二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

ミカンの樹たちへじゃなくて、野菜たちへ

2017-09-20 19:19:47 | 徒然に想う

苗たちの文句や悲鳴が聞こえてくる。「もうちょっと待って」も、もう限界。言い訳も弱音も聞く耳を持ってもらえぬ。彼らの姿から想像するに、すでに今の環境は劣悪、ポットや育苗トレイでは狭すぎる。だが、今までのように、落ち葉や草たちをすき込み、元肥、畝上げ、蔵付きで定植したところで、余計ストレスをかけ、力発揮することなく尽き果てる。二年間も繰り返せば、明白な結末。誰が見てもそのやり方がおかしいと言わざるを得ない。じゃ、どうする? どうする!? 正直、分からない。どうしていいのか分からない。

先日、K兄から「お前のダイズを見ると、ありゃ窒素過多じゃろ。あれだけ葉が茂り、実が充実しとらんとこみると・・・」「でもね、アニキ。反当り6キロの窒素分しか入れてないがよ」。これって、肥料袋に書いている多い方には属する。だが、かつて棚田であったことを思えば、稲作の度に肥料も流れ、残留している肥料分も少ないろうから、それだけ入れたところで窒素過多になり様がなくない? う~んとK兄。畦豆っていって、何もしなくてもできるんもんだけどな、と。こんなK兄との会話がもっこと楽しくうれしい。

だいたい、これまでのやり方は、前回報告した様に土を掘ったところ、三層(砂質の作土層、水を保持し床と呼ばれる赤土層、床によって分断されている地のガレ土層からなる)のうち、作土層から深さ2、30㎝の床までを対象としてる。長年水田であったところ。地力を考えたら、植物たちが欲しいだろう要素が残ってるか。というより、流出していると理解すべきやったのでは? そのような場環境に一切目もくれず、この夏の日照りの結果、野菜たちが瀕死の状況になったことを目の当たりにし、水を入れなきゃ。でも、水を入れても保持できるようなでできない、と右往左往。結局、収量は一人食べるのには間に合うかどうかだが、雨が降って、樹たちは復活。樹たちに救われた。

「しあわせみかん山」で学んでることは、多岐にわたる。苗木の根鉢・点孔周りの構造の入れ方、構造を作る素材などなど。冷静になってみると、そのことに対し、何に対し何をするのか・どうしたいのかというよりも、どうするのかハウツーかばかりにとらわれ過ぎてやないろか。最近、ちょっと待て、と自分に言い聞かせる。何のためにそうするのか。テクニックでなく、なんども繰り返された「ご機嫌いかが?」の精神は? 例えば、消し炭の有効性が繰り返される。それは、炭の多孔質が適度な空気の流れや場所を提供するから、周囲の環境が整い、樹たちが伸び伸びすると解釈する。もし、それが用意でききないのであれば? 次の素材は? その次は? 注意を要することだけど、当事者は誰? ってこと、か。

乾燥した竹の串を地表から床までを突き通したらどうなるろう。乾燥した竹串が消し炭のような役割を果たすかどうかわからん。が、いったん作った根鉢の補修に色々な角度から竹串や楊枝を使うことがある。そ、素材は消し炭、じゃなくともいい、じゃないかだよな。むしろ、これまで孤立させていたガレ土層との連絡路となってくれたら・・・。そう思ったら、何もせずより、やって失敗やと。もちろん、焼き鳥の串のようなものでは到底硬い床の下まで貫けない。40センチほどの長さの竹串、が要る。藁をもすがる思い、苗たちにはもうしばらく我慢してもらおう。今日丸一日竹串作り。教えて頂いてきたことを正しく理解したかどうかのセルフチェックにもなるろう。あぁ、どうか成果が見えますように。

 

 

今日の一枚:これを書いてるタブレットの置いてあるテーブルの下の様子。で、なに? なんも。19時半ころ。


私的記録

2017-09-04 07:40:48 | 徒然に想う

二点、書き残す。 

一点目:昨日見た「椿山 焼き畑に生きる」について。

これ、牧野植物園で行われている企画展「『キビ』と高知の暮らし」の一環として上映された。映像の貴重さはもちろんそうなんだが、それ以外の点を少し。それは上映が終わった後起きた。企画された方が〆の話しをされ始めたころ、一人の高齢の女性が立たれた。マイクを握るのも緊張か感激か分からないがおぼつかない様子で、ありがとうございますとスピーチ。映画の題字を書かれた方だった。今から40年前制作された当時の関係者のお一人。映像以前に実際の現場を目の当たりにされてる。そういう方が来られる。

上映が始まるや否や、小母さんが後ろに座っている小学校低学年の男の子たちに「ほら、お爺ちゃんよ」とささやかれた。男の子たちにとって、どう映ったろう、40歳も若いジイジの働く姿は。ここでも、当事者がおられ、直接孫たちに話しをされている。

80名定員のところ、120まで入るよう椅子が増やされた。新聞に出た効果もあろう。が、それが椿山やその近隣の出の方たちを呼び込んだよう。聞こえてくる話の内容に昔話やどこどこに住んどったなど。今やその片鱗もないとも聞こえたが、自分の生まれ育ったところに出かけたい方たちがいる。いるということは集まれば話しを聞けるということ。同じようなことを思い出す。昨年町の博物館で行われた「小日浦」の写真展。あの時も、子供時代を思いだしながら昔話の花が咲いていた。

40年前のこと、当時の人々の日常だから残す残さないを含めそれ自体に価値があるかないか、正直分からない。ただ、「今なら」当事者たちから話を聞くことが出来る。映像だけでなく記憶に残せる。そうするために人が集うこともできる。うまくすれば交流すら始まるのではないだろうか。何かの火種になるような気がしてしょうがない。この企画展の面白さの一つ、ここにあり。

 

二点目:これは自分のしでかした失敗。

この二年を棒に振ったとまでは言いたくないが、一番最初にすべきことを怠ったために起きた。それは先週の始め畑としているところを三か所掘ったことに始まる。使い始めた当初、作土層が薄いからダイコンのような根物は難しいぞと言われた。「薄い」のか、と思うも、それから落ち葉を入れたり肥料を振ったりしてきた。天候のこともある、作土層の地質のこともある。今年はそれなりに結果を見たい、見たかった。おかしい。うまくいかない。納得できない。

穴を掘って、土の様子を見て、やっと気付けた。さんざん「しあわせみかん山」で場の当事者性のことを学びながら、場を見ずして自分の思いだけで作業してきたことの愚かさを。その場が許容していることを利用しようともせず我を通してきた。うまくいくわけもないし、すべてが徒労に終わりかねないとこだった。

さて、これからどうするか。あの場とウィン・ウィンの関係を築いていくためには。仁ノ滝は永年作物(柑橘類など)にいい場所。もしかしたら、これも場を理解せず先入観でもってのことかもしれぬ。が、地主さんは樹を植えてもいいと仰ってくれた。

なんにせよ、地面を掘ってみなかったことのツケは大きい。

 

今日の一枚:昨日の上映会の後、園内をうろうろ、16時頃。