二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

第二回お四国参り-総括その2 私の「空」

2013-11-22 17:53:22 | 遍路

総括をアップした際、納経はせず、代わりにお世話になった宿の方、道中いろいろ教えてくださった方に、「空」という字を書いていただいたんだとお伝えした。で、結願以降、ずっとお礼状を作りたくて、自分ならどんな「空」を書くんだろうと思ってきた。そして、やっとこんなに経って、やっとこさ、自分の見ていた・いる「空」が書けそうになってきた。

太陽が輝き、虹が出てる。しっかりした家があって太い絆が支え、そして豊かな大地が広がる。持続可能的な家族・仲間との日常生活が繰り広げられる世界を取り囲むもの、として書き表わしたい。

おかしい…。イメージしたものと、随分違う。元気に歩いている姿のようにみえないだろうか。結局、いつか分からないが、「次」を期待してる…。いやいや、イメージしたものを書けるようになる(実現する)ためには、もっと努力をしなければならないってこと、にちがいない。

 

 


遍路、その後2

2013-11-12 17:31:45 | 遍路

昨日木枯らし一号が吹き、寒さが急にやってきた。太陽が照らしていればいいが、雲に隠れると冬。畑のバジル、鷹の爪は霜枯れる寸前。お手伝いでタマネギの定植をしていても寒さが襲ってくる。1ヶ月前には半袖で大汗かいてたのだから、違うもんだ。感慨ひとしお。

午前中、自分の畑でタマネギの定植を終わらせた。これで、四国から帰ってから二週間。遍路に畑に一段落。

《小春日に 野点のコーヒー 時季留まる》


ところが、正直言うと、すでに四国を歩きたい虫がムズムズ。寒さにかこつけ、黙ってくれればいいのに、と思うがそうはいかなかった。ごまかす為に、秩父を巡礼するか、子供の頃登った山々を巡るか…。いずれにせよ、歩かねば、大人しくなるまい。

お四国病。この症状を指し、そう称するらしい。一巡目よりひどくなっている。確かに、お世話になった宿の方から何度か、また来るねと言われたから、歩いている最中からそんな微熱が出ていたかもしれぬ。一巡目の時知り合えたN師匠が歩いていて、石鎚山から下りで来られた、とか。そんなことも悪化させている要因か…。あぁ、歩きに行きたい。






今日の一枚:定植を終えたばかりのタマネギ。木っ端マルチをしたが、寒さ対策になるか…。見なけりゃ分からないと信じ。11時半過ぎ。


第二回お四国参り-総括

2013-11-04 13:10:30 | 遍路

「空という字、空海さんのクウを書いていただけませんか」

そういいながら、お世話になった宿の御主人女将さん、いろいろ教えてくださった方々に、筆ペンとノートを差し出してきました。皆さん下手だから嫌じゃ、恥ずかしいと仰いながらも、快く書いてくださいました。

皆さんいろいろな「空」を見ていらっしゃる。それが字になって表れました。中には「この字の中に、全てが入っている。一画目の点は太陽、続いての『ワ』が頭の上に広がっている青い天空、『ル』が雲だ。『エ』の上の線が大地、次の縦線が川で、最後の線が道を示すんだ」と解説もしながら書いてくださった方も。この方の「空」はまるで地球のようです。実はこのノート、納経書の代わりなんです。前回の反省をこめ、今回納経をしませんでした。もちろん、お寺に着けば、お作法通りではありませんが、本堂、太子堂で燈明、お線香、お賽銭・お札を納め、般若心教を唱えます。それでも、納経所は寄らず、お参りしている方達を眺めてたり、そこにいらした方と話をするようにしてました。その日の計画はもちろん立ててます。でも、つい話しこんだらそれでいい。納経の受付時間を気にするより、そのことに時間をかけたかったからです。

ノートを見つつそのような方達のことを思い出しながら、総括しようと何本か草稿を書いてみました。ですが、どうもどれも気にいらない、うまくない。言いたいことがずれてしまう。どうしたものかと、昨日も、小川町の畑で草取り。間違って抜いてはならぬものに手を付けたりしながら、ふと気付きました。そうだ、あのお寺さんの話しをしよう…。

83番、一宮寺。高松市内のお寺さんです。

失礼な言い方(私が知らないだけでしょう)ですが、何の変哲もない極普通の街中にあるお寺です。建物が凄いとか、庭がきれいだとか、そういったこともありません。神秘的な環境にあるわけでもありません。ですが、そこに行くと、どしても目に入ってしまうものがあるんです。それは本堂、大師堂でもない。失礼ついでに言ってしまえば、それはお寺の中で何より一番存在感をもっています。

「そう、確かここに…」

境内でここにあるかという絶好の位置に、若い槇二本とそのいわれを記した「りえとまことの夫婦槇」というレリーフ。平成二十四年春という年を読むことができる、真新しいものです。前回にもちろん気付いたのですが、その時はチラッと斜め読みし納経をさっさと済ませ、その日まわる予定のお寺さんの納経時間ばかり気にして歩き出してました。えーい、なんで時間かけられんのじゃ、と悔やんだものです。今回、ゆっくり繰り返し読んできました。

「りえ」さんと「まこと」さんのご両親が間違いなく全身全霊の悲しみと思いを込め、祈りとして書かかれたものが刻まれています。「この記念樹を訪ねられる全て方達の親疎を超え現世来世を一貫して生き続けられることを祈り奉まつる」。どうしてそんなことになってしまったのか分かりません。知りたいとも思いません。ですが、ここに永遠におふたりがいらして、永遠に遍路などで訪れる人たちに、このお二人がいらしたことを語り続けるんです。いらしたことを証明し続ける。おふたりは想像だにもしなかったでしょう。ですが、悲しみを乗り越えられた御両親達によって、その証が残された。繰り返し読めば読むほど、表現しにくいのですが、存在した証が残った、残こされたという重さにグッとくるんです。そのうえで振り返って、自分には? と考えると、どんな証があるでしょう。そこに言いようのない不安を感じざるを得ない、隠しようがありません。もちろん、レリーフを残してほしいなどと言っているわけでありません。「生きた証」がある、なんて素敵で素晴らしいことではないでしょうか。

このお寺で頂いた「空」は、このノートのどこを探してもありません。もし、実際字になったら、どんな「空」になったでしょう。訪れたのは、雨の寒い午後のこと。見上げた空からの雨はなぜか少し暖かでした。

 

 

 

今日の一枚:10月12日9時頃、久万高原に向けて内子からの最初の峠、下坂場峠を目指していたとき。


遍路、その後1

2013-11-02 18:13:33 | 遍路

帰ってから、なかなか外出する気が起きず、写真や記録の整理に費やして数日。さすがに、区切りとは違うものを感じます。

それでも、やっと今日、外出。小川町の畑の様子を見に出かけました。

枯れ草だらけと思いきや、青々としてます。春に蒔いたクローバが、勢いをつけ、その中に、レタスやバジル、唐辛子にルッコラ、ほうれん草、のらぼう菜がポツリポツリ。ちょっと嬉しい面白い状態でした。

驚いたこともあって、もう実をつけないでしょうが、トマトが大きくなっていました。種を蒔いたのが遅く、発芽すらしないだろう、しても大きくならないと思っていたのですが。凄いもんです。

もう一つ。歩いて間に季節が実に代わっていました。もちろん、四国も帰る頃には秋めいてました。走りでした。が、今、小川町や朝散歩中に目の当たりにするのは、たけなわ。出た時が、残暑厳しき折でしたから、その差は…。そう、だから、例えば、着るものがよくわからない。浦島太郎状態です。通しの長さを痛感してます。

総括、もうしばらく要します。データをまとめながら、思い出してる最中です。





今日の一枚:畑の様子です。立派なリーフレタス。15時半過ぎ。これから、あっという間に暗くなりました。
 
 
 
唐辛子です。


第二回お四国参り-第四十四日(高野山)

2013-10-31 10:31:49 | 遍路

(四十四日目分を帰宅後アップ)

88番を打った後どうするか、特に決めごとはないようです。88番からコミュニティ・バスでJR志度駅に出る。1番から10番までのどこでもいいから一か所結願の報告として打つ。高野山に行く人もいれば行かない人もいる。最後のあたりで日程が重なった方々は志度駅に出て、高野山は日を改めてとのことでした。大坂峠を越えたり10番方面に行く人はすくなかった。ひと、様々です。

今回は日を空けず、高野山へ行ってきました。一回目の時のYさんもまた一緒です。

南海の志度山駅から、高野山町石道を使います。8時半頃から登り始め14時半ころに大門に到着。そこから、15時半頃奥の院でお参りです。今回は納経をしませんでしたが、金堂、根本大塔、金剛峯寺、奥の院と四か所でもらえます。ちなみに、高野山町石道は九度山駅の近く慈尊院から始まります。そこでも納経することができます。

実は、今回高野山へは7本入る道があることが判りました。高野7口というそうで、町石道はその一本に過ぎません。慈尊院が弘法大使の母親いたとかで有名そうです。それを見ていたYさん、「やばい、これであと6回はくるな…」と。そこまで余裕はないでしょうが、言い得ていて笑ってしまいました。

さて、これでこれで報告はひと段落。総括をして閉めます。総括をお待ちを!


 


第二回お四国参り-第四十三日

2013-10-28 15:47:14 | 遍路

愚かなのは人間でしょうか、歩いた私でしょうか。バスに乗って15分もしたら鳴門大橋でした。

14時、一番でお礼参り。晴天の歩いてるとちょっと汗ばむ陽気。アイスクリームを頬張りながら、バス停に向かいました。

《結願を 祝いて空の 高きかな》


通し終え、やっと、点が線となり、線が面、面が立体になりました。欲張り過ぎてはいけないんですね。立体になっただけで十分。お前はもう一回は歩きにくるな、と言われたのが印象的でした。

高速バス、バス停に行って乗務員さんに言えばオーケー。聞くところによれば、たいがい鳴門西からは空席があるので、予約しなくとも問題ないそうです。絶対ではないので注意する必要ありますが。

明日、高野山。明後日の夕方関空から帰ります。





今日の一枚:高速バスのバス停に向かう途中の小径で。14時過ぎ。打ち始めた時、まだ咲いてもなかった。


第二回お四国参り-第四十二日

2013-10-27 16:25:47 | 遍路

いい日和でした。暑くもなく寒くもなく。女体山の山頂の風は冷たかったです、が。

宿を出ると朝焼けです。歩きが五人揃い、みんなでおへんろ交流センター目指して出発。ここ数日一緒なる方たちもいて、昨日まで荷物が重いとか腰が痛いとか言っておられた。が、今朝の足の軽いこと、口の軽いこと。

《朝焼けに 結願感謝し 秋遍路》


おへんろ交流センターから、やっと一人になれました。前回同様女体山を来栖渓谷からあがりました。宿の女将さんはここ数日の雨で危ない、と。これはマズいことになった。しかし、篠山でも石鎚でも地元の方の意見が正しかった。おへんろ交流センターにかけるしかない! 

聞けば、大丈夫ですよ。

決まり、でした。地元の方々の意見、これは大きな自信につながります。しかも、近ければ近いほどいい、助かります。地元の方々と話さないで歩くのは、勿体ない。ご迷惑でなさそうな限り話し教えて頂かないと勿体ないです。

そして、ひとり。実に山好きなんですね、落ち着きました。

《川音に こころ静まり 秋を行く》


結願ってもっと感動するものかと思うのです。ところが実際は前回も、今回も…、そうでもない。なんなんでしょう。特に今回は通すから、何かあるんじゃないかと期待してたんですが、ダメですね~。それでも、山々は祝福してくれたようです。

《振り返る 山は錦に 高い空》


その時、トンビが頭上を行きました。一緒にいた七十台の初老の方が、もらしました。いいなぁ、お前は好きなとこに自由に行けて…。

確かに。老いを感じさせましたが、まだ前へ行くぞと思わす。ちょっとカッコいいなと。


明日は三本松港の与田寺を打ち大坂峠を越え、1番へ。その後、大阪に向かい、明後日の高野山に備えます。





今日の一枚:朝6時半過ぎ。宿を出て間もなく。


第二回お四国参り-第四十一日

2013-10-26 17:28:12 | 遍路

日付、日数、間違えてますか? 今、87番のわきのお宿に入って、お風呂を頂き、洗濯をしている最中なんです。88番を目前にしている、という状況。どうも腑に落ちない。

曇り勝ちの一日。風が西高東低とかで、冷たくなりました。三坂峠を越えるまでの夏のような状況とは雲泥の差。

《薄日落つ 遍路の行くさき アワダチソウ》


85番への山道に入って間もなくのお茶屋で、草餅を食べました。目の前でアンコをヨモギの入ったお餅で包んでくれます。その素朴さが大変おいしかった。ですが、そこでも、自分の都合だけを振り回す方がいらして…。茶屋の女将さんの気持ちをないがしろに。歩きは何の特権でもなんでありません。優先されるものでもありません。が、女将さんの気持ちは、明らかに踏みにじられた。

まだまだ総括なんて早すぎますが、正直、寂しい。娑婆からの逃げとして歩いてるわけじゃありませんが、歩くのが終わるのは寂しい。

明日は88番を打ち、明後日与田寺・大坂峠越えるため、白鳥温泉に泊まります。





今日の一枚:1時過ぎ、86番の五重塔。銀杏が黄色に色付いてきました。


第二回お四国参り-第四十日

2013-10-25 16:05:02 | 遍路

台風の影響は雨だけでした。五色台の遍路道はどこも川状態。ちょっと難儀しましたが、いつもの雨とさほどかわりませんでした。靴への浸水は諦める他ありませんでしたが、しっかりした道なので安心して歩けました。

《雨の中 五色のモミジは 秋準備》


一人で歩いていると時折団体さんと重なります。やり過ごしてしまえばいいのですが、今日みたいな日は待っている場所が少ない。すると、団体の先達さんたちのなりふりによってガラッとお参りが変わってしまいます。先達さんたちによっては、時間に追いかけられてるから、さっさと済まそうとする。静かに邪魔にならないようにと端でお参りしていても、傍若無人、勝手気儘に振る舞ってきます。自分たちさえ時間通りに進めばいい。自分以外全くお構いなしです。恥ずかしながら、今日、つい、あと少しで般若心経終わりますから、と声を荒げて仕舞いました。

次のお寺まで悪態をつきながら歩き、もちろん、気分悪く自己嫌悪になるしまつ。世界遺産にというのがありますが、無理。あのような状態では極一部の人たちの利益・お金につながるだけのこと。大切な文化が傷付くだけです。すべき、じゃない。


明日は87番まで打ち、わきのお宿にお世話になります。






今日の一枚:82番の本堂前から。10時半頃。