二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

新米委員の覚書き

2021-09-16 05:34:02 | 徒然に想う

2017年改定の学習指導要領に初めて「前文」が設けられた。その中で二点、「児童生徒一人一人が持続可能な社会の創り手となる」、「社会に開かれた教育課程の実現」が強調されてる。

初めての前文の中でこの二点が強調されてることの意味を考えよう。


私的記録2

2018-06-30 09:48:21 | 徒然に想う

親に張り倒されたこと、幼いころ、一回。自分が6歳くらいだろか、弟と三人外出して、その帰り道電車の中でふざけ過ぎた兄弟は家に帰るなり、いきなり二人とも張り倒された。庭まで飛んだとは言わないがものすごい衝撃。その時の、オフクロやジイちゃん、バアちゃんの目を丸くして驚いた顔まで冷静に覚えている。

ふと、何を教えたくてそこまでしたのか確かめたくなって、電話してみた。食事も終わってちょうど寛いでいるところだというので、思い切って質問。「そんなことあるか。頬を張ったことはあっても、違う。そのときじゃない」「へ?」「しかも、大体、弟には手を挙げたことはない。お前だけだ。」

電車の中でふざけて周りの人に迷惑をかけた事を強く叱ったこともあるなぁ。でも、頬はたいたのは、妹が生まれる前、三人でオモチャで遊んでた時、お前が気に入らないことがあったらしく、俺にオモチャを投げつけたんだ。投げつける、つまり、親だからと言って許されることでなく、人に危害を加える、加えそうになったからそこまでして叱ったんだ。

いつの間にか二つの記憶がごちゃ混ぜになってた。叱られたことは忘れても構わないだろうが、その教えはそうはいくまい。他にもいろいろ教えがあるだろう。果たして、どれだけ守れてるか恥ずかしくなる昨今。電話の終わりにオフクロに代わってもらう。「なぁ~に、なに怒ったかなんて覚えちゃないわよ。でも、こうやって聞いてくれて、うれしいわ。ありがとう」ですと。一つ一つ確かめていかなきゃ。

 

今日の一枚:とあるドキュメンタリー映画のワンシーン。


一区切り

2018-03-11 21:12:15 | 徒然に想う

これまで誰にも話してないことがあります。高知での生活はそれを風化させてしまいそうです。でも、風化させるべきことでないので、一つの区切りとしてここに記録しておこうと思います。

学生時代の街、仙台。そこには毎週通ったコーヒー屋さんがあって、そこでコーヒーを飲みたくなります。でも、行けません。街の東側、海岸が広がっていて、そんな一つに後輩たちと馬鹿なことをした思い出深い荒浜って場所があります。そこに行きたくなります。でも、行けません。

高知に来て、あるコーヒー屋さんと出会い、彼のコーヒーを楽しんでいくうち、ちょっと変わってきました。コーヒーは機会あれば飲みに行けそうです。でも、荒浜は・・・。例えば、車に乗っていて橋の上で止まったとき揺れると、地震を思い出します。もう怖くて仕方ありません。そして、どうしても荒浜を思い出し、「行ってみるか?」と問うてみるのです。答えはいつも「止めとこ」。

7年前の3月111426分、東京湾を望む高層ビルの一室におりました。デスクの書類やディスプレが左右に揺れ、床に飛んでいきました。避難放送が入り、同僚たちと冗談言いながら避難階段を下りました。避難場所、対岸から立ち上る黒煙を見ました。余震、オフィス棟が隣の居住棟が揺れぶつかりそうでぶつからない。避難場所を移動。流れ解散。大好きなお店に様子を見に立ち寄った時、津波の映像。海岸の街々がのまれていきました。そして、帰宅難民。

「つなぐものがあるかないか」がキーなんじゃないろか。コーヒーは味わいや香りで学生時代(昔)と今をつないでくれます。だから、出かけてもいいような気になります。でも、風景はそうはいかない。今の荒浜を映像で見ることはできます。でも、これどこって感覚です。荒浜も、ゆっくり変わったならば、よかった。でも、津波じゃ、そういかなかった。津波がもたらした風景の変化があまりにも劇的すぎて、それこそ、なにが起きたか理解不能(あの日、実は高知に来てから気付いたのですが、感情や感覚が動いた記憶がありません。冷静なわりにパニック、何が起きたのか把握してなかったと思います)。完全に、昔と今をつなぐものを、私は見失っています。昔と今をつなげない。だから、今を目の前にしたところで何になるのでしょう、受け入れられるはずがないのです。無駄な努力ほどむなしいことはありませんから。コーヒーは行けても荒浜は行けない、こういうことではないかと思うのです。

 

 

今日の一枚:足元にひっそり咲いておりました。3月10日撮影。


「この町が好きだから」 ― 原理原則

2018-01-21 08:12:01 | 徒然に想う

この町に来て2年、ますます好きになってく。それは、様々な空の様子を映す川、霧や雲が谷筋に入り込んで幾重にも重って見える山々、オンちゃんらやオバちゃんら、取り巻く環境が素敵だから。ただ、思うは、その「環境」の持続性。これからも「継続」してくんだろうか。それは、田畑・果樹園の放棄地化、お祭り存続の危機など、実際、目に耳にすると…。で、考えてみた。「継続」は必要か。

沢山の汗で出来上がった畑地は長い時間かけ自然に戻って行けばいい。これまで培われてきたお祭りや技術・文化は無くなっても仕方ない。町は無くなっても、統合合併という形で残るだろう。これらは一つの答えで、今の対峙している方たちの当事者性を慮れば、そういった「継続」を止める決断も理にかなってる。次に、その「当事者」から離れ、「継続」の「対象」となるものが、いったい誰のものなのかに目を向けてみた。今を生きる当事者としてでもある我々のものか? あるいは、将来の者たちなのか? 

ネイティブ・アメリカンの格言を読んでいると、いろいろ学ぶことが多い。

  • 土地は先祖からの授かりものではなく、子供たちからの預かりもの。
  • お年寄りと子供を切り離してはならない。彼らを引き離すことは過去と未来を断つことと同じだ。
  • なにをなすのであれ、今から7世代先後の子供たちへの影響を考慮して行われなくてはならない。

圃場から川を眺めたり、山から街に出る際の光景に見入ったり、集落を遠目にお祭りのことを思い返したりすると、暖かな、幸せな、良かったなぁとの思いに包まれる。これから来る時代でも、誰かが同じように佇み、眺め、楽しむ。そうあってほしい。だから、次の世代に残したいと思う。今、「継続」を止めたら、その新しい世代たちができなくなる、彼らから奪うことになる。だから、「継続」を止めてしまうわけにはいかない。そのために、私は何ができるだろう。

 

 

 

今日の一枚:横倉山へ登る道、途中にある織田公園から、町の中心を望む。

もう一枚:同じ場所、黒森山、五在所山を望む。


ミカンの樹たちへじゃなくて、野菜たちへ

2017-09-20 19:19:47 | 徒然に想う

苗たちの文句や悲鳴が聞こえてくる。「もうちょっと待って」も、もう限界。言い訳も弱音も聞く耳を持ってもらえぬ。彼らの姿から想像するに、すでに今の環境は劣悪、ポットや育苗トレイでは狭すぎる。だが、今までのように、落ち葉や草たちをすき込み、元肥、畝上げ、蔵付きで定植したところで、余計ストレスをかけ、力発揮することなく尽き果てる。二年間も繰り返せば、明白な結末。誰が見てもそのやり方がおかしいと言わざるを得ない。じゃ、どうする? どうする!? 正直、分からない。どうしていいのか分からない。

先日、K兄から「お前のダイズを見ると、ありゃ窒素過多じゃろ。あれだけ葉が茂り、実が充実しとらんとこみると・・・」「でもね、アニキ。反当り6キロの窒素分しか入れてないがよ」。これって、肥料袋に書いている多い方には属する。だが、かつて棚田であったことを思えば、稲作の度に肥料も流れ、残留している肥料分も少ないろうから、それだけ入れたところで窒素過多になり様がなくない? う~んとK兄。畦豆っていって、何もしなくてもできるんもんだけどな、と。こんなK兄との会話がもっこと楽しくうれしい。

だいたい、これまでのやり方は、前回報告した様に土を掘ったところ、三層(砂質の作土層、水を保持し床と呼ばれる赤土層、床によって分断されている地のガレ土層からなる)のうち、作土層から深さ2、30㎝の床までを対象としてる。長年水田であったところ。地力を考えたら、植物たちが欲しいだろう要素が残ってるか。というより、流出していると理解すべきやったのでは? そのような場環境に一切目もくれず、この夏の日照りの結果、野菜たちが瀕死の状況になったことを目の当たりにし、水を入れなきゃ。でも、水を入れても保持できるようなでできない、と右往左往。結局、収量は一人食べるのには間に合うかどうかだが、雨が降って、樹たちは復活。樹たちに救われた。

「しあわせみかん山」で学んでることは、多岐にわたる。苗木の根鉢・点孔周りの構造の入れ方、構造を作る素材などなど。冷静になってみると、そのことに対し、何に対し何をするのか・どうしたいのかというよりも、どうするのかハウツーかばかりにとらわれ過ぎてやないろか。最近、ちょっと待て、と自分に言い聞かせる。何のためにそうするのか。テクニックでなく、なんども繰り返された「ご機嫌いかが?」の精神は? 例えば、消し炭の有効性が繰り返される。それは、炭の多孔質が適度な空気の流れや場所を提供するから、周囲の環境が整い、樹たちが伸び伸びすると解釈する。もし、それが用意でききないのであれば? 次の素材は? その次は? 注意を要することだけど、当事者は誰? ってこと、か。

乾燥した竹の串を地表から床までを突き通したらどうなるろう。乾燥した竹串が消し炭のような役割を果たすかどうかわからん。が、いったん作った根鉢の補修に色々な角度から竹串や楊枝を使うことがある。そ、素材は消し炭、じゃなくともいい、じゃないかだよな。むしろ、これまで孤立させていたガレ土層との連絡路となってくれたら・・・。そう思ったら、何もせずより、やって失敗やと。もちろん、焼き鳥の串のようなものでは到底硬い床の下まで貫けない。40センチほどの長さの竹串、が要る。藁をもすがる思い、苗たちにはもうしばらく我慢してもらおう。今日丸一日竹串作り。教えて頂いてきたことを正しく理解したかどうかのセルフチェックにもなるろう。あぁ、どうか成果が見えますように。

 

 

今日の一枚:これを書いてるタブレットの置いてあるテーブルの下の様子。で、なに? なんも。19時半ころ。


私的記録

2017-09-04 07:40:48 | 徒然に想う

二点、書き残す。 

一点目:昨日見た「椿山 焼き畑に生きる」について。

これ、牧野植物園で行われている企画展「『キビ』と高知の暮らし」の一環として上映された。映像の貴重さはもちろんそうなんだが、それ以外の点を少し。それは上映が終わった後起きた。企画された方が〆の話しをされ始めたころ、一人の高齢の女性が立たれた。マイクを握るのも緊張か感激か分からないがおぼつかない様子で、ありがとうございますとスピーチ。映画の題字を書かれた方だった。今から40年前制作された当時の関係者のお一人。映像以前に実際の現場を目の当たりにされてる。そういう方が来られる。

上映が始まるや否や、小母さんが後ろに座っている小学校低学年の男の子たちに「ほら、お爺ちゃんよ」とささやかれた。男の子たちにとって、どう映ったろう、40歳も若いジイジの働く姿は。ここでも、当事者がおられ、直接孫たちに話しをされている。

80名定員のところ、120まで入るよう椅子が増やされた。新聞に出た効果もあろう。が、それが椿山やその近隣の出の方たちを呼び込んだよう。聞こえてくる話の内容に昔話やどこどこに住んどったなど。今やその片鱗もないとも聞こえたが、自分の生まれ育ったところに出かけたい方たちがいる。いるということは集まれば話しを聞けるということ。同じようなことを思い出す。昨年町の博物館で行われた「小日浦」の写真展。あの時も、子供時代を思いだしながら昔話の花が咲いていた。

40年前のこと、当時の人々の日常だから残す残さないを含めそれ自体に価値があるかないか、正直分からない。ただ、「今なら」当事者たちから話を聞くことが出来る。映像だけでなく記憶に残せる。そうするために人が集うこともできる。うまくすれば交流すら始まるのではないだろうか。何かの火種になるような気がしてしょうがない。この企画展の面白さの一つ、ここにあり。

 

二点目:これは自分のしでかした失敗。

この二年を棒に振ったとまでは言いたくないが、一番最初にすべきことを怠ったために起きた。それは先週の始め畑としているところを三か所掘ったことに始まる。使い始めた当初、作土層が薄いからダイコンのような根物は難しいぞと言われた。「薄い」のか、と思うも、それから落ち葉を入れたり肥料を振ったりしてきた。天候のこともある、作土層の地質のこともある。今年はそれなりに結果を見たい、見たかった。おかしい。うまくいかない。納得できない。

穴を掘って、土の様子を見て、やっと気付けた。さんざん「しあわせみかん山」で場の当事者性のことを学びながら、場を見ずして自分の思いだけで作業してきたことの愚かさを。その場が許容していることを利用しようともせず我を通してきた。うまくいくわけもないし、すべてが徒労に終わりかねないとこだった。

さて、これからどうするか。あの場とウィン・ウィンの関係を築いていくためには。仁ノ滝は永年作物(柑橘類など)にいい場所。もしかしたら、これも場を理解せず先入観でもってのことかもしれぬ。が、地主さんは樹を植えてもいいと仰ってくれた。

なんにせよ、地面を掘ってみなかったことのツケは大きい。

 

今日の一枚:昨日の上映会の後、園内をうろうろ、16時頃。


盆踊り、そのお礼は?

2017-08-26 21:19:17 | 徒然に想う

実は、その日の午後、天神様、辛谷荒神様と集落でお祭りがありました。もちろん直会があり、美味しい食事とお酒を頂きました。そのせいでしょうか、踊りが始まるとすぐに不思議な感覚にとらわれました。自分がいなくなる。踊る体はあるのですが、それとどこか遊離したところに意識が存在するんです。

踊りながら、体の外から他の踊る方たちを観め。ああ、こんなに多くの人が集まり、輪になって踊ってる、どうしてなんだろ。あれ、見たことのない踊り方(たった三回目の参加でわかりはずもないのですが)、どこからだろう。そうなんです、驚くほど冷静に鳥瞰してることを楽しんでる。正直、これまで、盆踊りは屋台が沢山出るとこ、その人込みを見て楽しむだけ。踊ることなど一切興味がありませんでした。それがどうでしょう、踊りながら、鳥瞰しながら、いろいろ考えてる。

横畠での練習の時、相変わらず間違えてばかりなんだけど、合うとその時の感覚が不思議でした。自分はそこにいるのでなく、盆踊りの輪だけあると思えるんです。ドーパミンが大量に出るんでしょう、ハイな状態、あるいはトランス状態というのでしょうか。自分が何をしてるのかわかりません。自分の中で時間の経過がなくなります。ふと、高校のころ、大好きな数学の問題を解いていた時に似たような経験があり、懐かしく思い出しました。

あの夜、あの輪の中にいて、何度も鳥瞰する自分を楽しみました。多くの地域から人が集まり、太鼓と歌とに合わせ、唄い踊る。踊り手それぞれに、地域性がしっかり現れる。それでいて、バラバラでなく、鎌井田老人里の家での盆踊りの輪が一つ完全に出来上がるんです。これはなんでしょうね。不思議でしょうがない。はっきり、そのような時間をなくしてはいけない。まして、他の地域からの踊りを見せていただけるのなら、鎌井田の踊りでお礼をしたい。なんでしょう、この感覚?

 

今日の一枚:23日の映像です。4匹の蜘蛛がいて、巣を壊し合って縄張り争いの最中です。画像では二匹しか写ってませんが。その様子、20分ば、見ておりました。


一杯のコーヒー

2017-08-16 07:30:25 | 徒然に想う

これまでなん杯のコーヒーを飲んできたろう。でも、飲んで眠くなったことなど、あったろうか。先日、どうしたものか、友人からいただいたものを朝食後飲んだら、その後小一時間ほど時間が消えてしまった。ここでの生活の中でも、よっぽどリラックスできたんだろうと思う。気持ちのいい時間だった。

そういえば、そうだ、十年前。あの頃、リラックスなんて一切考えられなかった。仕事に日常に振り回され、ストレスが溜りに溜まってた。ついに2007831日、爆発。数日前から体調があまりにおかしい。自分でも恐ろしくなって、ちょっと産業医の先生に診てもらうつもりで、医務室に駆け込む。話を聞いて様子を見られ、彼が発したのは、「さて、どの病院にするか」。そして、検査のため病院へ。検査だけのつもりが、そのまま入院。「一か月は出れんよ、キミ」と担当医。

色々なことが、こんな自分にも起きる。このカン詰め、傍かから見れば、今思えばどうでもいいことだが、大きな出遅れ・ネガティブと映ったろう。不摂生の自業自得とさえ思った人もいたと思う。が、幸いにも、自分では、重要な岐路に立てる準備をすることが出来た、と言い切れる。このカン詰状態が終わるころ、「ここ」にくる下地が完成していたのだから。とても大切な一つの人生のイベント。

はじめの数日、検査やら、点滴に繋がれ茫然自失。何かの恵みだからしっかり休もうと思えたのが数日後。福岡正信さんの本を持ち込み、読みふける。か、寝るかの日々。まさに完全休養。一通り読み終えたころ、これまでの自然観、人生観が整理されてゆき。暑いのか寒いのか、セミが唄ってたのか、風が吹いたのか、雨が降ったのか、分からないなんておかしい、間違ってる! そして今、こうやってどっぷり仁淀の流れに癒され、この自然に抱かれてる。何だろう、この幸せ。そこに、あの一杯のコーヒーがもたらしてくれたものは?



今日の一枚:玄関を出て定位置に立って。5時過ぎ。


「キビ」のこと、しりたいなぁ

2017-08-05 15:38:22 | 徒然に想う

昨日のこと、台風五号の影響の不安定な天気。草刈りが一段落してたことから、冬野菜の種蒔きをした後、市内にある牧野植物園でやっている『「きび」と高知の暮らし』を見に出かけた。改めて、貰ってきたパンフレットを読み返してる。

栽培技術として面白い。①今でいうところのコンパニオンプランツの手法が取り入られてる。土地の有効活用という観点でもあったろうが、昔の人は良く知っている。紹介されてたのが、二種類。キュウリ、マメ類(アズキ、ダイズなど)。混植するとキュウリは病気にならない。マメ類は窒素固定をしてくれて、「キビ」がよく育つ。さらに、②播種するタイミングをずらし、収穫期間を延ばす「時間差」方式の採用。③連作もやってるし、ハダカムギとの輪作もある。④播種するときは、山のもんのために五粒。⑤定植するとき、二、三本で一組にし、定植後の発根を促すため葉を切る。驚くのが、⑥紙漉きで使われるミツマタと「キビ」の関係。展示を見たとき、三圃式の輪作体系のような図があって、その中にミツマタが組み込まれてた(これがパンフレットで確認できない)。どうも、「キビ」のお世話がミツマタにもつながるんだとか。食物と換金作物とを合わて作る知恵、なんとも合理的。

地域活性化の資源はどこにあるか。その地域が望んでることを把握しすり合わせた上で、外から持ってくる。どこかの地域で成功したからと言って、そのビジネスモデルをただ持ち込んだり、持ち込ませては成功しない。むしろ短期間で費用の無駄に終わる。地域の当事者性を顧みなければ成功は望むべきもない。一方、地域内にあるもの、例えば、この「キビ」に関する技術、生活習慣を振り返ってみること。それを引き継でいくことも資源と見做せるのではないだろうか。温故知新方式といったらいいか。

「キビ」の栽培は雑穀類やイモ類と比べて日が浅い。しかし、七夕やお盆の行事に神様にお供えされているところから、大切な欠かせないものとして生活の中にあった、とか。実際、こうやって中山間地で生活していると、いかに水を引き田を作り稲を育てるか、その壮絶さはいとも簡単に想像がつく。アワ、キビなどであれば、斜面でも畑地があればしよい。まっこと大切にされてきたんだろう。こういった技術(知恵)は、まさに地域の一つの資産。ただ、どうしてもそれを継ぐ人たちが少ない、いない。お祭りも同じ。廃れてもいいだろうか、果たして・・・。

 


今日の一枚:台風5号に備えて、昨日から上流にあるダムで予備的放水が繰り返される。ラフトは多少水が多い方が楽しいか? 15時過ぎ、家に帰る途中。


第14回 身近な水環境の全国一斉調査

2017-06-04 10:43:17 | 徒然に想う

大好きな仁淀川、BODが低く清流とされる。それを身近に感じながら生活できる幸せはなんと表現したものか。が、どこが清流だとまでは言わないが、考えさせられることが多い。日々使う川辺の道にはゴミや吸い殻が散乱し、人目につかないような川岸には缶やペットボトル。日常ゴミ、農業資材を含む産廃も簡単に目にする。

65日は、環境基本法で「環境の日」、国連の「世界環境デー」と定められている、とか。それに合わせ初旬に、身近な水環境を調査し実態を把握しようという取り組み「身近な水環境の全国一斉調査」が行われていて、今年で14回目になる。この町にきて、より仁淀川に関心がより強くなり、初めて参加することにした。その調査日が今日、64日。

ちょっとした緊張感をもって川の水を採り、試薬と合わせる。ストップウォッチで測定時間を計り、測定を三回。調査票に記入して。意外に簡単でスムーズに片付いた。鮎の稚魚? 魚が跳ねたり。場所を変えて、同じ測定。新たな発見、こんなにきれいだったんだ。そこはホタルも舞うところ。足をしばらく流れにつけてみた。チョー、気持ちイイ。

いつまでこの環境を守ることが出来るのだろう。集落のオンチャン、小母ちゃんたちは口をそろえてもっとキレイじゃったとおっしゃる。最近仲良くなった小学三年の男の子に、昔はもっときれいだったと言わないようにしよう。それより、彼の孫の孫たちにも今の川の環境を、いやそれ以上「きれい」な川を残せる様にできたらなぁ


今日の一枚:浅尾の沈下橋の直下、8時過ぎ。