先日ネットで野菜の販売に関し先達たちがどんな表現されているか検索してて、愕然としてしまった。農「業」、「なりわい」だから、売るために何をどう言おうと虚偽や間際らしいことを言わない限りおとがめはあるまい、何を言おうと自由。例えば、自分の野菜作りにラベルを付けるとしてみよう。有機農法、自然農法、慣行農法とか思い浮かぶ。
何が愕然としたかって、これらのラベルは自分のやり方を説明するには意味はある。が、そのラベルを付けたことで、出来上がった作物に優劣などありもしないのに、さも「私」の農法(自然農法と書いてあった。自然栽培じゃないですよ)に則った「私」の作物は優れていると言わんばかりの表現が並んでたからだ。しかも、それを「私」の会員様方が殺到し、会員でない場合、なかなか購入できん。買いたければ、会員になりんさいと暗に仄めかしてさえいる。
ある方が教えてくださった(もしかしたら真意とずれてるかも)のだが、「はやし」と「もり」の違い。もともと自然にあるのは「もり」、そこに人が手を入れると「はやし」になる。「はやし」っぱなし(放ったらかし)にしておけば、いずれは「やぶ」になる。耕作放棄地を思い浮かべてみよう。ずっと昔は自然の土地だった。人が来て、畑や田やだと手を入れた。時が過ぎ、高齢でよう作らん、街にでるとかで、手を入れなくなった。「もり」が「はやし」に、そして「やぶ」に・・・。
ところが、当該サイトの圃場の映像と説明をよく見れば、書いてることと映像が支離滅裂。というか、ホッタラカシトいうことと自然はまったく違うのに、この二つが混同されている。好意的に言えば、ホッタラカシの状態を野菜たちが受け入れたにすぎない。だのに、自分の農法での野菜は他と比べてと、その優劣を言及される。そもそも、自然の中(どんな圃場だって自然の中に置かれてる)では優劣なぞ存在しない。ハッキリ言っておくが、弱肉強食という言葉ですら決して優劣のことは指してない、あくまでも自然界のシステムを表現してるに過ぎない。なのに、「自然農法」をうたいながら、優劣に言及する? 一体どういうこと? あれぇ、やっぱぁ、希少性に付け入ってぇ、お金儲けですかぁ。自分の農法も確立してないのに、すみませんねぇ。
今日の一枚:今年、ほんと最後収穫したブンタン。樹で熟成したもの。明日朝いただきます。お昼を食べに帰るとき12時頃。