朝日新聞デジタルの記事、2012年4月26日0時16分配信。以下抜粋しながら:
米中部で起きるマグニチュード3以上の地震が、10年前に比べ6倍以上に急増していることが米地質調査所の調べでわかった。もともと地震があまり起きない地域。研究チームでは、日本でも輸入に向けた動きがあるシェールガスなどの採掘活動などに伴う「人為的な地震」ではないかとみらている。
そのエリアではM3以上の地震は、2000年までは平均年21回。それが昨年に134回、なんと6倍以上に増えた。しかも史上最大級も二度観測。研究チームは「自然原因とは考えにくい」とし、この地域で増えているシェールガスや石油の採掘との関連を指摘する。
こういうことらしい…。
採掘では大量の廃水が出る。それを高圧で地下に戻す。つまり、この水が、断層の隙間に入り込んで滑りやすくなり、地震が起きやすくなった。
これが事実ならば、なんと愚かなこと。当然因果は証明されないから、誰かの私利私欲のため誰かが被害を被っても見向きもされない。結局次代、次代の次代、そのまた次代が被害を受けることになる。所詮、持続可能性なんて、目の前のニンジンにはかなわない、ということなんだろう。これを愚かと言わずしてなんとしよう。
今日の一枚:一昨日の朝の映像、ホー頬痩けちゃうのウグイスの家近く。五時二十分過ぎ。
「おはようございます!」
「おはよう」
《朝収穫 農夫の手もと 春みつる》
今日の一枚:神社下の公園の駐車場にて、五時過ぎ。
追記:家を出るともう青の時間。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b8/03fb49b4dab6440bae0aa8e83e9cb3ff.jpg)
遊水池の湿地帯、黄菖蒲が咲く。昨日はまだ開ききっていなかったが、今朝はご覧の通り。ネットで調べると5月上旬あたりから咲くのもらしい。が、この写真を撮っている庵主はフリースを着てる。それでいて、ちょうどいい。先日が穀雨だったから、次の二十四節季は立夏。暦では夏も近づいてきているというのに、どうしたものか。
仙台にいった年のことを思い出す。初めて過ごす東北の街での生活は寒かった。いつまでたっても炬燵はしまえないし、ドテラも手放せない。神奈川出身の同級生はGWを過ぎてもダウンを着ていた。それに匹敵するくらいだ、いつになったらキチンと冬ものをしまえるか…。
先日床屋に行ったとき、女将さんがしみじみおっしゃる。「昔は今年のように4月になって桜は咲いたものでしたよね。ちょうどこの辺りは入学式ころ。それがどんどん速くなった。今までがおかしかったのか、今年が正常なのか、どうなんでしょうね。」
≪しんしんと 花降り積もる 城の址≫
小学校の入学式のとき、職員室の前にある桜の木の下で母親と並んで撮った記憶がある。子供のころ、冬は冬、春は春らしく、夏は夏らしかった。それがどこかから、変わってきた。ゆっくりとした変化だから気付けなかった…。来月にはちゃんと夏らしくなってくれるんだろうか。
今日の一枚:5時45分ころ、遊水池にて。二枚目は神社の裏手、6時20分ころ。
先週の日曜、5月のお遍路の装備を点検してみた。その時のリスト。総重量10.2キロ。前回から大幅ではないけれど軽くなった。ザックをミレーの40Lに変え、防寒具がないくらいか。もちろん、当日身につけているものもあるので、背負う重量はもう少し軽くなる。
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半袖Tシャツ(x2)
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下着(山用x2)
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靴下(山用x2)
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行動時のシャツ(ユニクロの長袖x2)
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ズボン(ひざ丈で半ズボンにできるようになっていて、ポケットが多いパンツX1)
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雨具(セパレート・タイプの上下)
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ジャージ(下)
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タオル(水泳用x1、普通のものx2)
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スポーツタイツ(CW-X)
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ヘッドライト(単4x3、山用)
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携帯の充電器
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カメラの電池の充電器
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GPS用の電池の充電器
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予備電池(単3x4、単4x4、カメラ用x1、GPS用x2)
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目覚まし時計
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櫛
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洗濯バサミx3
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歯ブラシ、歯磨き粉
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洗剤x4
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エマージェンシー・シート
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細引き(1.5メートル)
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マキロン
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バンテリン
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胃薬
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液体バンソウコ
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爪切り(意外に忘れがち。ないと困る。)
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GPS(ガーミン)
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コンパス
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メモ帳
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ボールペン(行動時用と予備)
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マジック
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「わら一本の革命」(B5判180ページ)
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iPod
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防水地図カバー
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財布、家の鍵、スイカ、小銭入れ
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ザック
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ナップ・バック(さんや袋の代わりに)
お参り用品(白衣と金剛杖以外)
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納経帳
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納め札
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般若心教
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地図(遍路みち保存協会編)
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お線香
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ろうそく
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ライター
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お賽銭(5円玉で、700円分)
課題:
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6の雨具。前回の反省からポンチョをやめてセパレートタイプのものを持っていこうとしている。気になっているのは、蒸れるじゃないだろうか、着たり脱いだりがめんどくさくないか、ということ。だが、上着はウインドブレーカーとしても使える。一方、ポンチョは前回の経験では蒸れることはなかった、気軽に着ることができた。ところが、ポンチョは雨具としての機能しか(野営することを一切想定していない。万が一に備えてレスキューシートをもっていく)ない、利便性に欠ける。大したことじゃないかもしれないが、少しでも荷を減らしたいのでつい考えてしまう。
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9のスポーツタイツ。ズボンは穿いていくもの以外持っていかない、邪魔だから。代わりになるものとして穿いていくもの以外に一本いれるか。
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37のナップ・バック(さんや袋の代わり)。この中に入れる物の防水。
もう少し、無駄を絞らなくてはならんだろうなぁ。
無理してたと思うけど、無理しないよう。入院してたときの事やその前の事、忘れないように。お大事に。
先生から頂いた言葉。しっかり頭に叩き込みました。仕事をハードにしたり、ストレスがたまるようなことなぞ、決してするもんですか!
これで、やっとすっきり御礼詣りに出れます。
《囀り満ちて 明けゆく空の 青さかな》
四十雀、最近はカワセミも切り通しを下ると盛んにさえずっている。今朝思わず吹き出してしまった。もちろんウグイスもその仲間に入っているが、ある一羽の歌い方ときたら。大概は「ホー、法華経」。ところが、そいつときたら、悩みでもあるのか、はたまた、腹が減っているのか、「ホー、頬痩けちゃう」ときた。ずっとなんていっているのか判らなかったんだが、今朝ようやく聞き取れた。
昨日はカモの番を見送り、桜は葉桜。
《幽寂の 老桜一本 我誘う》
去りゆく、移りゆく寂しさに包まれ、足を早め家に向かう。来月は遍路を再開。自分も変わりゆく。
今日の一枚:昨日散歩コースに出たはかり、切り通しに向かう畑道にて。4時半過ぎ。
…うん? なにか足りない。
歩いても歩いても、カワセミの川から、公園の池から、遊水池から、その声がしてこない。どこも静か。
そうか、ガーコラ、ガーコラか…。
ようやく神社が向こうに見える様なところまで行って、川の方から、つがい一組、ガワッ、ガッ。と近づく。ヒュンヒュンヒュンと羽根を鳴らし、頭の上、旋回。そして、振り返ることなく、どこかへと飛んでった。
「また来年、じゃあな」と挨拶していきやがった。おぅ、またな。気をつけて!
《寂寞か カモ空に消ゆ 霧の朝》
今日の一枚:鏡のような遊水池、五時五分前。
鳥たちの囀り、一体何種類あるか、指折り歩く。一、二、三、四、五…。静かだから、よけい聞こえしまう。個体差もあるだろ。訳が分からなくなる。
こんな春の朝は意地が悪い。鳥から別な物に変えたところで、結果は同じ。葉の色は何種類? 一、二、三、四、…。花の種類…。いつまでたっても何も数え上げられない。
一、二、一、二。小母さんがゆっくり走る。神社下の公園入り口、鉄道高架下。電車が過ぎ去った。ヒラリヒラリと、一枚桜の花びら。
《静かなり 花の散る音 足止まる》
今日の一枚:五時五分過ぎ、神社下の公園入り口にて。
《マジかよと アジサイ一鉢 花曇り》
今日の一枚:8時半過ぎ、オフィスへと病院の最寄り駅に向かう途中、床屋さんの軒先にて。
今年の桜は無性に美しい。それが昨日の雨や先週の雨風で一気に終わりになってしまった。木の下を歩くとはらはらと花弁が舞ってくる。まったく、こちらじゃ、涙がはらはらと溢れそう。
遊水池や土手を歩いているときには、ウキウキ、足も軽かった。番いのカワセミが上流へと、下流へと飛び回る。シジュウカラたちが囀って、コジュケイ、ウグイス。遊水池の木々も盛んに芽吹き、そこにイヌムギが、ヘラオオバコが顔だしてきた、のに…。
原発の再稼働と電力不足。これを同時に議論すると、おかしなことになる。ところが政財界のお偉い方たちの話やニュース、インターネットの見出しなどから察するに、一つのこととして語られている。どうしてだろう。
木の下の小道は薄いピンクの絨毯。昨日との温度差だろうか、霞が幽かに立っている。この微妙な儚い美しさ。その情景に目を向けてみたらいい。原発は一端を何か起きてしまえば、周囲にあるそんな美しいものを一気に封印してしまう。それも一代限りじゃない。彼らの子供や孫たちからも奪うことになるのに、金に目がくらんでいて見えなくなっているかもしれぬ。
≪花散りて 大地ため息 雨降りやむ≫
今日の一枚:小五郎の家の側を流れる川の桜並木にて。ここはカワセミの川のところのものよりもまだしっかりしている。多少日当たりが悪いから開花が遅かった。7時40分ころ。