昨日、Webから拾った記事。
『政府は19日、9月に発足する新たな原子力規制組織「原子力規制委員会」について、委員長を含む委員5人の人事案を固めた。構成は、放射線物理の専門家、原子力工学原子力分野の専門家、放射線の健康影響の女性専門家、活断層に精通去れてる地震学の専門家。外務官僚出身で福島第一原発事故後、国会に設置された調査委員会の委員を務めた人。』
この人選、納得されますか?
庵主は、どうも腑に落ちない。もちろん、それぞれの専門家の方たちがいいとか悪いとか、そういうことじゃなくて。なんていうか、その「五分野」の構成でいいんだろうか…。
福島の事故で見てきたのは、農業、漁業、畜産業、林業など(好きな言葉でないが)第一次産業への絶大な被害。子供たち(生まれている子もお腹にいる子も)をいかに放射線の影響から守るか心配している親たち、これから母親になっていく女性たちの不安や恐怖。などなどである。はたして、こういった立場からの言葉はどう原子力の「規制」に生かされるんだろう。
どのようにこれからこの委員会が動くのか、分からない。たとえば、公聴会を開くだろう。だけど、東北電力や中部電力などのように組織力を使ってパネラーに社員を押し込み「原子力、賛成。規制は適度に」をぶち上げさせるにちがいない。補助金をちらつかせ、公聴会の結果など無視させようとする輩もでてこよう。結局、普通の親や生産者の言葉は吸い上げられることなく終わる。「規制」ではなく、「推進」を常に前提としているから。
庵主は思う。「規制」を議論する為に「専門家」だけに頼るのは、この事故を前提とすれば、どんなもんだろう、と。時間はかかるが、普通の親や生産者を含んだ色々な分野の人たちが議論を出しあってこそだ。その方がいいものが、出来上がる。間違いなく、出来上がる。前にも使ったかもしれないが、アメリカ・インディアンの格言で「物事を決めるには、七代先まで考えて」という。「規制」に関しても、同じこと。今だけじゃなく、これからずっと先の先まで見なければならぬ。それを「五分野」だけに任せてはならない。
今日の一枚:サトイモの葉。神社を過ぎ、ノアの住むところの川に向かっていく途中。今朝の6時45分頃。