「空という字、空海さんのクウを書いていただけませんか」
そういいながら、お世話になった宿の御主人女将さん、いろいろ教えてくださった方々に、筆ペンとノートを差し出してきました。皆さん下手だから嫌じゃ、恥ずかしいと仰いながらも、快く書いてくださいました。
皆さんいろいろな「空」を見ていらっしゃる。それが字になって表れました。中には「この字の中に、全てが入っている。一画目の点は太陽、続いての『ワ』が頭の上に広がっている青い天空、『ル』が雲だ。『エ』の上の線が大地、次の縦線が川で、最後の線が道を示すんだ」と解説もしながら書いてくださった方も。この方の「空」はまるで地球のようです。実はこのノート、納経書の代わりなんです。前回の反省をこめ、今回納経をしませんでした。もちろん、お寺に着けば、お作法通りではありませんが、本堂、太子堂で燈明、お線香、お賽銭・お札を納め、般若心教を唱えます。それでも、納経所は寄らず、お参りしている方達を眺めてたり、そこにいらした方と話をするようにしてました。その日の計画はもちろん立ててます。でも、つい話しこんだらそれでいい。納経の受付時間を気にするより、そのことに時間をかけたかったからです。
ノートを見つつそのような方達のことを思い出しながら、総括しようと何本か草稿を書いてみました。ですが、どうもどれも気にいらない、うまくない。言いたいことがずれてしまう。どうしたものかと、昨日も、小川町の畑で草取り。間違って抜いてはならぬものに手を付けたりしながら、ふと気付きました。そうだ、あのお寺さんの話しをしよう…。
83番、一宮寺。高松市内のお寺さんです。
失礼な言い方(私が知らないだけでしょう)ですが、何の変哲もない極普通の街中にあるお寺です。建物が凄いとか、庭がきれいだとか、そういったこともありません。神秘的な環境にあるわけでもありません。ですが、そこに行くと、どしても目に入ってしまうものがあるんです。それは本堂、大師堂でもない。失礼ついでに言ってしまえば、それはお寺の中で何より一番存在感をもっています。
「そう、確かここに…」
境内でここにあるかという絶好の位置に、若い槇二本とそのいわれを記した「りえとまことの夫婦槇」というレリーフ。平成二十四年春という年を読むことができる、真新しいものです。前回にもちろん気付いたのですが、その時はチラッと斜め読みし納経をさっさと済ませ、その日まわる予定のお寺さんの納経時間ばかり気にして歩き出してました。えーい、なんで時間かけられんのじゃ、と悔やんだものです。今回、ゆっくり繰り返し読んできました。
「りえ」さんと「まこと」さんのご両親が間違いなく全身全霊の悲しみと思いを込め、祈りとして書かかれたものが刻まれています。「この記念樹を訪ねられる全て方達の親疎を超え現世来世を一貫して生き続けられることを祈り奉まつる」。どうしてそんなことになってしまったのか分かりません。知りたいとも思いません。ですが、ここに永遠におふたりがいらして、永遠に遍路などで訪れる人たちに、このお二人がいらしたことを語り続けるんです。いらしたことを証明し続ける。おふたりは想像だにもしなかったでしょう。ですが、悲しみを乗り越えられた御両親達によって、その証が残された。繰り返し読めば読むほど、表現しにくいのですが、存在した証が残った、残こされたという重さにグッとくるんです。そのうえで振り返って、自分には? と考えると、どんな証があるでしょう。そこに言いようのない不安を感じざるを得ない、隠しようがありません。もちろん、レリーフを残してほしいなどと言っているわけでありません。「生きた証」がある、なんて素敵で素晴らしいことではないでしょうか。
このお寺で頂いた「空」は、このノートのどこを探してもありません。もし、実際字になったら、どんな「空」になったでしょう。訪れたのは、雨の寒い午後のこと。見上げた空からの雨はなぜか少し暖かでした。
今日の一枚:10月12日9時頃、久万高原に向けて内子からの最初の峠、下坂場峠を目指していたとき。