二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

再び

2013-08-31 18:09:42 | 徒然に想う
こんな所にも、神=自然はある。なにも空だけじゃない。他にも沢山あるはず。どこをどう間違って、そんな場所を忘れてしまったのだろうか。





今日の一枚:5時45分頃、神社下の公園にて。
 
 
午後から小川町の畑へ出る。先週行けなかったから、二週間ぶり。日が短くなっていた。ピーナッツ・カボチャを10個収穫。まだまだ収穫できる。

種どりするか…。ノラ・カボチャをにするか…。


《秋風に 影長くなり 汗片す》

秋の気配

2013-08-29 07:47:15 | 徒然に想う
ここ数日の朝の涼しさは、すっかり秋。半ズボンにTシャツ一枚では薄着過ぎ。ジーンズにTシャツ、一枚スポーツベストを羽織ってちょうどいい。そのせいか、蝉たちの声が日に日に小さく、コオロギたちのが大きくなる。あと数日で月が代わる。8月末ってこんな感じだった、か。昼間の暑さだけ見ていては…。


《忍び込む 新涼布団 ひっかぶる》





今日の一枚:5時24分、JRの跨線橋にて。内回りの架線の電柱の上に太陽。これが間もなく、外回りと内回りの真ん中あたりに顔を出す。

天命

2013-08-28 19:37:47 | 徒然に想う
そうなのだ、月が替われば、天命を知る年になる。先日も同期とランチをしながら話したのだが、子供の時分に想像していたのとは全く異うものだ。なんでこんなに物を知らす、幼いのだろうと肯き合う。

天命をしる、その出どころは、言わずと知れた『論語』。孔子の言葉として「五十而知天命」という表現。これを調べたら…。「天命」には「使命」と「運命」の両方の意味で用いられているとか。で、論語のこの表現を巡って、《運命》(自分にはこれだけしかできない)ということを意味しているのか、それとも《使命》(自分は人生でこれだけはしなければならない)を意味しているのかで解釈が分かれるんだそうだ。

書き出しで、自分はどちらの意味を念頭に描いたか。これだけしかできないと言えるほど、何かに取り組んできたわけじゃない。かつての経験にどっかと胡座をかいたに過ぎない。新しいことに、新しい状況に対応してこなかった。この五十年で何も出来ず、この先これまで生きた分をもう生きれない。何が出来よう。

かといって、このまま、胡座をかき通し、今の生活にしがみ続けるか。そんなことをして、残りの時間を無駄にはしたくない。絶対後悔する。なら何に時間を費やすか、何をしなければならないのか。

その「何」が問題、わからない。だからこそ、しがみつくのを止める。それを見極めなくてはならない。「使命」を求めなければならない。…あの水棲生物のように。





今日の一枚:カワセミの川に向かって、切り通しへ。4時半頃。

静かに語らねば

2013-08-28 00:14:08 | 徒然に想う
昨日の続きで、綺麗なものが見られるとはしゃいでいたら、そうは問屋がおろさなかった。世の中、予期せぬ事が起きる。

会社に向かう道中、「綺麗なものって?」なんて考えながら、つり革に。結局、それは「綺麗」「醜い」という「区別」の話になって、例の「貴賎の心」に行き着いてしまう。だいたい、「不垢不浄」と四国で何度唱えてきたろう、というところで降りる駅につき。昼休みに続きにと、なんて。

で、朝のドタバタを片しメールを整理してたら…。以前の上司から、一通。かつて彼の下、一緒に働いていたヤツが、国が難病指定をする多系統萎縮症の一つにかかったという知らせ。それは発病から5年ほどで車椅子使用となり、10年ほどで臥床状態から亡くなることが多いといわれてる、とか。なんとも言葉が出ない、続かなくなってしまった。

つまるところ、人生、何が起こるかわからない。後悔、先に立つことない、やりたいこと、ちゃんととやっておかなければと…。彼に幸あれ!






今日の一枚:5時過ぎ、跨線橋辺り。百合の向こうはニンジン。

夜明け礼賛

2013-08-26 18:56:44 | 徒然に想う
年に二度、夏から秋、冬から春に移り行く時季、神社を出たとこのJRの跨線橋辺りで、素晴らしい瞬間に出会える。線路が走る正にその方角から太陽が昇ってくる。それが線路を、架線を、両側の壁面を、同時に黄金色に輝かせるのだ。

インカの人たちは黄金に神を見る。神社の柱は朱に染まる。どこか忘れたが、古い時代、青に神を見る。それはまるで、夜が明け陽が昇る時の色の風景。朝を迎えるのは奇跡だった、か…。朝がきたことを感謝し、その日の恵みを祈る。

青の時間に歩き出し、陽が昇って行くとともに進んでゆく。そして黄金に輝く木々、森羅万象を目の当たりにする。あと数日で、そんな時を迎える。

《露滴り 小さき花の 神いずる》





今日の一枚:跨線橋を過ぎたところの畑、韮の花が盛りだ。今朝5時半。
歩き出した頃の青。火星に木星、シリウス? 久しぶりに星が見えた。

暑さ…、もういいんじゃない!

2013-08-22 19:06:45 | 徒然に想う
散歩に出る時間、まだ街灯がついてる。すぐに明るくなろうが、雲が厚いせいか蜩さえ鳴いてない。足元からの歌が増えたなぁ…。カラスも鳥たちも静かなもんだ。

また、草が伸びた、伸びてしまった。昨日の印象と比べて、倍とは言わないが、そんなレベルにまで達してるのがある。これで今週末、また草と格闘だ…。

脳は勘違いをする、ようだ。高熱を出し寝込んだ時や後、起き上がると、フワフワしたような、平行感覚がちょっとおかしくなることを覚えているだろか。最近、昼食に外に出たり、オフィスを出てしばらくすると、そんなフワフワ感にとらわれる。オフィスの寒さに比べ、外の酷暑。それで脳が勘違し、熱をだしたときのような錯覚に…。

秋咲きと言うんだろ。散歩コースから花々が減ってきたと思っていたら、ポツリポツリと咲き出した。ただなんというか、暑い時季を経ているせいか、色がパッとしない。萼がすぐに褐色になり始める。この暑さは花にも過酷なんだろう。人間にも過酷。ただ、明日は処暑。暑さも穏やかになる、はずだ。





今日の一枚:神社とマンションの中間点。5時半頃。

スナップ・ショット

2013-08-18 16:21:38 | 徒然に想う

畑に行く。相変わらず暑く、午前中で草取りを投げ出した。昼飯をとり、日陰で小一時間昼寝。ツェルト張りの練習をして、早々に切り上げた。

帰り道、高坂あたりにて田んぼが広がる。

《頭垂れ 直ぐに時季ぞと 田の実り》





今日の一枚:畑に向かう道のわき、上横田。七時五十分頃。

 

追申:昼寝から覚めて、ぼーっとしてたら、お客さんが膝上にチョコンと。意外に重い。

《膝トンボ 小さきものの 重さ知る》


『ある生き物の選択』、もう一つの読後感

2013-08-15 19:04:22 | 徒然に想う
ストーリーを話すと、あのXが手を放すと決心するに至った経緯と気付いた後どうなったか、誰もが知りたがる。なぜなら、みんな手を放したい、けれど…。けれど、なんだ。結局、最後に悲劇がと想う。やってもダメ、無駄だったと。たぶん、そう、Xの周りに居た者たちと自分とを重ね合わせ、あの時、手を放すと決断しなくて良かったと、自分を納得させたいことを持っている。しがみ続けたことを正当化したいんだ。

Xに取ってしがみつくことを止めたのは正解、それ以外の何でもない。それは誰かの指図でなく、自身で決めたんだから。一輪の花が咲くのとなんら変わりない。経緯なんて関係ない。

もちろん、花一輪、一輪違う。同じ枝にあろうがあるまいが関係ない。同じ枝だと同じだと思う、同じ結果になるだろうと思う。しかし、現実は同じで始まるのでなく、違うから始まる。同じ枝でも開花のタイミングは全く違い、同じ結果にならない。

違うから自分で決める。それでイイじゃないか。その後、成功も失敗もない。決めたのは自分なんだから、決心し実行に移した後、失敗したなどと後悔するようなことはしまい。他人からみた成功、失敗という事が何になろう。そう、そこには他人の目というフィルターがある。Xはそれを取り除けた。だから、最後に気付いた後どうなったか、書かれてない、書かれるはずがない。結果は解らない。

経緯や結果より、Xの生き方そのもの、一輪の花ような生き方、それだけを想えば十分。





今日の一枚:JRの跨線橋を越え、初めてウグイスの姿を捉えた畑のそば。ノラ朝顔を狙う。5時半頃。