってくる、目に浮かぶ。で、グゥとなる。

ところで、お釜がなるって、わかってもらえるだろか。庵主も四十年近く昔の子供頃の風景。今どき電気の炊飯器しかなく、蒸気はふいても、蓋はなりはしない…。そういえば、おこげの香りもなぁ。となると、この描写は伝わってない…。

ここ何日か、表現することの意味を考えている。はたして、ほんと伝えよう・伝えたいものは伝わるのだろうか。表現に使った言葉が個人でまちまちに理解されたとしたら、意図したことは伝わらない。意図したことが伝わらなくともよい、一つのことを確実に伝えることはない? 言葉の定義という障壁? 

伝えたいものにもよる…。伝えようということが無駄であったんですね、きっと。表現を否定するのではなく、伝えるべきものが「一つ」なら、伝えようとする必要がない。だって、伝える前に共有されている。

無残…?

2007-11-21 11:16:08 | 徒然に想う
ぎょっとした。目に飛び込んできたものが、普通でない。むごい、ひどい、可哀想。

庵主の目には最初そう写った。どこか引っかかるものがあって、歩くペースを落とし、ゆっくり考えた。はたして、むごく・ひどいことなのだろうか。

まず、食べたことで生を持続できた者たちがいる。それは特別なことでもなく、我々でさえ毎日やっていることとなんら代わりがない。いわゆる食事をしただけだ。食べたほうにも食べられたほうにも、食事という行為には酷いも惨いも何もない。生き物の生命の持続の過程のある一瞬に過ぎない。

ならば、その跡をみて、酷い惨いとはどういう了見だろう。昔習った弱肉強食とか、食物連鎖を想い、自然の過酷さを嘆きたいのだろうか。どうして、そういった感情的な言い方、受け方をするのだろう。

自分をそのような自然に対して傍観者にしている? 人間は特別で弱肉強食の最高点に位置しているので、傍観を許されていると思い込んでいるからじゃない? でも、人間もその自然の中にいるでは? 読むな、読んだらすぐに忘れろと福岡正信は言う。が、考え始めると…、彼の言いたいことを理解したくなる。

電車からの眺め

2007-11-20 15:08:28 | 徒然に想う
一昨日の木枯らし一号のおかげか、空気が澄みわたり、丹沢山系から富士山、奥多摩、秩父・武蔵の山塊までずらっと見えた。さすがに浅間山、赤城山は雲のなか。山並みの明淡はくっきり。雲は低く感じ、白と灰色がはっきり。それでいて、どこかバルビゾン派か、写実主義の絵を見ているよう。

正直こんな日は会社になんか向かいたくない。途中の駅で乗り換えて、西に行ってしまおうか。


昨日は出勤日。そんな光景が、会社に向か電車から見えた。

仕方ないから、その風景の一瞬を記憶し、その一瞬をメールにして友人に送ってみる。送った後、ふと思った、どうしてその一瞬だったんだ…。きっと、今まで見たことのない何かがあったからにちがいない。だが、同時に色や形を単語に置き換えた。その友人と共通の理解をその単語に持っていたろうか。私という個人の経験の中で比較をし、私の定義で単語を並べた。はたして、これは何をしたのだろう。

寒気“暖”

2007-11-18 10:42:16 | 徒然に想う
この冬初めて平地でも雪が積もるかもしれないと天気予報。天気図の上に、マイナス6度の線が日本海に沿うようにしっかりと書いている。外暗し。底抜けに、寒いかなぁ。… フリースを着て意を決し、いざ散歩に出発。


手袋もしっかりすればよかった、指先が冷たい。道の脇の畑も寒そうだ。確実に霜が降りている。白い。ホウレン草だろうか、その種を蒔いた後の足跡が美しい。白と土色のコントラスト。ちらちら、雑木林ごしに朝焼けの輝き。きれいなオレンジ色。猫たち、小さく丸くなって動かない。白と黒の毛糸玉。

神社の参道を登っていくと、ドンと光の強さを感じた。すごい、まだ雑木林ごし、上りきっていないのに、そのチカラたるや…。神社の展望台、太陽はすっかりあがり、全身でそのエネルギーを受ける。


川べり。柴犬と散歩しているオバアチャン、「おはようございます」。その一言で、すべての寒さが吹き飛び、暖かさに包まれた。「おはようございます!」

2007年ヌーボー

2007-11-16 14:04:34 | 徒然に想う
毎年この頃になると、庵主の血も騒ぐ。今年のヌーボーはどうかな?

朝テレビをつければ、ニュースで、ボジョレーのどこかの村のプロモーションだかのお祭り騒ぎを映し出していた。まったく大騒ぎ。気持ち分からないでない、というか、むしろ混ざって一緒に騒ぎたかった。

新酒なんだから、大騒ぎなんてしないで、例えば杉玉を軒先に飾るとか、静かに祝うほうが奥ゆかしくていいかと思うけどね。狩猟民と農耕民の違い?


で、今年のは…。毎年同じ気に入っている、ヌーボーなんだけどしっかりした感に仕上げて来る作り手のを飲むんだけど、う~ん、いつもよりスレンダーな印象だなぁ。ワインですから、美味しく楽しめたんで、最高でした。

晩秋の桜

2007-11-14 08:56:53 | 徒然に想う
散歩のコースに川べりのところがある。両サイドが桜の木だ。今は勿論、黄や赤やの葉だけだが、朝陽の夕張メロンのオレンジとも似た光に照らされて幹と共に、春にはない美しさだ。

暫くすると、彼らは全ての葉を落とし、春へと眠りに就く。葉も何もない幹だけの姿は時には寒々しい、必要最低限の活動のみを思わせる。もうすぐだ。

彼ら、寝ているんだろうか。あの満開に花を咲かせる姿を思うと、寝てなんかないだろう。エネルギーをひたすら蓄え、その時に備えようとしているに違いない。誰が決めたのでもない、教えたのでもない。温度や湿度や彼らを取り巻く環境の下、何もしないで、そのようになっていく。花や葉や幹がきれいだとかも、彼らには関係ない。ただ、そのときに応じて、自然とそうなる。

先日、放射線だか何かを使って黄金色の蕾を持つ桜を「作った」というニュースが出ていた。桜にとって人間にとって何の意味があるのか、人間が桜を操作していいのか、考えさせられてしまった。桜のことは桜に任せ、人間が余計な手出しをしてはならないのじゃないかと…。

クイーン

2007-11-13 07:04:32 | 徒然に想う
散歩をするとき、iPodで音楽を聴くことが多い。昨日はクイーン。ラストのCDが流れ始め、まさにIt's a Beautiful DayからMade In Heavenと続くタイミングのところで、僕は段丘面の林の中の小道を下り終え向こうに川が流れる場所に出た。

朝もやが、静かに立ち上っている。It's a Beautiful Day 丁度、太陽が、日の出から暫くたち、やっと団地やそれを取り巻く林の上に、顔を見せる。Made In Heaven 

う~ん、絶妙!

静かに静かに朝もやは形を変え、朝陽が当たる場所も広がっていく。振り返れば、雑木林は顔を上気させ赤い。静かにBGM。美しい一日の始まり。朝陽に促され、うきうきと森羅万象が活動開始。

自分もそんな森羅万象の一個と感じるひととき。