二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

農事歴のこと

2016-09-29 09:20:56 | 徒然に想う

あぁ、イライラする。晴耕雨読を標榜すれども、未熟者は、こうも雨がちになると限界に近付いてきた。第一、降るなら降るで終日続けばいい。が、降ったり止んだり、止んだり降ったりの繰り返し。意を決して山に、上がっても向こうの山から雨が近付いてくるのが見えてくる。ひたすらまだ降るなよ降るなよと念じながらの作業、これはしんどい。

だから、といって言い訳をするのだが、巡回やブンタンの摘果、草引きなどは考えない。一つのことだけ、例えばカボチャを定植する、エンドウを定植するなどの一つに集中する。もちろんこれまで定植したブロッコリーなどが草に埋もれているのはわかっている。そこまでやると、雨の中(雨具着てても)ダダ濡れになってしまう、手が回らない。

力を込めてやる料理はないかと思案、朝から奮闘を開始。中力粉を200グラム、塩12グラム、水88グラム。小麦粉と塩を合わせ、ゆっくり水を回していく。こんな水の量でいいのかと思うくらいだが、参考にしたレシピ、ハッキリ分量外の水を入れるなとある。なんでも小麦には親水性があって、時間が経てば全体に回るのだそうだ。この間一時間ほど(一次熟成)とある。今回は色気を出し、乾燥させていたモロヘイヤを粉(18グラム)にし混ぜ込む。で、その分2グラムほど水を加え、今、その一次熟成中。

そうか、なんどか「農事歴」のことを出したことがあるが、何のことか触れないできた。

実は、それによれば、今日は11時から14時まで果菜類の日。それ以外は休耕日とされる。これ幸いに仕事をサボって、いやウドン作りに勤しんでいたわけだ。

この歴、種まきカレンダーといって、R・シュタイナーの考え方に基づいている。つまり、地球上の生き物は太陽、月、惑星などから生み出されるリズムの影響を受けてる。そのリズムに沿って農作業や加工をしようと編まれてる。日本での有機認証のようにEUでのデメーター(バイオダイナミックスに基づいて生産されたものが受けられる)認証を得るには見過ごせないもの。科学的な検証がないと信用ならんと教育を受け育ってきたから、ちょっと危ない香りも感じるだろう。が、技術のない未熟者には、この農事歴を開けば何に重点を置けばいいか明らかになり、作業に集中することが出来る。カボチャやエンドウの定植も従ってる。自分で慰めてるだけといわれてしまえばそれだけだが、従ってみなけりゃわからないと、身を任せてる。これも一つの大科学実験、やってみなけりゃわからない。どれ、一次発酵が終わった。ウドン作り再開だ。





今日の一枚:これから練り足で捏ねコシを出す。ちとモロヘイヤを入れた分、水を加えなきゃいけなかったかも。

 


晴耕雨読の「雨読」

2016-09-25 11:24:27 | 徒然に想う

ブンタンの木を増やす、果樹園の世代交代はどうすんだろうと、調べてた。・・・よくわからない。それ以上にわからないことが多くなってしまった。増やすのは、一般的に(例えば)橘を台木に接ぎ木する。台木をどうやって手に入れる? 自分で何とかするのは無謀なんかな。つまるところ、3年苗木を買うのが早い・・・、らしい。だいたい一本1600円前後なり。

んで、仮に購入したとして、どう育てる? ブンタンの原生地に似た環境がいいんだろう、きっと。原生地、マレー半島からインドネシアにかけて(詳細は未同定らしい)。栽培環境、日光を好むので、日当たり良好な場所。え? マレー半島からインドネシアなら熱帯雨林じゃなかったけ。としたら、日当たりがいい場所なんて・・・。樹高が4~5mくらいなんだから、むしろほかの木々の木陰じゃないんだろか。でも、仁の滝の様子からすると、木陰はすきそうじゃない。枝がビュンビュン太陽に向かうように伸びる。う、う~ん。

そもそも、接ぎ木をしなければならないのは、何故だ。雑木林にしても、草原にしても種が落ちて、芽吹いて、大きくなってゆく。だから、ブンタンだって種からやってもいいじゃないか、と思ってしまう。栽培種ってことなんだろ。目的のために作られたものになっているから、手を貸さなければって、か。晴耕雨読の雨読の午前中、知りたいことが多くなる。



今日の一枚:この集落は雨上がりも素敵だ。11時過ぎ。午後は定植に山いけるかな。


シシのハンバーグ

2016-09-23 20:45:11 | 徒然に想う

やったぜ。シシ肉のハンバーグ、完成。第一作目ということで、肉だけ。一切、香辛料も何も加えぬ。あとは焼くだけ。どんな味になる? 

手回しのミンサーを使う際の注意。解体するとき、挽き肉にするなら、肉をきれいに掃除しておく。筋があればそれだけ、ミンサーから出てこなくなる。今回は一口大になっている物を使った。筋だらけだったので、二度ほどミンサーをバラさなければならなかった。ミンサーをばらしてる間、冷蔵庫に一時的保存など工夫がいるろう。


ムフフ、ムフフフ、ムフフフフフフゥ。焼きあがった。ケモノだから生はいかんろうとじっくり焼いた。途中、アルミフォイルでカバーして蒸したりして。

(ナイフを入れて) ・・・これか、問題は。

今月捌いたシシ肉。前にも言ったように、シシを持ってきてくれたオンチャンは美味しくない、つまり油分が少ないとおっしゃってた。うん、確かに、丸めてても脂が手に残らない。でも、しっかりハンバーグの形になる。


焼いてみた分かった。あ゛あ゛あぁ、パサパサ。長すぎ、焼きすぎ。ナイフを入れたところ、まったく肉汁が出ない。獣だから、生はいかん、し。 え? でも、これ、美味い。

これ、いい。工夫のし合いがある。例えば、焼く時間、ソース。今回塩すら使わないで食べた。そう、これ言っとかんと。ミンチにする時に出た筋の塊。これ捨てちゃいかん。そもそも、捨てるのは、シシに対して失礼。別なお皿に取っておいて、最後に包丁でできるだけ細かくし、ミンサーから出てきたものと合わせて、煉る。歯応えが出ていい食感になった。


ごちそうさまでした。付け合わせは、今年採ったキタアカリ、蒸したもの。いぇい V・・V




今日の一枚:あっ、ちなみに、この第一作、あと二枚あり。お二人様、これを使って、「食」の大科学実験できます。いかがですか? 19時頃。


ササフラスのお茶

2016-09-22 10:01:14 | 徒然に想う

ブンタンの施肥設計を試み、JAに出す注文書を書く。ホッと一息、お茶が飲みたくなった。ひさしぶりにササフラス(サッサフラス、Sassafras)のを入れ、あれやこれや思う。

このお茶、敬愛するポール、ジェラルディン夫妻(後述)から訪ねてた時に教えていただいた。あまりに気に入ったので、味や香りだけじゃなく、自分で作るというところも、行くたんびに持ち帰ってきた。とはいえ、日本酒と同じで空気もまたその味わいであるように、日本で飲むとどこか違って、めったなことじゃ飲まない。数年前の物が依然残ってる。早く飲み切って、採りに行けばいい? そうだけど。でもどうして、今日はササフラスにしたんだろ。ポールが遊びに来たかな。

先日、素敵な言葉をいただいた。「自然界ではすべてが関係し干渉しあっている。だから、お互い様。どの立場に立ってみるかが大切になる」。これ、なにも道徳や宗教の話しじゃない。野菜や果樹を育てる場合の心得、姿勢を示してる。長年求めていた表現。十数年来、長野県八ヶ岳の麓、埼玉県小川町、高知県の窪川と場所を変え、その間、「わら一本の革命」の福岡正信さんの本、タスマニアのWWOOFのホストファミリーのポールとジェラルディンと出会い、「農」と接してきた。考え方も、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。やっと定まり、実現させるためにやっとこの町にたどり着いた。でも、それを表現する言葉が見当たらなかった。まさに目から鱗、「お互い様」というキーワードで表現できるじゃないか。

有機にしても慣行にしても農業に関するセミナー出ると、大概「収入」という「結論」の話しになる。それは我々人間の立場から野菜たち植物を見てるということ。では、「お互い様」の観点に立つとどうなるか。もちろん、収入のことを否定、批判しようとする意図など微塵もないし、この観点に立たなければならないと言うつもりも全くない。間違いなく、個々人のライフステージによって違うし、「農」が生き方の表現手段の一つであると思えば、共用したいと思えども押し付けることほど失礼はあるまい。植物たちから、そこにいる虫たち、鳥たちのベクトルで見たらどうか、と思い圃場にいる日々。でも、現実は、怒り心頭、大きな落胆ばかりなり・・・。

今日は、あったかい飲み物が欲しくなり、部屋にいても長袖で丁度いい。ちょっと前まで、暑さにヒーヒー言ってたのに。このギャップは、なんだ。さてさて、雨も止んだ、止んだようだ。動くことにしますか。このお茶を飲むと、動くより思いにふけってしまう。ここはこのお茶の唯一のマイナス点。



今日の一枚:書き終え、外に出た。ブログ用に一枚と10時ちょっと前。粉糠雨、だった。


ガラス一枚の思い出

2016-09-19 09:10:03 | 徒然に想う

雨が降ってる、日差しもある。どんな空なのか、あけ放った玄関の向こうのことだから、よくわからない。ああ、そういえば・・・。十年ほど前、初めてオーストラリアのタスマニアでWWOOFした時のことを思い出した。

その日、ホストたちは出かけてしまい、家にいたのは自分ひとり、何もすることがない。WWOOFerの部屋は離れにあって、あてもなく読書。あれ、窓の向こう、風景が歪んで見える。古いガラスのせい? 雨粒のせい? 耳をすませば雨音。起き上がり、玄関。扉を開けば、ハラハラと雨が太陽の光に輝き舞って。

ガラスがあるか、ないか。そこに違いがあることは知っていた。中学生頃だったと思う。淀川長治さんがチャップリンの「街の灯」だったかのワンシーン、ガラスを挟んで手のひらを合わせる、挟まないで合わせる。その違いをチャップリンの秀でてる演出力の一端として、淀川節にのって解説された。ガラス一枚があることで事実が分からない、直接触れることでわかるんだという。とても印象的なシーンだから、この解説を印象的に覚えていて、それがそのまま「違い」の理解となっていた。

そのまま、外に出た。しばらく、そのまま雨に打たれ。玄関先に座り込んむ。そうか、扉は開けなきゃ、開けなきゃ事実はわからないんだ。ガラス一枚間にあってもいけない。扉をひらけ、開けと叫んでた。ここでの生活を導く引き金になった思い出の一つである。



今日の一枚:9時過ぎ玄関から外を望む。


どんな話し、聞けるだろ

2016-09-17 08:30:28 | 徒然に想う

都知事選はどうでもよかったが、築地市場の豊洲移転問題に関しては気になる。地下水などのこと、盛り土がされなかったことなど、どうして? 安心していいの? などなど。その辺はTVに騒いでもらっておいて。

オリンピックの時使われるとされる道路。築地の移転を前提に計画され工事されていると聞く。ならば、さすがに豊洲がだめだとなれば、築地は動けない。道は作れない。と、いうことになる。なのに、代案などの話しが聞こえない。知る人は知るんだろうが、TVをメインに情報を得てるとわかり難くて仕方ない。まぁ、市場の安心安全にポイントを置く都知事に対する元首相の無礼な態度が脳裏から抜けず、どうでもいいちゃ、いいんだが。

食べるもの、によって体調はおおいに変わる、変わるらしい。いつも野菜を買ってくれる方と立ち話し。これまでかなりの冷え症だったとのこと。ところがこの夏から仁の滝のモロヘイヤを食べ出したら、おおいに改善したと話してくれた。この野菜の力のすごさだが、こういった話を伺えると作った甲斐があった、嬉しいと思う。まったく生産者v(へへv)冥利に尽きる。

や、もしかしたら、そもそもその道はオリンピックがあろうとなかろうと、必要な道じゃなかったりしないだろか。単に魔物、金の亡者たちの懐を豊かにするだけじゃ・・・。どうも、集団の、特に利権が絡み合っている範囲の大きい企業・団体の言うことは信頼がおけぬ。どうして、なかなか良かったとか嬉しくなると感じる話を聞けないんだろう。



今日の一枚:こういうことあるんだろうか。灌水するのに、端を止めてしまうと灌水チューブが裂けるので、端を開放。その逃げ場として、コセンダングサ(あってる?)の群落にかかるようにしている。すると、よく見れば、葉が弱弱しい。何か入っていれば、それはそれで恐ろしいが、沢水だから、そんなことはあるまい。じゃ何故弱った? 過湿ってこと、か。こんな除草システムもいいかも。仁の滝、昨日の12時ころ。





焦っちゃダメ、焦っちゃダメ

2016-09-13 07:32:24 | 徒然に想う

昨日のこと、同じ集落のオンチャンから「シシあるで。料れよ」と電話。街に出る用や注文の品があって、すぐに受け取れない。時間によっては、大きくてさばききれなかったり、肉を痛めさせてしまうかもしれない。山の恵み、粗末にすることなんてできないし・・・。「どうしたもんじゃろのう」。えぃ、ままよ! 午後まで待っていただけませんか。

重い、吊り上げられん。さばけんじゃんか。どうする、どうするとプチ・パニック。すると、ジェラルディンの声が頭に響く。「考えなさい、考えるのよ。どんなに重い石でも、知恵を使えば、一人で持ち上げられるだから」「てこの原理を使って少しずつ持ち上げれば・・・。ポールかい(もしかしたら、彼女の声を借りたポール)?」。なに、この会話。夢現? 単なる火事場の馬鹿力だったか。気付けば、シシの頭が地面から3040センチほど浮いて、梅の枝に無事ぶる下がってた。ちょうどいい。

8月中旬のこと、ある方から知り合いに贈りたいからと頼まれ、野菜セットを用意した。数日後Facebookをみてたら、あれ? どこかで見た野菜たちの写真。早速その方に連絡すれば、「私もびっくり」。そして、さらに、「作られた方のおもいが伝わってきます」「この農業者は野菜を愛して大切にしてるな」などなど、この野菜たちに関するやり取りをそっと教えていただけた。嬉しかった、冥利につきます。ただ、実際野菜たちを届けられるのが切れ切れ、連続しない。こんなコメントをたくさん聞けるよう、徐々に切れ目なく作れるようにならなきゃ。

7時過ぎやったか、シシを持ってきてくれたオンチャンが訪ねてきた。「おまん、これはゼロじゃ」「えっ?」「うもうない」。そんな! お昼過ぎからかって、やっとここまで加工し終えたのに。さらに仕上がった肉を見て、追い打ち。「・・・今度、さばき方教えちゃるき」。これも不合格、かい・・・。凹む。正直、凹む・・・。ところが一方で、なんちゃ嬉しがってる自分にも気づいた。この町にきて、やっと一年が経とうとしている。すぐどっかにいく、いくに違いない「風の者」とだと見られる。好奇の目もランラン。もちろん、決して「地の者」にはなれない。でも、こうやって、徐々に、徐々に「地の者」に近いもんと認めていただけていくんだなぁ。学生時代の友人の一人にNというのがいて、コイツとんでもない大馬鹿野郎。そいつがあるとき名言を吐いた、「焦っちゃダメ、焦っちゃダメ」。その時、それこそとんでもないひどいことしてたんだが、これを聞いた瞬間笑うしかなっかた、憎めぬ。そうね、徐々に、徐々にだよな。あんにゃろ、今頃どこで何してんだか。



今日の一枚:7時頃、先日胚軸切断挿し木法を試みたカボチャの様子。根が動き出し、本葉が展葉。昨日から雨に打たせたら、ぐんぐん元気になっていく。


おそ朝? いや超はや朝

2016-09-12 20:23:57 | 徒然に想う

なにとち狂ったか、3時過ぎに目が覚めてしまった。寝ようとするも、どんどん頭が冴えてしまい、寝付けない。パラリンピックを見ようとスイッチを入れた。やってない。代わりにマーリンズとドジャース、イチローと前田健太の日本人対決。マーリンズが完封で勝つか(この二年、完封勝利がないんだそうだ)という瀬戸際、あと一人でというところで、素人目に崩れたとは思えないが、交代。リリーフが一球投げただけで、試合終了。完封ということにあまり重きを持たないというが・・・。ところで、パラリンピックは? 日本人の出場がないせいだろ、きっと。

柔道の広瀬選手ご夫妻、どこか素敵じゃありません? いやその前に、パラリンピックの柔道の映像を見て、試合を始めるにあたって選手たちをエスコートする方たちや審判たち(ルールというべきか)の「相手を重んじる」様子がとても感動的、一気に魅了されてしまい。で、広瀬選手たちなんだが、練習から自分たちで考え進めているとか(代表に選ばれるまでのこと、ドキュメンタリーでやってた)。大変失礼な言い方になると思うが、自分(たち)で何とかしよう、頼らないぞ、それでもできるという意志の強さを感じて。で、そのインタビューでのやり取りは、「相手を重んじ」あっている感がガンガン伝わってきてたまらなかった。へへ、ウルっとはしなかったものの、ぐっときた。

510分過ぎ、雨、落ちてきた? テレビ、消そう。秋の虫たち、ああ、ホッとするね。シュウシュウとお湯が沸く。インスタント・コーヒーを入れよう。そういえば、先日の夜、晩酌しながら、栗を調理、一週間氷温室で寝かせ、土鍋で蒸した。

《栗を蒸す音にぞ 今宵の 杯すすむ》

虫の声、雨音、お湯の沸く音がいいなぁ。秋のせいか、年のせいか?

オリンピックよりパラリンピックの方が心に響く。自問自答、どうしてだろ? すると、苦も無く答えらしきことに気付いてしまった。新たなる心の闇。実は以前こんな発見をしたことがある。ロシアにウラジミール・メグレという作家がいて、「アナスタシア」というファンタジーがある。その中で、いろいろ本を読んでるつもりだが、性欲に関する直接的で可視的なまっこと赤裸々な記述が出てくる。初めてだと思う、そのシーンを読んだ時の衝撃の大きさは。まるで、心の中の闇を暴かれたかのよう。認めたくないが認めざるを得ない自分、それを否定できなかった。今回の自問自答の結果も、どうやら、それに近い。心に響く、それはパラリンピックの選手たちを美しいと感じるからだ。美しい? そこ、それだ。美しいと感じるとき、いろいろなことが原因するに違いない。自然が醸し出すバランスに気付くのはその最たるものだが、例えば他に、自分に無いもの、違いを心の中で感じとるから美しいと思うこともあろう。そうであるか、であれば・・・。年取って涙腺が弱くなってるなど「年」を感じることが多い一方、まだこういった「幼さ」にハッとさせられる。「アナスタシア」、どうも翻訳が出てるらしい。お時間があればご一読を。えっ? ロシア語で? まさか、英語版。タスマニアのポールとジェラルディンのところに滞在したとき、ジェラルディンから読んでごらんと渡された。



今日の一枚:昨日の16時半ころ、「コーヒー7不思議」にて


25年ぶり、じゃないけどもう一度勇気をもって

2016-09-10 21:18:45 | 徒然に想う

カープがどうやら優勝しそうですね。

実は、このブログ、フェイスブック(FB)とリンクさせることが多くなって、簡単なことはFBだけで終わらせることが多くなってます。雲がきれいとか川がきれいといった直感的なことばかりですけど。でも、そうしてたら、少しずつ分かってきたんです。こういったSNS系のところで発言することの意味が、責任の重さが。

ブログはあくまでも、個人の日記、「戯言」と思って、言いたい放題してました。もちろん、これから、それをやめるつもりはありません。だって、そこを読みに行くという自主性がある、から。ですが、FBは意外に、もうちょっとTVにあるような公共性がある気がします。もちろんリンクを止めればいいのですが、それを忘れるとあっという間に拡散するし、個人のコントロールできることから離れます。独り歩きするんですね。無責任な発言が多い、問題を引き起こしていきます。

発言には、公的な機関・組織になればなるほど、思惑が入ります。だから、いい面、素晴らしいところを言います。TVもそうですよね。どんなに政府が地方創生とわめいても、民間のプロパガンダは日々「東京すごい、すごい」の連呼。都政のことより、その地域で大切なことがあるだろうに、いつテレビのスイッチを入れても、です。正直、ここで生活を始め、こんなにも「地方」がないがしろにされ、「地方創生」が如何に絵空事なのか、思い知りました。いかに「地域」の実態と離れた「マス」の身勝手なことか。

同じこと、前にも言いました、すみません。でも、来月、川の一斉清掃をする企画があるんです。どうしてかわかりませんが、主催、共催、協賛、後援のどこを何度見ても、FBなどで盛んに川の美しさを宣伝している団体・グループの名前を見つけられない(参下に入っているとかいうのは、言い訳。自分の名前を出さないという無責任です)。現実、きれいだからおいでおいでといった発言で人が呼ばれ、結局川はゴミだらけ、地域の神聖を汚す行為を多数招いている。でも彼らがそういったことをどう解決するか、どう責任を取ろうとしているのか、全くわからない。個人の団体やグループの御遊びじゃない。それこそ公共性を持っている。にもかかわらず、その責任の取り方が一切見えない。会社や組織の社会的責任など、今さら議論されるべきことじゃない。行動・発言において、いつ何時でも示せる、示せるようでなければならない。あぁ、結局、現実は、それこそ原発の再稼働と同じ。目の前の、目先の利益ばかりに目がむいてる。長いタームで見たとき、その社会的責任は、感情論でと議論されるべきじゃないという前に、認識し提示する必要・義務があると思います。

6‐4でカープ、勝ってます。「いいね」、ポチっ。




今日の一枚:8日のこと、お昼に帰ってみれば、苗たち、挿し木したカボチャがシュンとしてた。水やらなければと、蛇口を見ればお客さん。

 


雨だれをバックに

2016-09-05 09:46:58 | 徒然に想う

我ながら驚いた、朝。よくもまぁ、ここまで寝れること。昨日ワサの講習会(午前中)を終えてから、降ったり止んだりの雨、いいや久しぶりにとサボることを決め込んだ。すると、気付いたら夕方。タマゴや納豆など買い出して、夕飯食べて・・・。あれ? 意識が遠のいたり戻ったり。あれだけ昼寝をしたのに、どういうわけ? 10時? 11時?に 就寝。

目覚しが鳴って、4時、雨の音。・・・気付けば、5時半。ミッシング・リング、90分の二度寝の快感。夜中に起きた記憶もない。ぶっ通しで寝てる。そこまで疲れてた? 確かに暑い日々で眠りが浅かった。楽しい定植千本ノック(笑)もあった。気付かないうちに、体が悲鳴を上げてた、か。

今回の台風12号の天気予報を見てて、あれ? 技術的な問題でもあるんだろか。なぜレーダーなどによる雨の範囲や様子が出てこないんだろう。備えのため予想進路の絵は必要だと思う。それと同じように、今回南から湿った空気が入ってきて台風の進路の右側や南側に雨雲が多く発生、大雨・豪雨のところが多くあると言う。確かに、高知は強風圏にも入らないが、断続的な強い雨が降ってくる。進路図じゃ、とらえ切れないところで多くの危険性が潜んでる。それを知らせるには、進路図や言葉による解説だけじゃなく、レーダーなどの解析画像が状況を可視化し便利だと思うんだが。誤読、誤解を招きかねない?

体調を管理する。どうする? 体重、血圧など身体データはある、採れる。予想まで立てられないにせよ、それまでの経緯はわかる。進路図の予想円、予想進路以外のところのデータと同じこと。でも、それだけじゃ状況を把握できないのは明らか、だよな。他にとれるデータ、もちろん数値じゃなくたっていい、は無いもんだろか。さもないと、とんでもないことが起きてしまいかねない気がしてきた。雨だれをバックに好きなピンク・フロイドを聞きながら。

 

 

 

今日の一枚:屋根に落ちる雨垂れ、9時半過ぎ。一月の大雪で雨どいが歪んでしまった。直さなきゃと思うも、放りっぱ。雨上がった、ちょっと触ってみよう。

 

追伸:最近やる気や集中力などが低下気味、自らを鞭打つことが多かった。それにイラついてたかな。これかぁ、と思う。