夕陽が見たくて、午後3時半ころまた家を出る。三十分程で神社について。日の入りは4時半頃だから、グルッと回って三十分で土手に。「どーれ」と西を見れば、暗くなりかけたところにヒラヒラと一羽、蝙蝠が飛んできた。まだ、冬眠には早いか。振り返れば、南東の空にポツンと木星が輝いていて。ああ、雲が多く、期待したような夕陽は見れない。だが、面白いことに気付いた。
畑の中を歩いていると、暖かい空気が頬をなでる場所と冷たい空気になるところがある。しばらくすると分ってきた。植木用の背丈の高いものがあるところは、暖かい空気が。裸地、葉物や蕪など背丈の低い野菜の栽培されているところは、冷たい。つまり、木の枝や葉がスカスカだが地面の熱の放射を遮り暖かな空気を抱き込むようにしている。
そういえば、朝の場合も似たようなことが起きる。川のほとりや遊水地では暖かさを感じることがある。夕方と違って畑の真ん中を歩いていても、そこは高い木があろうとなかろうと地面からの冷気に支配されてしまう。まして、住宅街の中を歩いている時は冷え冷えとしてくる。それは大量の水が保温材として働いているからであろう。
すごく微妙なものだ。こういったことが、植物、昆虫や鳥たち、動物たちの生活をそれぞれ支え、それぞれ影響し合って命を育んでいく。これを「自然」というのだろう。われわれ人間は食物連鎖の頂点に立つ、環境を守るんだといって、木を切り山を崩す。昆虫や動物がいなくなると保護するといって、環境を戻そうとする。ある意味、自由にしているが、はたしてそれは…。こんな複雑なものをコントロールするなんて思いあがってないんだろうか。晩秋の夕方は一介の散歩人を感傷的にさせた、かもしれない。
今日の一枚:お昼、カミさんと家のそばにあるインドカレー屋さんに行った。帰り道、腹ごなしといってプラプラ。飛行機雲? 尾翼が青っぽく見える。カミさん、飛行機好き。二人してしばらく見上げた。12時10分ころのこと。
遊水池の周回に入る頃、6時ちょっと前、ちょうど東の空に赤みがさしてきた。ヴィーナスはいつものように元気にその容姿を誇っている。池を回り込んで土手に向かいと進む方向は北東。だいぶ明るさが増している。それでも視線を上げれば、柄杓星。何だろう、ちょうど柄の部分と金星の間あたりに、ひとつ明るい星。何だろう?
アークトゥルス。なんでも、うしかい座の1等星で、その中でもさらに明るい0等星に分類されるんだそうだ。道理で明るい。春の大三角? このアークトゥルス、しし座のデネボラ、おとめ座のスピカとともに春の大三角形を形作る。まだ晩秋、初冬というような時期。もう、春の星が見えるのか。ほう、日本では麦刈りが行われる頃の「宵の空」に、天高くに輝くことから「麦星」と呼ばれるか。
たしか、9月ころ、東の空にオリオンが見えてシリウスで、もう冬の大三角かと驚いた。だが、今こうして、春の大三角形に驚かされている。三、四ヶ月くらい朝の空は先取りしているってこと。こんな季節の早取りができる時間帯が実にいい、たまらない。南東を見返せば、東に向かう飛行機、赤い尾っぽ。
今日の一枚:ほどなく、お寺の鐘が聞こえてきた。遊水池のわきで金星を追う。
だが、雲の厚いところが月を覆ってもどこか明るい。普段なら懐中電灯を使う雑木林の中やすり鉢のようになっている遊水池へ下ったり上ったりする階段でも必要がない。目の当たりする世界が全体的に青白く明るい。
見上げていると雲間から金星、シリウス、スピカなどが顔を出す時間がある。ときには薄く、ときには全く見えないなんて繰り返しながら、ゆっくり雲が動いてる。
雲が白く輝いてみえる。
背景の空が黒いせいかもしれないが、こんなに際立っていたんだろうか。思いついたのが、昇ってくる太陽の光を雲が乱反射する、それが地上に淡い光となって降り注ぐ。そう考えると納得してしまった。
《かさかさと蟋蟀ささやく雲明かり》
今日の一枚:神社のコナラの根元、落ち葉がたまっている。懐中電灯をつけて。五時十分ころ。
実際今朝は暖かで、帽子も手袋も必要ない。輪をかけて、両手に花ときたもんだから尚更だった。切り通しに向かえば、右手に月・ルナ。しかも満月。左手に金星・ビーナス。それぞれ地球上の小さい庵主を見つめている。
月明かりで薄い影。金星明かりのはどうやって見たものかなどと考えていたら、薄い雲が広がってしまった。
今日の一枚:西の空、満月。五時前の姿。
この自然界の中で影を作ることが出来るのは4つしかないという。太陽、月はいうまでもなくだが、実に天の川とこのヴィーナスが作れるのだそうな。東京では難しいが、白い紙を背景にすると、うまくいけば見えるとか。
さすがである。あれだけの美しさ。この世で希有な才能を持っていても不思議じゃない。あぁ、明日も会えるだろか。
今日の一枚:神社で地面に浮かぶ葉っぱを撮りたかった。ケイタイではシャッターを切ることが出来なかった。そのかわり照らしてた灯りを。五時過ぎのこと。
散歩しているときの自分は、ひとでなし。日常目の当たりにされる裏側、心の闇。決してさらけ出せぬ自分。
散歩しているときの自分は(認めたくないが)、散歩しているときの自分は、ガード下の酔いどれサラリーマン。会社や同僚などに対する怒りや不満に支配され、どうしてくれようと憤ってる。会社という呪縛、クソ喰らえ!!
散歩しているときの自分は…。そう、それが自分。視界が狭い分、そのぶん想像・妄想に取り憑かれる。
今日の一枚:夕飯をいただいて。帰り道、品川駅。
寒いし暗いし何もない…。
こんな時間帯に歩いている、なぜ?
金星の色。歩き出す4時半過ぎ、トンネルの中の電灯のようなオレンジ色。神社、太陽が上ってくる一時間程前(5時半頃)、白色灯のような色に。空の色、仏が瞑っていた目をゆっくり開かれ視線を注がれるように明るさをましていく。神秘的じゃ片付かない。
何か魔物に取り憑かれてしまった。
今日の一枚:横に点々あるのが神社から見下ろす高架橋。一つポツンとあるのが金星。
日の出まで四十分、五十分でも、さすがに東の空もなかなか明けてこない。それでも金星は力強く輝いている。シリウスも負けじと頑張るがなかなか及ばない。
会う散歩師の数も四人、五人となった。朝の暗闇を歩くのは、よほどの好き者か時間にしばられているか…。
今週末オフィスがまた移転する。あの運河の近くに戻る。通勤が長くなる。日の出も見えなくなってきたし、平日の散歩を一時的に中断しようか…。運河の辺り中心にしようか…。
今日の一枚:神社から東の空を望む。五時十五分頃。