二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

ノアとお花見

2013-03-31 18:03:41 | 徒然に想う

先週月曜あたりから週末は小川町に行って作業するぞと意気込んでいたのだが、土日と花曇り。いや、花散らしの冷たい霧雨。土曜はおとなしくしていたのだが、今日の午後ついに耐えきれなくなり、15時過ぎに散歩に出た。老犬ノアにもしばらく会ってない。

老犬ノア、花が散っていくのがそんなにさびしいか。だいぶ毛並みも悪くなって…。右の瞳の中に、庵主の影? この春、何を想う?  

 

 

こんなことじゃないか、ノア?

≪舞い踊れ 未来(あす)に向って 花よ舞え≫

 

 

 

今日の一枚:神社下の公園の川縁、16時50分頃。

 

 

 


2013-03-27 21:33:57 | 徒然に想う
「無」という字。覚えてるだろか、しばらく前に、一つ紹介した。で、今回もひとつ「無」を紹介しようと思う。

この「無」は、先週お世話になった宿坊「桜池院」の廊下に掲げられていた「無垢」という書の「無」。ちと古い高野山のお偉い方のものらしい。

字は人を表すとかしないとか。あるいは人の体をなす、とか聞く。なんて違うんだろう。

前回の「無」には宇宙の「宇」のような、アンドロメダ星雲のような広がりを感じ取った。「自然」と暮らした老農の姿が見えてくる。が、今回の「無」は、そんな広がりは見いだせない。書き順もおかしい。だが、そこに正に「無垢」が踊って見えないだろうか。まさに人を表してないだろか。




今日の一枚:その「無垢」の無の字。

百聞は一見に如かず

2013-03-27 12:41:55 | 徒然に想う
昨日のこと。カワセミの川に向かって切り通しを下っていたとき、道に小さな流れがあるのに気付く。…久しぶり。

その切り通しは段丘面を正に真っ直ぐ縦に切るようにに通っている。だから、雨が周辺に十分に降りしっかり染み込むと、下の平らになるあたりからよく染み出す。例えば、梅雨の晴れ間なんかには必ずと言っていいくらい見かける。ところが、ここんあたり、ずっと見てなかった。雨が降らなかったわけではない。しばらく絶対量が少なかったということ、になる。

雨が降っても地表面から数センチのところまでしか染み込まないと、ある方がぼやかれていたのを思い出した。久しぶりに染み出てくる流れに靴先を濡らし歩いて、確かにそうなんだと、実感。百聞は一見に如かず、とはまさにこのこと、か。





今日の一枚:神社を出てまもなく、JRの跨線橋を渡る。その手前、一反弱の畑。そこに咲いている菜の花。5時半頃。

採算性vs人間

2013-03-26 18:22:41 | 徒然に想う
Webのニュースから:

産経新聞 3月25日(月)22時17分配信

米投資会社「サーベラス」が西武鉄道を傘下に置く西武ホールディングス(HD)に西武秩父線を廃止するよう求めている問題で、埼玉県知事と秩父市長ら沿線2市4町の首長らが25日、都内で西武HD社長と西武鉄道社長に、路線存続を求める要請書を提出した。


要は、投資会社は紙に並んだ数字から判断し不採算だからいらない、廃止しろと言う訳だ。もちろん彼らの頭には「西武秩父線は飯能市の吾野駅から秩父市の西武秩父駅までの区間で、過疎化が進む山間部を走り、高齢者や学生の利用客が多い」「秩父地域の県民の日常生活を支える上で必要不可欠な生活路線であり、地域の振興に果たす役割は極めて大きい」ということなど、微塵もない。収益の前に、そんなことどうでもいい。

あるいは、駆け引きと称し、本気で廃止する気がなくとも、こういった噂を流し、日本の投資家に出資させたり、買収させたり出来れば、しめたもの。投資会社にしてみれば、どんな手を使っても最低投資したものが回収出来れば、それで十分。成功すれば、ヒーローだ。

廃止する、しないは数字だけを見ていれば、簡単だろう。はたして沿線にいて使っていたら、身近かなものだったら、どうか。国鉄・JRの赤字路線を廃止する際にも同じ議論はされたにちがいない。しかし、その当時は痛みが身近かに見えた。それでもやらざるを得なかった。だから、自治体もなんとかしようと手をうって、代わりをなんとかしてきた。

しかし、今回、海の遙か向こうから、収益性だけから判断され廃止だといわれる。自治体の長たちはもちろん廃止するなというだろう。だが内心、収益だけから判断する無責任さやそんな海外からの出資を受けざるを得なかった環境を作った無責任さに呆れているのでないなろうか。いや、金をよこせば、黙るのだがと舌なめずりして待っていたりして…。

金、金、金。結局、金。金で、世の中、回っている。ここでも、採算性の前に、人間が不在だ。





今日の一枚:5時10分頃、神社の展望台から。日に日に日の出が早くなるのを実感。

昨日のこと

2013-03-25 20:21:55 | 徒然に想う
ツバメ、確認。土筆も。ウグイは遡上しているようだが、まだ腹側が婚姻色に染まってない。鯉たちが産卵期? カワセミの川で数ヶ所、十匹近くが集まっては、水面から水しぶきを上ていた。

老犬ノア、暖かくなってきたのにしんどそうに小屋の中でうずくまっている。また一段と元気がなくなった。

桜の咲き方が、どこか美しくない。曇り空の下のせいか、花弁に透明感がない。くすんでいるとは言い過ぎ、なんだが…。すべてが満開までもう少し時間がかかる。七分咲き、九分咲き、咲き方が木によって雑多。そのせいか、予想より急に咲き出したせいか、花見の宴会が少ない。もちろん人は出ているが、騒がしくない。

以上、周辺の近況報告…。すみません、かなり自分らしくない、な。





今日の一枚:昨日の15時15分頃。ノアの家のそばの、あの寒桜。

畑作業

2013-03-23 18:10:13 | 畑での出来事

う~ん、発芽していない。無理もないか、水は雨だよりだから。

今日の目標は種蒔き、前々回に蒔いたのと同じセットをもう一つの畝に蒔く。で、そこに赤い茎のほうれん草を追加。ほうれん草、もちろん土団子にしてから。あと、まだ畝立てもしてないところにホワイト・クローバーをグランド・カバーになるように直に播いた。

一段落ついたところで、野点のお茶。ぽけっと空を眺める。鶯が鳴く。他の鳥たちも。鶯、縄張りなのか、一定時間鳴くと別な所に移っている。移ると言っても、数カ所の決まった点を移動しているのだ。まだ鳴き方は下手くそだが、そう言ったことはしっかりしている。

《風聴いて 囀り聴いて 青い空》


お茶をしていて、ふと思い付いた。篠竹が沢山ある。それを使って何かできないか。道具という道具を持っていない。なら、篠竹を使って、作れそうなものないか。例えば、箕。作り方なんてもちろん知らない。まぁ、やってみるかと、早速、畑のわきにある篠竹を切り出した。そんなこんなの午前中。


午後になって、T島さんのところに行き、球レタス、リーフレタスの定植のお手伝い。余った苗を頂いて、それを自分のところにも定植。これは面白いことになった。隣の二畝にもリーフレタスが入っている。どんな違いを見せてくれるか。苗を定植したところでは、学んできたことを、助言頂いたやり方を、実践してみよう。

比べる以前の結果になる、だろう。まぁ、ものは試し。やってみなければ分からない。…自分であれこれ考えては動く。誰も指示を出さない。あぁ、なんと楽しき一日!!





今日の一枚:畑のわきタンポポが嬉しそう。10時頃。


絶え間なく訪れる朝

2013-03-22 18:59:50 | 徒然に想う
公園の、道沿いの、川べりの木々が、また芽吹いてきた。ちょっと前の茶色や焦げ茶、黒だけの姿とは違う。その有り様にワクワクする、しっかりとした力強さも感じる。

火曜日、高野山の麓、九度山の町並みを歩いていた時、ツバメが巣作りに勤しんでいた。住んでいる所では、注意しても、まだ気配がない。去年みたいにアルビノのを見られたらいいが…。アルビノには自然のみならず、仲間も厳しいらしい。その色が目立つからとか。だからかもしれないが、去年見た奴にはどこか威厳があった。アルビノは無理かもしれぬが、また帰ってくる。


車窓の向こうの桜はまだ七分位だろう。満開が今日、明日というが、この位がちょうどいい。一つ一つ、花がはっきり見え、これからの爆発に向けエネルギーがほとばしっているかのよう。何があっても、毎年、花は咲く。

朝もまた確固としてまわってくる。木々が芽吹くよう、ツバメが渡ってくるよう、桜が咲き誇るよう繰り返す。ただ、朝の訪れの繰り返しは、ちょっと違う、すごい。生き物たちの繰り返しを誘発する力を持っている。オッ…、朝の訪れも青空のようなもの? 来ることは分かっても、証明がつかない。一気に飛躍させて…。青空が「無」なら朝の訪れも「無」。自然のサイクルが「無」なら、自然は?





今日の一枚:遊水池の手前の公園、確か三春の枝垂れ桜の分家。ほぼ満開。4時50分頃。ヘッドライトをフラッシュ代わりにして撮影。上からより下からが良かった?

お四国参り - 高野山

2013-03-20 15:37:23 | 遍路

高野山でのお参りも終わりました。帰りの便を待ちながら空港からです。

清々しいとかではないんですね。達成感とも違う。八十八番や一番に戻った時とも違う。なんというか、ケジメをつけられたような気がします。宿坊に入り、納経帳を改めて見返していて、そんな気になりました。

月曜日、雨と強風で九度山駅からの登山は止めて、お参りに終始しました。根本大塔と金堂、金剛峯寺、奥の院と御朱印をいただきました。夜、宿坊にお世話になり、写経を体験しました。写経を始める前の講話が刺激的でした。

「無」とは青空のようなものだそうです。頭の上にありますが、その存在を証明できない。証明できないからと言って、ないわけでなく明らかに頭の上にある。写経の時お世話下さった学僧が師匠から教わったことだそうです。なるほどと思います。が、証明できる、できない、がキーになっています。証明できる・できないの主体は人間だなと。人間がいなければ「無」は存在しないことなんでしょうか…。質問するのを忘れました。

火曜日、九度山駅から大門を目指しました。この日もY女史にお付き合いいただきながらです。健脚で4時間、普通6時間程だそうです。我々は5時間40分程かかりました。九度山駅で南海電鉄が作った案内のパンフレットを手に入れました。案内板があったり町石が立っているので、迷うことはありません。ですが、このパンフレットがあると参考になり助かります。一つ発見がありました。町石道の出発点、慈尊院で、四国遍路の御朱印をいただけます。ちなみに、遍路道を導いてくれたシールもところどころで見うけられます。

火曜日は天気も気持ちよく、楽しい歩きになりました。で、夜にはN師も合流し、ミーティング。楽しい時間には歯止めがなかなか効かず、店が終わるまでに。何を共有してたかって? 明確には分かりませんでした。おそらく、それぞれの「自分の時間」がシンクロしあったんではないかと。次は通してからでしょう。いつのことやら…。





今日の一枚:午後2時。帰りの飛行機と背景にりんくうタウン。21番ゲート前にて。