二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

残渣? 残香??

2015-06-27 09:35:18 | 徒然に想う

キャベツやブロッコリーを作っていた圃場の今である。もう2、3週間前に収穫が終わり、一昨日小雨の中片付け始めた。残渣を引き抜いてはマルチをはがす。残渣は圃場外に出し、職員さんたちに処分していただいた。

モンシロチョウ? 

この圃場、隣でオクラや三色ピーマンを露地栽培している。朝の巡回途中、その様子を見に向かう。

あれ? まだ白いものがヒラヒラ舞っている。もうキャベツもブロッコリーもないのに…

足を踏み入れれば、さらに舞い上がる。伸び放題になっている草の間から飛び出してくるのだ。もちろん、キャベツでもなければブロッコリーでもない、草(ハキダメギク?)から。ハキダメギクはセンターの至る所にある。確かにモンシロチョウが止まっていることもあるが、それは他の草と同じ、好んで止まっている感はしない。それが乱舞に近いときた。

なにかキャベツの香りが残っているのだろうか? 植物の形で寄ってきているわけじゃない。キャベツとハキダメギクでは違いすぎる。色合いとしてもまったく違う。だとしたら、香り。周辺の草に、メスが出すフェロモンのような、人間では感じられないモンシロチョウを引き付けるものが残っていると思わざる得ないなぁ。でも、これだ正しければ、もし近くに蝶が好みそうな野菜があったら厄介なことになる…。

この圃場、あとはお礼肥えをいれトラクターでたたき、秋以降の作に備えることになる。定植したのは遅かったがが、キャベツやブロッコリーの種を蒔いたのはここにきて間もなくのこと、春先のまだストーブが必要な時だった。今やセミが鳴き、Tシャツ一枚で過ごせる。あっという間の4か月、か。

 

 

今日の一枚:6時半ころ、ハウスの手前、緑の濃いのがオクラの圃場。


ヒグラシ、鳴く

2015-06-25 06:17:55 | 徒然に想う

今朝、ニイニイゼミに混じってヒグラシが鳴いた。夏至も過ぎいよいよ本番なんだぁ、と思う。彼らはほっといてもこうやって季節を知らせてくれる。山々の木々、植物もまた同じ。ところが、野菜の場合、そうはいかない。特に施設内の場合、植物生理をも利用し、手に手をかける。路地栽培を目指す一方で、施設内栽培を学ぶ。一見矛盾するかもしれないが、その手法の中の随所に植物生理を垣間見て、その矛盾は霧散してゆく。おかげで、というのもおかしいが、植物生理のその不思議な世界に引き込まれてしまった。考えてみれば、空気と水から動物が生きるための食物という形あるものを作っているんだから、これ以上不思議なことはあるまい。

 《夏ぞ来た 朝の静けさ 破れたり》

 

 

今日の一枚:昨日のこと、だいぶ空いてきたハウスの中で、こんなメモ書きが張ってあったのにやっと気が付いた。見えないものでも、こうやってまとめると見やすくなる。土中の水分量だって、きっと同じようなことができる。それで合点がいった。

 


4次函数!

2015-06-23 12:40:12 | 徒然に想う

いよいよ、促成栽培の実習が終わりに近づいた。先週からキュウリの担当。昨日収穫をしていて、摘心せよと指示が伝わる。あゝ、ついに…。

光合成って、水、光の強さ、温度と二酸化炭素の濃度を変数として持つ四次函数。環境制御の問題は、その函数の最大をいかに導き出すか。二次元でもわからないのに、四次だなんて…。

人生って、25年毎で区切られる周期を持つ。25歳まで(数年は前後する)は、親の庇護のもと「子」として日々を送る。そして、結婚。それが契機となり、25からは「子」から「親」、あるいは「家庭人」としての日々になる。そして50からは、「子」でも「親」「家庭人」でもない日々となる。分かってもらえるだろうか、それは決して、「子」「親」「家庭人」を否定することでなく、「個」でも「自我」とかでもない。ただ、それをしておかなければ、最後の25年間に、つまり75歳以降、間違いなく後悔する。

これもまた、四次函数なんだろう。一生という函数に対し、4期というパラメータをいかに決定し埋めていくかによって最大値を求める。もうすでに最初の二期は値が出ている。残り二期をどう過ごすか。ちと多変量過ぎ、か…。

 

 

 

今日の一枚:摘心した生長点、陽を浴びた植物たちはここを成長させようとする。成長はある意味最大化だ。でも、繰り返しなるが、転流という最大の謎が庵主にはある。


酒池肉林的生活

2015-06-20 06:01:52 | 徒然に想う

布団の上でいつものようにストレッチ。するとニイニイゼミが鳴き出した。月曜日に今年最初のを聞いてから毎日のこと。窪川あたりでも最初はニイニイゼミだなと思う。

「植物の中で何が起こっているのか」という本を読みだした。最近の研究による光合成のことや植物ホルモンのことが出てくる。専門書ではなく、科学の一般書。昔習ったこととは違うことが出てくる。

毎朝、一人巡回に出かける。その週の自分の実習担当ハウスや圃場を見て巡る。何か変わったことなかったか、圃場に着くまでにいろいろ観察してみる。川が流れていて、葦? 茅?だかがあって、川に沿って一様に一方方向、倒れている。あれ? そんなに大雨? 風? いい加減な巡回…。何をするわけでなく、「圃場に足跡を多く残す」ため。

環境制御は、植物生理を何とか利用し出来るだけ収量を上げようとすることだと思い始めた。先進技術の話を聞くと光合成をいかに最大限効率的に引き出すかがテーマが多い。先ほどの本でも同じように光合成の話が重要なテーマの一つ。う~ん、分からないのが、そう? 光合成だけを考えればいいのかってこと。つまり、光合成を最大限にして作られたものが効率よく植物全体に行き渡らなければ、無駄になる。それに、光合成が最大限でなくとも、転流がよりうまく促進される条件であれば、それでもいいのじゃないか。と、思う。決して批判や避難じゃないが、これまでのところ、どこでも、何にしても、ハタと光合成だけで話が止まってしまう。なかなかこの疑問の答えに迫るようなものが見当たらない。もちろん転流の説明は読める。でも、光合成でできたものをいかに効率的に必要なところに運んでいくかということになると、調べがつかない。植物生理の研究も日進月歩。庵主が高校生くらいまでに学んできたこと以上に分かってきているらしいが、この転流を含めた植物の管理となると、はっきりしていないのかもしれぬ。ただ、庵主自身として、ヒントじゃないかと思うことがある。プレナイト・ダウンという管理法があって、夕方に温度が下がってくると、一気にハウス内の温度を下げる。それは植物の葉と実ではその厚さから冷える早さが違うことで、植物内に温度勾配をつけ葉にある光合成でできたものを実に向けさせるという手法。転流も濃度勾配。この「勾配」が鍵、なんだろうか。ハウスに入って実習してきて、植物生理ってのが面白くて仕方ない。

雨の日にはあまり整枝作業はしないほうがいいとされている。整枝自体が植物にストレスを与えるに他ならないが、特に雨の日だと水を灌水することなくとも、植物たちは水を取り込んでいる。だから、パンパンな状態。下手に力を入れようものなら、パキンと折れる。晴れの日の午後のように思い切って力を入れられない。だから、草取り‼ 巡回途中、ここ数日、ハウスの中じゃ草取りだ。

 

毎日、こんなこと思ったり、やってたり。毎日、たくさんの植物に囲まれてる。これは、もしかしたら、酒池肉林?

圃場巡回、行ってきまーす!

 

 

今日の一枚:昨日のこと、県の農業技術センターの一つ、茶業試験場で、一日お茶の加工の実習。何度も葉の状態を確かめさせてもらう。それこそ数分で状態が変わっていく。面白くてたまらなかった。専技たちに感謝! おっと、我々が使った後を片してくれた職員さんたちにこそ、感謝‼ 11時ころ、庵主が刈り取った跡。

 


かなりピチピチなんだけど、ねぇ!

2015-06-12 13:02:26 | 徒然に想う

よく見れば、スパンコールのように表面が輝いてる。トマトの茎に、葉にそんな輝きが見える。美しい、そして不思議じゃないかと思う。なぜそんな美しさを持つのだろう。何のためにそんな装いをしてんるんだろ? 野菜に限ったことでなく、植物の中で起きていることは不可思議。光合成だけだなんて思っていたが、それはあまりにも子供じみた認識。調べれば調べるほど、植物生理って複雑さが見える。

この育成センターで学べるオランダ型の環境制御の促成栽培は、まさにその植物の生理を使って最大限に収量を上げることにポイントがある。ところがいくら調べても、それらの美しさと生理は単純化されない。むしろ複雑になる。勉強不足を棚に上げるが、結果は複雑極めるだけ。なおさら導管、師管の働きとくると……。 

…いやぁ、人知の知り遂げれることが少なすぎるにすぎない。草や野菜の、あの大きくなり、子孫を残すためのシステムときたら…文章化なんて。

蒸散? 光合成? 転流? だから何?

そういっちゃ紫陽花にもうしわけない。だいたい「家族の結びつき」っていう花言葉あるんだそうだ。…すまん……。庵主には濃度勾配ってのがキーワード。一本の木の温度傾斜も含めてだ、あらゆることに傾斜があるから植物が動く。そもそも、遺伝子はAGTPの4つを基本として出来上がる。その配列すら傾斜によって。???????? 庵主ときたら。

こんんな庵主でもやくだったかな????

 

 

 

今日の一枚:金曜の午前中、トマトの収穫。つまみ食いはあたりまえなんだけどさ。

 

 

 

 


たぶん、一番子

2015-06-10 19:36:15 | 徒然に想う

《燕の子 南を想い 奪い合う》

親鳥が近づくと、盛んに羽を振る。まったく「はやくご飯頂戴! 頂戴‼」と騒いでるよう。「静かになさい」などと言ってない、「しっかりお食べ。先は長いんだからね」と聞こえてきた。「XXするんじゃありません」「静かになさい」などと大人のいうことに従うよう育てるのはヒトだけだと思う。来年も元気で戻ってきてな!

 

今日の一枚:昼食を終え、食堂から寮に戻る途中、12時過ぎのこと。


ホォ!

2015-06-09 06:58:35 | 徒然に想う

雨が降っています。梅雨入りしたんですから、雨の日々が続くのは仕方ありません。カーテン越しにその音が聞こえます。

傘をさして、朝飯前の巡回してきました。いつもより30分早く寮の部屋に戻ってきました。路地のピーマンなどが元気になっています。ハウスのトマト、アマナガ唐辛子もしっかりしていました。そうそう、先日タスマニアのジェラルディンとポールに近況を伝えるメールをしたんです。

新しい「家族」が増えてました。シングルマザーの一家が来てるそうです。ジェラルディンの文面から察するに、ポールがいい好々爺をやってます。もちろんジェラルディンも孫が来ているようで嬉しそう。で、He keeps the fires burning and keeps us all warm and loved なんて惚気(60を優に超えてるんですよ!)も。おいおい、と思いながら読み進めると、ちょっと目元が怪しくなりそうな一文で締めくくられてました:  

Please know that we talk of you often, and send you love and success very often.

と。まったく、この二人にはいつも感服させられます。

雨、一日降り続けるようです。座学と見学で作業がない予定です。作業のほうがいいな、川はどうなっているかと想います。雨は感傷的にさせる時がありますね。

 

 

今日の一枚:昨日トマトの収穫をしているときに見つけました。野菜たちは庵主の気持ちを和ませてくれます。出荷出来なくてゴメン。


音楽感

2015-06-07 16:58:07 | 徒然に想う

圃場で汗を流していると、その風のすがすがしさに手を止めることがある。仰ぎ見れば、青い空が広がり、強い日差し。あぁ、見上げなければと後悔しても遅い…、よけい暑くなる。汗をぬぐい、張っている背中にいうことを聞かせ、またエイッと作業に戻る。こんなことを繰り返すも、実に何も苦痛にならない。…よくわからないが、今朝、ベートーヴェンの『6つのバガテル』Op.126を聞き出した。するとどうだ、そんな作業情景が脳裏に浮かんできたじゃないか。

そういえばと、いつぞやか聞いた有機農家の奥様の言葉を思い出した。その方はピアノが得意、プロ並み(プロだったという噂か冗談かを聞いたこともある)。あるとき、音楽の話になって、「ショパンを聞いたり弾いたりしていると、風が流れゆく麦畑を想像する。それはきっとショパンが農民と近い関係にあったからじゃないかしら」と。ピアノ曲をあまり聞いたことがなかった庵主にはよくわからなかった。でも、ショパンを聞くとミレーの作品を思い描くことはなくはなかった。

モーツァルト、ねぇ。まるで天使が舞うような神がかった世界。いや、神に愛されたものが作り出した世界。モーツァルトをコード進行で見ると、ビートルズも同じようなものだと聞いたことがある。怒られてしまうが、そこなんだ、彼らの曲を聴いていると、実際の汗や涙に結びつかない気がして、現実感がなくなってしまう。勇気を出さないと、なかなか聞けない。

思うに、ベートーヴェンにせよショパンにせよ、彼らは農民のエネルギーを感じ楽曲に込めていたんじゃなかろうか。そして自然や大地への礼賛をも込めた。だかこそ、庵主のようなものでも、「自然=大地=農民」と一体化することができ、情景を思い描くことができる。神、天上じゃない、「大地の豊穣の」神に愛を捧げた者たちだと感じる。ストーンズには油の香り、働くものに感じる香り…。結局、汗が滴り落ちる、そこに究極がある。だから好きなのかもしれぬ。

 

《土寄する 音聞き入るか 青き山》 

 

今日の一枚:昨日の15時過ぎ。ジャガイモの土寄せをして一息入れた。


お礼に代えて

2015-06-04 05:36:11 | 徒然に想う

一昨日のことです。一通のメールを受け取りました。それがあんなにもうれしいものとは思いもよりませんでした。音信不通になっていた人からのメールとかでなく、当たり前のように送って、そしてもらった返信なんです。それが、どうしたわけか身に染みました。心安らいだ、と言っても過言じゃありません。いいメールはこういうもの、なんですね。どうもありがとう。

 

 

今日の一枚:昨日の午後の休憩時に。雨が止みそうな気配でした。


この3ヶ月、次の3ヶ月

2015-06-01 19:26:03 | 徒然に想う

高知に来てから早や3ヶ月が過ぎた。研修も施設栽培が中心だが、路地志向としても得ることが多い。何しろ好きなことをやれる。例えば、定植した苗の根がどれだけ伸びているかと、周辺を掘ったって構わない。マザーランド探しもまだ最終的ではないが、ここならってところが見えてきた。住みだすには、あれやこれや確認しなければならないし、補修しなければならないことも多々ある。はい、ってすぐってわけにはいかない。まだ時間はかかる。

この施設の研修期間はかなり自由度がある。それでも最小限3ヶ月は居ることになる。今まで14名が研修をしていた。そのうち一人、先月末で卒業した。今月末に3人、来月でもう2人が卒業だ。明日一人増えて…。ここに3ヶ月もおれば、誰かは卒業していく。意外に、同じ方向に歩もうとしているから、たったの3ヶ月でもかなり濃いつながりになる。結構寂しいもの、だ。

この3ヶ月の間に、花もいろいろ変わった。蝋梅、梅、タンポポ、桜、アジサイ。アヤメも見かける。ついたばかりはストーブを焚いていたのに、今や半袖に短パン。窓は全開。季節がどんどん過ぎ去る。

ん? そうか、さ来月末には庵主も卒業となるのか。まったくな。

 

 

今日の1枚:夕飯を食べ、ハウスの管理に自転車で向かう。日中の暑さを忘れ去すような乾いた空気に包まれた。寮への帰り道南東の空に積乱雲、らしきもの。夏なんだぁ。18時半ころ。