二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

偵察

2014-09-30 17:50:33 | 徒然に想う
ちょっと遅くなってしまったが、あの神秘的な青をみたくなり昔の散歩コースに出た。

カワセミの川に向かう途中の畑道、東を望んだんだがまだまだ暗い。暗い、じゃないか。

あっ、懐電、忘れた…。切通を抜け、カワセミの川に出て、行く手の雑木林が黒々と口を開いてる。

意外に、以前と変わらぬ風景。公園に遊水池、散歩士にカワセミ撮影マニア。だいたい同じ顔ぶれ。

神社を抜け、病院のわき、春の大雪で大破していたイチゴのハウス。整地され、より丈夫そうなフレームに建て代わっている。が、中はまだ加温機が据えられてるくらい。今年のクリスマスシーズンには間に合わない…だろな。自然にゃ、勝てない。

青の時間? 神社に上がった時既に終わり。遊水池辺りで始まってたよう。明日は衣替え、それに合わせ畑に行く時間を調整しようと思ったが、もう少し先でいい。





今日の一枚:5時05分頃、遊水池の土手にて。

(ひととき)

2014-09-29 18:27:34 | 徒然に想う
しまったぁ、朝にこんな一声。嫌な感じ…。畑に出るのに朝ご飯の用意がない。仕方ないので、五時頃コンビニに向かった時のこと。朝の光がまだ青くアーチ型に残っている。あと三十分早いと確実に青の一時間(ひととき)に違いない。

畑に佇むと草の、土の香りだけじゃない。金木犀の香りが確実に取れる。風もサラサラ、気持ちいい。ナガネキの土寄せ、土が乾いて乾いてガチガチ、一向に進まない。すぐに嫌になって手をとめる。何度目? その度に気持ちよい一瞬間(ひととき)。ちっとも能率的じゃないと、顔がほころぶ。

ヤレヤレ、土まみれの地下足袋、爪を外してゆく。足が軽くなって、今日の終わり。太陽もずいぶん低く、どんどん気温が下がる。上半身裸で汗をふく。あったまったタオルが、実にいい、汗がひく。1ヶ月前には、ふいてもふいても無駄、無駄、無駄。あれまぁ、一季節(ひととき)が代わってしまった。明後日は衣替え、作業着も長袖か…。

バスを待つ。陽がゆっくり山々の向こうへ沈んでゆく。大して捗らなかったが、いい“ひととき”が集まったら、いい一日になった。鴉が、二羽頭の上、飛び去った。

《一羽飛ぶ 一羽追いかけ 柿揺るる》





今日の一枚:朝九時過ぎ、畑にて。小松菜の葉、細かく朝露が残る。この世の宝石。

三升漬け - その後

2014-09-26 18:33:51 | 徒然に想う
今朝、部屋の中がパンを発酵させている時のような香りに満たされているのに気付き、目を覚ました。一昨日あたりから、仕込んだ三升漬けの麹がいい具合に柔らかくなり始めてたから、今日だと知らせてきたのかもしれぬ。

日常的に畑に出るようになってから日課となったストレッチをしながら、この香りを楽しむ。ここで焦っちゃいけない。せっかくの香りを楽しまないてはない。どんな味わいだろか、空想も広がってゆく。

久しぶりに小川町駅から畑まで歩いた。曼珠沙華も咲き、秋桜も咲き。雲もいろんな形。あぁ、忘れてた。自分の時間を取り戻した。そう言えば、暑さに負け、バスの時間に合わせ、リズムを作っていた。最近落ち着かないと感じていたが、どうもこれが原因、だ。金木犀の香り…。金木犀の香りがかすかに漂ってくる。去年遍路をしてた時分を空想していた。

体もいい感じに伸ばせたので、身を起こす。より強くタッパーからイイストの発酵臭を感じる。台所からかき混ぜる為にスプーン。グルグルかき混ぜ、ちょっと味見…。今日、今日なんだね。グルッとタッパーの蓋を閉め、冷蔵庫へと持って行った。後はゆっくりでいい。






今日の一枚:まだ微かに麹の粒が残る。Webから拾ったレシピでは、混ぜたら直ぐに冷蔵庫。で二週間とあった。今朝5時半頃。

“ミカン”胡椒

2014-09-25 09:28:59 | 徒然に想う

最近、ユズポン酢にはまっている。四国に行けばお土産と称し買って帰る。で、畑から帰ると、夕飯にゴーヤやモロヘイヤのお浸し、ヤッコにサラダ等なんにでも、ドレッシング・醤油代わりにかける。モロヘイヤとオクラをたたいてたっぷりとかければ作業の疲れなぞ! だから、かなりの勢いで使うので、あっという間になくなってしまう。なんとか自分で出来たらと思うが、さすがに果樹、こればっかりは作れない。そんな矢先のこと、青い夏ミカンを手に入れることができた。昨日のこと、お彼岸でもある、出来た野菜をもってお裾わけにと実家に出かけた。すると、夏ミカンが置いてある、庭の片隅にある木から取ったもの。それを4つ、貰ったのだ。

天気が不安定な朝、ユズと夏ミカンじゃかなり違うけれど、同じ柑橘類。まだ若いから、あまりジュースは絞れないよとのことだったが、同じようにならないかと、絞りだす。なんとか、100ccほどの果汁が取れたので同量のお醤油と合わせる。ちょっとなめてみればなかなかいい。ちょっと欲張って、皮の白いところや果肉の残っているところも一緒にして、これを冷蔵庫で休ませる。さて、どうなることか。楽しみだ。

…皮、皮か。どうしたもんだろう。このミカン、当然無農薬の無化学肥料。黄色くなれば、そのままマーマレードに出来る。このまま捨ててしまってはもったいない。何かできないものか。…ユズ胡椒? 作り方を調べればこれが簡単、前回の三升漬けよりもより簡単だ。懸念することは、夏ミカンはユズほど香りがない、ことだけ。でも、幸い青唐辛子が冷凍庫に大量に眠っている。使わなきゃ。えーい、ダメもとだ! 

皮から緑の部分を剥いで(白いところはエグミが出てしまうとか。それはそれだけで塩漬けにしてみた)、フードプロセッサー(?)に入れ細かく粉砕。青唐辛子も同じ量(100g位)、ヘタを取って皮と一緒に細かくする。塩を15g入れて、仕上げとした。どう? 試食すると、なんとなくユズ胡椒のよう。よしよし、これでまた楽しみが一つ増えた。 

あれやこれやと心配をかけている。が、こんな楽しみが次から次へと沸いてくる。楽しくてたまらない。もちろん一番の楽しみ、であるところの“母なる土地=Mother Land ”探しも、それなりに足を延ばしている。来月また高知に行く。

 

 

今日の一枚:9時ちょっと前、台所にて。緑のが“ミカン”胡椒、右の白っぽいのが、皮の白いところの塩漬け。茶色いのが“ミカン”ポン酢。


三升漬け

2014-09-23 21:10:17 | 徒然に想う

鷹の爪、これがまた沢山取れる。保存、どうしよう。青唐辛子はそのまま冷凍してもいい。しかしそれでは面白くない。一番簡単な醤油漬けは、ナンプラーを使って作った。他のは? 山行前に見つけたのが、三升漬け。

山行から帰って、さっそく、三升漬けに挑戦。要る物は青唐辛子、麹、醤油。これを1:1:1で合わせる、これだけ。手元にちょうど麹が180グラム。で、醤油180グラムに、青唐辛子180グラムに決定。

コト、コト、コト、コト…。青唐辛子、ヘタを取ってコト、コ、トコト、…、意外に冷凍しておいたのがいい。ひたすら輪切りに、コト、コト、コト、…

ネットでレシピを見ていると、知りたいことが載っていないことがある。今回、麹と書いてあるが、乾燥なのか、生なのか…。青唐辛子と麹はグラムで計る。醤油はcc。単位をどう合わせれば…。何度となく検索を繰り返した。

結局、三升漬けってのは、手に入れやすい乾燥麹で、三つの材料をだいたい等量合わせればいい、らしい。レシピによっては、昆布を入れたり、ミリンを入れたり…。混ぜて、二週間ほど待って、麹がトロトロになりだしたら完成。レシピにこだわっても仕方ない、家庭の味のよう。確かにコメントを読んでて、レシピを書いた人たちの思い出が面白かった。

 

 

今日の一枚:三種を混ぜ終えたところ。実は一昨日のこと。


山はもう冬 - “山籠り”のまとめとして

2014-09-19 12:22:33 | 徒然に想う

ああ、美味、美味。常念岳から一の沢、ヒエ平に向かって下っていく途中、水場で汲んだ水でコーヒーを淹れる。それを一口飲んで今回の山籠りを想う。

道、道ってのは登山道も遍路道も同じだった。そこは、昔から何百万人、何千万人とが歩いてきて出来上がった踏み固められた一筋の場所。そして、その場所には、いろいろな汗や思い・願いが入っている。石の上に滴り落ちる汗は山でも遍路道でも何も変わらなかった。例えば横尾から調が岳への尾根に上がる標高1,000メートルを稼ぐ道。歩きにくい段差があるところには、木の階段・梯子が据えてある。そして今でも新しく木材が運び上げられ、更新されたり新たに設置されたりしてる。その他の場所は、どういうわけか石が敷き詰められてるように見える。その敷き詰められているところがまさに道。四国でも同じ。スコップや鋤簾をもってデコボコになったところを直される。階段が作られていて、遍路に階段は辛いが、それが土止めになり遍路の行く手を守ってくれる。石畳だって何箇所も歩いた。それは、その道を愛する人々が今歩いている、これから来る登山者たち・遍路に安全をとの願いを籠めてのことだろう。

残念だったこともある。ある小屋の前で、一人のガイドさんがその日率いてきた十数名の方たちの中心に立ち整備体操をされていた。もちろん、率いた方たちのことを思ってのことだし、理屈的にそうすべきだ。問題は、その場所。通路となる小屋の前で、通路を塞ぎなからしてる。通路が彼らだけの為にあるのならいい。我々を含むその組に属さない者は遠回りを余儀なくされるとは考えない。ツアーを率いている方々もおかしい。どれだけ後続に迷惑をかけているか、全く考慮しない。15日のこと、奥穂から前穂にかけての吊尾根が大渋滞。団体はしかたないと諦められればいいが、中には日程が厳しい方たちもいる。もちろん、日程に余裕があるように計画するのは誰もの責任。が、現実にそういかないこともある。苛ついたり焦ったりする気持ちが生まれざるをえない。明らかに、彼らには、仮にガイドやコーディネーターとして技量があったとしても、自分の率いている方々以外の登山者たちにも手本となる意識や安全を守る、先達・リーダーとしての資質に欠る。残念ながら四国でも同じような先達を多く見かけた。結局、自分を慕ってくるところ(つまり自分たちにお金を出す人たち)のみしか目に入らないからだ。子供じみた言い方(どれだけ怒り心頭であったか、酌んでいただきたい)だが、金には目を向けるが、その以外はただの石ころ。今年山での事故が多いと聞くが、その数や不幸にも事故にあってしまった方たちだけに目をむけるべきではない。こんなガイドやツアーのコーディネーターたちの資質の低さによって事故が引き起きてしまった可能性にも目を向けるべきだ。

登る側も、自分の“作法(体力・技術、山での常識・知識など)”をいろいろ分析理解、知らねばならない。庵主が山登りを始めたころ、登り優先という不文律があった。どちらが安全を確保できているかにもよるが、声をかけてもらい先に下ったことを覚えている。どうもそういったことは薄れているらしく、登っている人がいようがいまいがお構いなし、自分のペースでどんどん下りてくる、向かってくる。さらには、道がやせているところにもかかわらず、写真を撮りたいがために、後ろを確認することなく突然立ち止まる。追突されたら危険だと考えない。酷い場合、その人が過ぎるのを待っている方がいるのにもかかわらず、だ。全く、自分勝手、自己中。そのことでもって事故が起こりえる。これらは若者層だけのことではない。むしろ中高年に多いように見受けられたのが驚き。もちろん、自分のことを棚に上げるつもりはこれっぽちも微塵もない。庵主の“作法”は高校以来進んじゃない。相方もどれだけ肝を冷やしたことだろう、すまない限りだ。

心温まることもあった。ヒエ平に下り終え、山行の最後にと立ち寄り湯に行こうとしたときのことだ。ちょっと温泉までの林道の距離を読み間違えて、林道歩き。途中、70は超えられている軽トラのご夫婦にどれくらいかかるか尋ねたのだった。その後、我々は坂道を下り、ご夫婦は上って行かれた。しばらくして、「乗っていくかい? …温泉にいきたい、か」。目の前には軽トラしかない。荷台に乗る? でも、それは道交法か何かで、それは禁止されてる。罰金もんだ。しかし、「じゃ、連れてってやるよ」。こんなことは言い訳にならないが、疲れていた体は「お願いします」と言わせてしまった。結局、そのご厚意に甘え、町営温泉まで連れて行って頂いたのだった。その暖かさ、大きさは、完全に山中での負の思い出をすべて凌駕。山行の最後の最後に、大きな贈り物をもらったのだった。

収支バランス? 言うまでもない。触って嗅いで見聞きしながら登り降りしてきた“道”から沢山のことを貰えた、大いにプラスが残る山行。

常念小屋のテントサイトを後にする前、空身で横通岳を巻き東天井岳に向かう。あぁ、雪がチラホラまってる。紅葉が始まったばっかり、なのに…。

 

 山はもう静かな厳しい冬を迎えようとしていた。

 

 

今日の一枚:常念岳の山頂にて、13時半頃。槍ヶ岳を望む。二枚目は東天井岳から常念小屋に戻り出して間もなく、7時過ぎ。

 


山籠もり

2014-09-18 18:51:50 | 徒然に想う
先週土曜日から北アルプスに行って参りました。

とりあえず、一枚写真をアップします。15日穂高山荘からの日の出です。5時20分頃です。

いろんなことがありました。近日中にアップする予定。


取り敢えず、報告のみ。

えっ、なに、なに?

2014-09-10 19:08:43 | 徒然に想う

昨日地平線から上がったスーパームーンは赤銅色を帯び、実に大きく見えた。いつもの大きさが一円玉としたら、まるで十円玉。若い猫が木の枝に身を投げ出し昼寝して。覗き込んだら、気配を察知し睨み返してきた。彼岸花が咲き出して、金木犀が香る。

 

…おいおい、悠長なこと言ってたら、良識を疑うような結果をニュース:

≪引用≫原子力規制委員会は10日、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)について、安全対策の主要部分が新規制基準を満たすとする「審査書」を正式決定し、法に基づく設計変更の許可を出した。再稼働に向けた主要な審査を正式に終えたことになり、今後は残りの認可手続きと地元の同意手続きが焦点になる。≪引用終わり≫

この夏、どこで電力不足が問題になった? 原発が一台も動いていないのに、問題が起きたところなぞない。それはどこでも必要のないものだと思い、節電に取り組んでいたから、じゃないんだろうか。それで、ここ3年すごしてきている。そこに、電力の垂れ流しを助長するような再稼働に向けた許可? 何のため? 温暖化ガス? もう一度考えたいのは、必ず不測の事態は起こりえて、その結果、地域や地域の文化・つながりが崩壊するという福島の事実だ。どんなに設備を設けても、いったん崩れてしまえば直しようがない。規制委員会は基準に照らし合わせて判断した。専門家たちはその責任を必ず背負うことを覚悟して、判断のルールに則って判断した。それはそれでいい。

地域や地域の文化が壊れることは、そのルールに組み込まれているんだろうか。一旦許可されれば、今後地元の同意が焦点になると言っても、政治屋、行政や経済界の意向で、再稼働は免れない。市民がいかに声を上げようとも、確実に無視される。福島で起きていることをどうやって解決すんだろう。多数の為に少数は我慢せよ、とでもいうのだろうか。これから日本に生まれてくる、いや地球上に現れる生きとし生けるものの新しい世代たちがきちんと納得できるよう答えを選んでほしいものだ。

庵主は夢想家?

 

 

今日の一枚:昨日の19時頃、マンションのベランダから。

 


情けなや

2014-09-09 18:21:37 | 徒然に想う
粟。乾燥させ、脱穀。で、次、食べるまでに何をしなければならない?

何だい、あの黄色のは? そう、粟かい。数年前にモロコシを作った。乾燥させて、脱穀し、精米機にかけ、やっと食べられる。手間がかかっていけない。粟、作ったことねぇが、精米機かけんじゃないか。

畑から帰る間際、隣の畑ヶのおじいちゃんとの会話。なるほど、脱穀した後か…。脱穀さえ済ませば食べられるとの認識。精米機、想定してなかった。

必要な道具や何やらを調べ、準備する。それが要るだろう。場当たり的にやるんじゃないって。我ながら、情けないやら、穴があったら穴に入りたいやら…。

じいちゃん、教えてくれて、ありがとう。





今日の一枚:陽が西に傾き、雲の向こう。日中の暑さは失せ、秋の気配。今年の残暑は短い。畑にて、17時頃。