二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

地下足袋

2009-05-30 21:48:52 | 徒然に想う
散歩に出れない。週末ぐらい晴れて欲しいものだが、そうはいかぬ。どうして続くかね。こうなれば、「今日の一枚」で始めよう。未整理の写真の山から見つけた。

何年ぶりかの地下足袋。うれしい。ゴールデンウィークに行ったFノ宮でのこと。大地から、うん、何だろう…。指を曲げる、何かをシッカリとつかんでいる。地下足袋だからこそ伝わってくる、この感覚。

ジェラルディンの前にWWOOFしたジルのところで地下足袋を履いたんだ。今でも思い出す。ジルの不安そうな顔。どうして、靴下で作業しようとするんだ! 頼むからブーツを貸すから履き替えてくれ。イヤ、これ効率的なんで。結局ブーツ借りた。

ハハァ、来たね。これだよ、これ。この感覚。春というか夏というか、かっこよく言っちゃえば、息吹。息吹が直に伝わってくるだ。うれしいねぇ。ホント、嬉しいね。

グレーの空

2009-05-30 06:04:58 | 徒然に想う
土曜日だというのに雨が降る。車の雨をはじく音を聞いている。カラスが向こうで、マンションの植え込みでオナガだろうか、鳴いている。音を聞きながら変な事を考えた。

以前は朝10時ころに入って18時ころ会社を出る。朝の散歩が出来た。上司はキャリア志向の塊で聞かれたことのみ答えていれば、後は何をしていてもよかった。今、朝8時ころに入って18時ころ会社を出る。土日しか散歩に出れぬ。上司はチームのことや他のビジネスのことも考える人で、こちらも常に頭を使ってなければならない。チーム再建にも力貸せという。どちらが幸せだろう。

昼間の時間のすごし方という意味では、今のほうが充実している。ただ、あの桜の件以降「散歩」が重要。日々の時間の過ごし方となると、やはり…。だいたい、ここには…、仕方あるまい。つまらなくなった気がする。



今日の一枚:三月の頭ころ、霧氷とでもいうのだろうか。冷えた朝、霧が雪ヤナギについて氷結。思いっきり近づいて、強制発光して撮影。デジイチで撮影したものを縮小。画が粗くなってしまった。ペンタックスのアルバムにオリジナルサイズ。二畳庵で探してみてください。

オレが小五郎

2009-05-28 22:55:58 | 徒然に想う
我輩が小五郎である。ノアという名前があるが、庵主殿には小五郎と呼ばれている。O町の大将のところにいた五郎の代わりだからということらしいのだが、まぁよかろう。何とでも呼んでくれだ。

ところがだ、トンと最近姿を見せなくなった。完全寛解が続いているといった割には、薄情なもんだ。たまに姿を見せるが…。

どうしてんだろう、小五郎は。先週なんかもせっかく行ったのに寝てるし。今頃、夏毛に代わるころで大変だろう。すねてんのかなぁ。あぁ、そうだそうに違いない。

こっちだって、都合ってのがあらぁな。たまに寄って遊ぼうといわれたって。春眠、ちょっと時期をいっしたか、暁を覚えずだ。お前の来るような時にきちんと起きていられるかってーの。




今日の一枚:最近、レジストリーを使って、年初来の写真を整理している。そうしたら、いきなり出てきた。初めての登場じゃないか、オレが小五郎だ!

道はどうなっているか

2009-05-27 11:55:52 | 徒然に想う
駅に向かうとき何かに誘われ、家を出て近くの空き地を経由した。距離にして一分もかわらない。キラキラ光る。あぁ、こんな所に光るものがある。

彼ら、お互いに輝いている物を持っていると認識しているのだろうか。もちろん我々人間には判らぬが、互いに何かを通わせ見つけ合っている…。いやいやそれはあるまい。あの寒桜の一輪とおなじ、あたかも個であって全で、全であって個だから輝くものがあるようでない。ないようであるはず。

ところが、意志を持つ人間は個の区別ばかり。だから相手に輝くものをと思う。彼らから引き出すことが可能なんじゃなかろうかとさえ思う。決して驕りや高みから見下ろすのでなくて。輝いているものは美しいから。

ただ残念なことは、世にキャリア嗜好と呼ばれるお歴々は自分の中だけにそういった輝くものがあると思い込んでいる。だから人を見ない。高みから見下ろす。その弊害たるや底知れない。想像を絶しさえする。

この雑草は美しい。もしこの雑草たちのように個にして全、全にして個が自然に還ることなら、こんな個の輝くものを探そうとしている者にはその道が閉ざされているのだろうか。





今日の一枚:空き地の向こうに住んでいるマンション。

ボヤキ

2009-05-26 12:14:56 | 徒然に想う
一見キレイなリンゴに見える。巣くっていた虫は別なところに移っていった。これで大丈夫と思った。ところが巣くられたリンゴはどこまで痛んでしまったのだろう、想像以上に酷いようだ。とりあえず表面はきれいに見える。しかし、皮をむく手伝いをし始めると、中身がかなりダメージを受けているのが分かってきた。

これをこのまま放置して、腐らせてしまうか。

そっくりそのまま虫食い前にはもどせない。形や見た目は違うが発酵という手段を使って違う形で生まれ変わるか…

…朝から何を考えているんだろ。そんなことに捕らわれるのでなく、ハーブや野菜、あぁ、ここまで伸びたと喜んでいたい。早く見つからぬか、マザーランド。ああ気が急く、この間のカタツムリのように自分の時間で進んでいくこと忘れないようにしよう。





今日の一枚:腐り出したのはこっちの目や耳や鼻。毎日歩くところなのにアジサイが咲いたのに気付かなかった。

有効に使おうよ

2009-05-24 18:14:17 | 徒然に想う
やっと、やっと、この間のタスマニアの旅行記が完成した。後は資料とともにファイルを作り…。と、安心していられない。もう2本仕上げねばならぬ。来月も予定入れているし。

さっきから、かれこれ2時間近い? プリントをしているんだが、まだ終わらない。たかが90ページなんだが。

雨の日曜日、だからこそ完成できたのかもしれない。



今日の一枚:ベランダのベンジャミン、若葉がきれいでしょ。

生きているから 歌うんだ

2009-05-23 11:50:22 | 徒然に想う
おっ、鼻の頭に蜘蛛の糸がかかる。高曇りの朝、静かな朝。向こうに、顔馴染みの散歩氏さん。

ひさしぶりですね、どうなされました。おはようございます。

おはようございます。仕事内容が変わって、土日しか散歩出れなくなりました。


川辺の雑木林。また、蜘蛛の糸。わあっーと、葉が木が寄ってくる、久しぶりだねと。確かに久しぶりだ。向こう岸、カワセミ、高さ1メートルの枝から何度もダイブ。ちっと五月蠅いのはそのたびに連写モードのシャッターの音。ああ、でもどこか懐かしい。


1990年に、チェルノブイリの原発事故で原発の操業をやめてしまったイタリアが、温暖化対策などのために約20年ぶりに運転再開してしまう。その間技術進歩が止まってしまったので日本が協力するという。日本ではプルサーマル、フランスから来た核燃料で発電。環境のために原発!?


遊水地まで行くと、草笛の音。「手のひらを太陽に」を吹いている。上手いもんだ。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだぁ。



今日の一枚:僕らはみんな ふふふんだ、と口ずさんで遊水地を後に。神社下の公園で見上げたら、まぶしかった。



夏は始まっていた

2009-05-22 10:09:22 | 徒然に想う
忘れるところだった。昨日5/21は24節気の小満、万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る(暦便覧)。陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂るという意味だそうだ。

電車から見える田んぼも大分蒼く見えるようになった。畑のとうもろこしもバキバキいって日に日に伸びていっている。ただ、昨日は30℃近くまで気温が上がったのに今日は25℃位までらしい。陽気はいいが温度差がありすぎる。

やっと、タスマニアの旅行記が完成しそうだ。昨晩最終的な見直しを終わらせ、写真などの体裁を整えれば完了だ。とはいえ、次のが控えている。松山の分をまとめなければならない。その次は…。6月は山口の方に行って来る予定も立ててしまった。

そうそう、ゴールデンウィークに24節気上の夏の始まり、立夏 (夏の立つがゆへ也、暦便覧より)をむかえていた。野山に新緑に彩られ、夏の気配が感じられるようになる。かえるが鳴き始め、竹の子が生えてくる頃と好きな暦のサイトに。確かに、百姓屋Tさんの家の前に広がっている田んぼで大合唱だった。



今日の一枚:見上げたらまぶしい。でも木々の緑からこぼれるのじゃない…