二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

門外漢の杞憂

2008-11-30 10:47:35 | 徒然に想う
太陽が顔を出し公園の落ち葉の上にもやっと陽が差し込んできた。見ていたら、キラキラと輝く、細い細い糸。無数に縦横に落ち葉と落ち葉の間に架かっている。境内のクヌギの表面にも、同じような細い糸。そういえば、川辺の雑木林に入ったときも、何度か何か顔に引っかかるものがあった。無論クモの巣ではない。では、何だろう。

以前田植えを手伝った翌朝行ってみると水が張っているのに、クモの糸が数多く架かっているのを見たことがある。それと同じではないだろうか。クモは空を飛ぶ。お尻から糸を出して、それを風の流れに任せて移動するのだそうだ。その結果が、ああやって落ち葉の上や樹の表面に残ったに違いない。美しい。



先日来、気になっていることがある。農家の大規模化と農地の保全、結果として自給率の向上につなげる為、農地借用を原則自由化するというニュース。これからは(農業法人ではない)株式会社も借りられるようになるという。株式会社の目的は利益追求。それがどう働くか、土地がどんどん殺されてしまうような気がしてならない。上手く行くかどうか。子供たちの子供たち、その子供たちに土地はあだろうか。

ゆっくりと

2008-11-29 08:45:50 | 徒然に想う
静かな風のない朝。まだ薄暗い朝の川面から朝もやがユラユラ。会社が休みだと、遊水地をいつもなら半周でやり過ごしてしまうところを余計に一周回る。そんなことを今日もしていたら、幻想的になってきた。

赤みをさしてきた鏡のような水面に水鳥が、静けさを破り波紋を作る。朝もやが穏やかな風に誘導されて渦巻いたり土手を登ったりする。そんな情景をそのままたたずんで見ていた。

22日が二十四節季の小雪、冷ゆるが故に雨も雪となりてくだるがゆへ也。そして今日、三の酉だそうだ。別に商売をしているわけではないが、酉の市だというと、暮れの慌ただしさを思ってしまう。いつの間にか…。

慌ただしい中でも、ゆっくり出来そうだ。ちょっと違うことをしてみようと画策中。うまく調整が出来ればよいのだが。

ローレンツアクアリウム

2008-11-28 22:29:53 | 徒然に想う
今朝は冷たい雨が降りしきる。雨がある分、暖かい。

さてさて、昨日の「八百万の神」とローレンツの話しの続きを少し。ローレンツアクアリウムというものがある。ローレンツが『ソロモンの指環』で紹介した水槽での生き物の飼い方や水族館のことだ 。ポンプやろ過装置など水質維持用の機材を用いず、水槽内に暮らす生物同士のバランスで水槽内の環境を保つ。つまり、

魚などの動物が二酸化炭素や排泄物を出す。
     ↓
水草や藻類など植物体が、それらを吸収して生育する。
     ↓
植物による浄化作用で水が浄化される。

観察を鍵に動物の行動を分析する人が提示したものが、福岡の示す地産地消とそっくり。ついでに、教育の分野で知られるR・シュタイナー。彼も「農場」という言葉で同じようなことを「農業講座」の中で定義している。彼らが影響しあったかどうか、調べていないが…。これは偶然の一致か、はたまた何かのいたずらか。

物事をよく見よう

2008-11-27 13:00:13 | 徒然に想う
いきなり1月中旬並み、最高気温が10℃の予報。確かに冷える。丁度これを書き出したのが会社に向かう駅のプラットフォーム。吹き曝しではないが、じっと立って待っているとコートの襟を立てても寒い。

閑話休題。

散歩のときに事。もう明るくなっていい頃なのに、暗い。曇が空全体を覆っているせいだが、場所によってボヤリ青白くひかる。ほんと、空を見ていると、物と物の間には隔てるものなぞなく連続の変化だと思う。昨日書いた色の変化も同じ。それを絵の上で実現するとスフマート技法というらしい。昨夜偶然テレビをつけたら、モヤリザを題材にこの技法の説明をしていた。輪郭を書いてから色付けしていた当時の習慣に反して、観察のままを具現化、さすがダ・ビィンチ。

「八百万の神」の哲学と「ソロモンの指環」のコンラート・ローレンツの思想が結びつきそうになって来た。突拍子もない言い方だが、行きつく先は同じではあるまいか。となれば大学時代に何気に読んだものが、今になって福岡正信を理解するのに関わりを持ってきた・・・。因果は巡るではないが、鍵になる。

朝と夜のあいだ

2008-11-26 13:06:23 | 徒然に想う
日の出までまだ小一時間、ある明けるか明けないかのある一瞬、川に白鷺が舞い降りて。それはそれは美しい。羽根が重なり合っているところは濃い灰色、広がり風をとらえているところは薄い薄い灰白色。それが川向こうの虚空から突然飛び出してきた。

陽が出てくるとすべてが美しい。物がではなく、輝いているとかでもない。明と暗、ゼロとイチの区別がない、その中間を無限に数限りなく創造するもの、光。その光がもたらしてくれるから。実にそれは太陽だけではなく、月も星々もだ。人智ではどうにもならない。人は美しいと思うだけ。


…いかん、いかん。えーと。

いよいよ暮れだ。紅白歌合戦の進行役に仲間由紀恵とSMAPの中居くんがなるとか、誰々が初出場だとかで賑やかになってきた。庵主の場合は、毎年仲間うちで忘年会をするのだが、幹事をするもんで、案内を出したり、調整したり。どことなく気ぜわしい。…そう言えば、年賀状を忘れていた。

贅沢

2008-11-25 10:00:02 | 徒然に想う
アァ、スッキリした。清水の舞台から飛び降りて、半年も経たぬのに携帯を買い換えた。

何がスッキリしたかというと、カメラの使い勝手。サイズもズームも思うように選べる。810万画素というのがいい。画素数が大きければいいというものではないが、前のが200そこそこだったから。まるでカメラに通信機能が付いている。

メールの為のキーインがやりやすい。前のは楽しい道具は付いていたが、なかなかどうして、やりにくく不満が溜まっていた。それが一気に楽になった。

贅沢している時ではないのは判る。再び公的資金の注入。これから何が起きるか、分からぬ。備えあれば憂いなし、神=自然のみぞ知る。いつものことではないので、自分を甘やかしてしまった。

…ってことだ

2008-11-24 09:25:11 | 徒然に想う
祝日の何も制約のない朝。いつもよりもゆっくり家を出る。すっかり宵の雰囲気は消えまさに朝だ。もやの立ち上がる川を見ると、青に輝くカワセミが水面狙う。カメラで狙えば、初老のご夫婦も立ち止まり。綺麗ですね。

白鷺たちの十羽を超えるコロニー、邪魔したわけでないだろうが、一斉に舞い立つ。白い翼に朝陽の紅が入る、白く輝く。一羽だけ反対方向。庵主を歓迎、それとも、何か語らんと? 

明るい朝だとシャッターを切り境内を出ると、無残な姿が飛び込んできた。…また樹が切られてしまった。それは明るだろう、覆いかぶさる物がないのだから。雑木林は手を入れなければならない。分かっているが、残念。傲慢だとさえ思える。

雑木林の中の一本道、左側でなにやら音がする。コジュケイの夫婦。これは失礼、邪魔をした。シジュウカラ、カワラヒワ、今日は鳥たちが沢山遊んでくれる。そうやって自然は迎えてくれるのに、人は邪魔をするばかり…。

カメラ

2008-11-23 09:38:35 | 徒然に想う
北西の空を見ると、白い竜が天上から下りてくる。まるで、アトレイユが乗ったドラゴンだ。天気が下り坂か、北から西方向からレンズ状の雲がゆっくりやってくるのが気になるところ。

南方向を振り返ると、幻日だ。彩りを濃くしたり薄くしたりしながらゆっくり変化している。何度かシャッターを切ってみるが、色が出ない。

神社の境内や下の公園でよく挨拶を交わす矍鑠たるお爺ちゃんがいる。いつも、柴犬をつれ、足回りをハイキングできるくらいしっかりされている。今朝、神社で朝陽を取ろうと展望台に行くといらして、話しかけてきてくれた。庵主のカメラに興味引かれたよう。

先日も別な方だが、眼デジかい?とカメラのことで話かけてきてくれた。朝明けるか明けないかの時間にカメラを持ってうろついている珍しさもあるだろう。カメラが潤滑油になっていろいろな人と話ができる。楽しいひと時となる。手放せなくなった。

時、経る

2008-11-22 21:30:52 | 徒然に想う
アースデイ・マーケットからの帰り道、足を延ばして代々木駅まで歩いてみた。それこそ中学生に模試を受けるのに降りたった以降くらいだから三十余年ぶり。

とにかく、面影も何もあったもんじゃない。まったくの初めての街になっている。もっと古いビルがあって、予備校の看板が連立し…、なんて暗いイメージだ。ところが、それがスタバはあるや、若い外人のカップルが腕組んで歩くやら、駅の改札から振り返れば夕暮れの空が美しい。受験だの、浪人だのの暗いイメージなんてこれっぽちも感じられない。

見上げたイチョウもあの当時はもっとほっそりしていたかもしれない。とにかく、時間がたった。


追伸:やっとPCが復活した、ようだ。

出合い

2008-11-21 14:22:46 | 徒然に想う
白い花が咲いた、ニンジンの緑の葉の上に。起こされきれいに整地されたこげ茶色の畑も白い。そこに朝陽の朱が入っていく。

川鵜、羽根をWの逆さまのように広げ川の流木の上、暖を取る。白鷺、三羽で帰ってきた。明けた白い空に陰影を残し上流へ。鳩たちの朝のトレーニング、黒なったり白くなったりオレンジ色になったり。頭の上、クルクル回る。

川面からユラユラもやが立ち昇る。渦を巻いたり、風にそよぐカーテンのようだったり、さざ波のように。そして護岸にぶつかり霧散する。

一瞬の出来事、一回限りの出合い。