二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

食卓の夢

2016-08-28 07:06:57 | 徒然に想う

今日の朝食の写真。サンドイッチの材料、ザワークラウト以外は街で買うてきた。ふつふつと夢が広がってく、いつか全部自分で!

トマトケチャップ、トマトソースが沢山あるからいずれ手作りしちゃろ。というか、自前のトマトソースを強めに煮詰めたらそれで十分じゃ? 香辛料など入れたら、それも作りたくなる。そもそも、入れなくても十分美味しいから要らないけど、ね。

パン、小麦は作って収穫。でも今年のは量が少ないから、次作のタネ用にとってある。粉にする? 碾き臼? 家にあるけど目が詰んでる。直し方を教えていただかないと! どうやって焼く? フライパンでもイケる。でも、窯で焼いてみたい。えっ、窯作る? どこに? 

タマゴやソーセージ、動物性の食材。これだろう、問題は。飼いだしたら、もうどこにも行けなくなる。でも、鶏は肥も提供してくれる。これ、とっても魅力的。鶏舎、どこにかまえよう。

 

前にも、同じこと言ったかな。



今日の一枚:たっぷりザワークラウトを敷き詰めたホットドック風サンドイッチに、卵のサンドイッチ。6時過ぎ。


折れそうな気持に

2016-08-27 06:29:48 | 徒然に想う

絵を描いてみました。果樹園の中、どのように道が走っているか、どう崩落しているか。先日の講習会で草を刈るとき「きわ」を付ける際、土の様子を足の裏すら使って観察するんだということを聞きました、細かな観察です。実に思い返せば、ゆっくり園全体をゆっくり観察したことはありませんでした。そのことの反省もあって、スケッチブックを持ち出し園内を歩き回ったのです。

すると、木の様子とその木がどのようなところに植わっているか、そこに何か因果というのでしょうか、何かあるように見えてきました。園全体の構造がU字谷になっています。改めて葉の色を観察すると、底に当たるところは基本的に濃い(「黒い」って言い方もします)緑色。東側の縁に向かうにつれ(最終的に森と接します)、その色合いが薄くなり、黄色に近いところ(「赤い」なんて言い方も)も出てきます。西の縁、ここは畑にしている段々畑に接しています、に向かうにつれ、東に向かうよりも色は濃いままですが、葉が閉じ(葉の縁が巻いている)そっくり返るようになります。さらに、今回発見したのは、その中に小さなU字谷が三つあること。ザレ場になっているので今まで気付かなかったことでした。特に全体の流れからはこれらの小さなU字谷は影響がないように見えますが、その縁の木を見ると、幹が弱そうだったり、根がしっかり張っているように感じられません。弱っている? おそらく、水の流れが理由の一つでしょう。つまり、U字谷の底に向かい水が流れる。表面はもちろん、地中でも同じようになってる。さらに、同じような位置でも、木の雰囲気に違いが見えてきました。ちょうど若い木が4本東の縁に近いところに並んでいるのですが、春先剪定した際、幹をしっかり出るようなった(強剪定になった)もの一本が、葉の数が心持少ないように見受けられます。ほかにも別な一か所では、その木の東側が大きく崩れ幹に直射日光が当たります。その木を触ると、簡単に揺れる、根張りが悪そうです。先日の講習会はウンシュウの果樹園でのこと。ウンシュウとブンタンでは違うでしょうが、ウンシュウはあまり光が好きではない(原種は他の木の下で自生する、とか)。影を作るという対策を取る、どうとるか。寒冷紗を幹に巻き付けるということでした。光が受けられればいいってものではないようです。

歩き回ってよかったです。今まで水の流れや光の状態など気にせず、施肥してきました。おそらく、これまでもさほど省みられず来たことでしょう。それによって、園内に、幾重にも複雑な構造が走るようになったんだと改めて思い知りました。まだ、一回目のこと。これを繰り返してゆけば、さらにわかっていくに違いありません。俄然挑戦する意欲が沸いてきました。

 

”若い木”の一本。

写真を撮っている位置がザレ場です。どちらも、寒冷紗(50%の遮光率)を巻き付けた後の様子。



今日の一枚:5時半ころ、家の前で。

 


豊かな「習い」

2016-08-24 12:27:26 | 徒然に想う

昨日、県内香美市にあるミカンの果樹園で行われた研修会に出席してきました。大変有意義、「参考」になったという程度のことじゃありません、文字通り「意義」が有りました。数値データの解釈に関する話は一切ありません。ミカンの木たちを「観る」ということにカギがあって、いかにその「根」を元気にするか、「根性」を付けるかということでした。そのため考えるのは、「空気」と「水の流れ」、それが強いては「エネルギー」の流れをもたらし、木たちが元気になるだそうです。もちろん野菜たちに対しても同じであることを確認。聞いていて、楽しくて仕方ありませんでした。

もう一つ、一人悦にはいったのが、昼食中でのこと。主催者の方の師匠のご家族が切り盛りされてるレストランに出かけ昼食を取りました。その方も同席していただけたのですが、福岡正信さんの書かれた「モリシマアカシヤ」のことが話題になりました。何度かいろいろな研修に参加させていただきましたが、ジェラルディンとポールのロリーナでは当たり前のことでしたが、彼の名を実際生産者の方から聞いたのは日本では初めて。驚くだけじゃなく、正直、安心し勇気が湧きました。自分の究極とするところが夢・幻のじゃないんです、ね。

今日は天神様、荒神様のお祭り。夜は盆りです。午前中、盆踊りの花台を作り、お祭りのしめ縄を作りました。稲藁で縄の綯い方を教えていただきながら、悪戦苦闘。なんと、お祭りの場合、日常とは綯い方が違うそうです。簡単に言うと逆回転だそうです(綯い方を知らんもんですから、その違いを分かりやすく説明できません)。そんなことを伺いながら、どうやって綯うのか見ながら盗んでいました。綯い終われば、ターボウ兄に「K兄を見てみろ」と、怒られました。「しめ縄は神様に捧げるものぞ」と。地下足袋を履いたまま教わっていたんです。土足だった・・・。

「習う」とはこういうことなんでしょう。先に進む勇気をもらえること。自分が何をしてるのか知ることができること。それは黒板やスクリーン、本には決して出てこない。会話の中にだけ、ころがっている。その会話こそ、が「習う」ことをなんですね。それが、うん、継承となり、代々記憶されてく。あぁ、なんて豊かなんでしょう。




今日の一枚:巻雲、セミも静かになり。11時頃、家の前で西方向の空を望む。


満月の朝に

2016-08-19 08:07:03 | 徒然に想う

さて、山に上がろうかと、出かけ前に天気予報を見ようと、ネットを開いた。それがちょっと間違いだった、かな。福島の汚染水対策の記事に気付いてしまった。

<以下原文のまま> 

福島第一の凍土壁、凍りきらず 有識者「計画は破綻」

朝日新聞デジタル 8月18日(木)20時47分配信

東京電力福島第一原発の汚染水対策として1~4号機を「氷の壁」で囲う凍土壁について、東電は18日、凍結開始から4カ月半で、なお1%ほどが凍っていないと原子力規制委員会の検討会に報告した。地下水の流れを遮るという当初の計画は達成されておらず、規制委の外部有識者は「破綻(はたん)している」と指摘した。

東電の報告によると、3月末に凍結を始めた長さ約820メートルの区間の温度計測点のうち、8月16日時点で99%が零度以下になったが、地下水が集中している残りの部分はまだ凍っていないという。東電は、セメントなどを注入すれば凍らせられると主張した。

凍土壁の下流でくみ上げている地下水の量は、凍結開始前とほとんど変わっていない。外部有識者の橘高(きつたか)義典・首都大学東京教授は「凍土壁で地下水を遮る計画は破綻している。このまま進めるとしても、別の策を考えておく必要がある」と指摘。検討会は、上流でくみ上げた場合の地下水抑制効果の試算などを示すよう東電に求めた。(富田洸平)

朝日新聞社

<引用終わり>

 

こんなこと(つまり東電の対策や計画の失敗)を参考にして、安全性や対策が考慮されてり、してないだろうな。政府だって方針を示せないし英断もできない。それを含め、これが事実。つくづく、今の制度の限界を感じてしまう。原子力発電所再稼働のことを議論するのに、パラダイムの変換を期待するが・・・。

 

 

今日の一枚:今朝4時半ころ、二階から。静かだった。


kokoni iru shiawase

2016-08-18 06:32:55 | 徒然に想う

ここ数日、起きると窓から入ってくる音に聞き耳を立ててる。明らかにヒグラシたちの歌うだす時間が遅くなり、しかもその歌い手の数も減った。ニイニイゼミたちは相変わらず歌うが、こうも変化が起きているとは。こんな時間を持つこと、変化を感じること、長い間でどっかに置き忘れていた。

川原に遊びに行ったり、川のわきを軽トラではしってると、数多くの置き忘れが目に付く。どうしようもないが、出来ることをしておこうと荷台の黒コンに放り込む。すると、たいてい巧妙(?)に他にもたくさん隠されてるのに気づく。それこそ、トト姉ちゃんじゃないが、「どうしたもんじゃろのう」。そうね、はなはだ勘違いしてるかもしれぬが、ガンジーの心境か。「無抵抗の抵抗」という戦い方しかあるまい、か。

昨日は越知町横畠地区の盆踊り。練習してきたかいあって・・・、よれよれだった。くやしいというか、失礼なことをしてしまった。この町には、前住んでいたところよりずっといろいろ行事が残っている。それに接することが出来る。でも、意外とその地域、集落にいないとその日のことが分からない。あとで広報で知ったり、話に聞くことになる。行事のスケジュールが前もってわかればいいのにと何度となく悔しく思う。何かを切っ掛けじゃない、ここに勘違いがあることに気付いた。行事はその集落単位や地区単位のこと。だから、それをその単位外に知らせる必要なんかない、と理解するべきだろう、と。が、どこもが抱えているのが、それをどう継承していくか。高齢化や少子化、過疎化が大きく影を落とす。でも、今なら何かできる、出来るはず。どこかに置き忘れていいもんじゃないんだから。どうする? 多くの人たちに見てもらい記憶に残すというのもあり? 

これまで、何を置き忘れてきただろう。最近暑さに負けよく圃場の水源の沢に入る。ほとりに佇んでいると、体が冷えてくる。だが、冷房のように体温を落とすような無理がない。「冷える」というより、「癒える」かもしれない。街に出る。すると舗装や建物などの照り返しもあって、暑くてたまらない。一刻も早く逃げ出したくなる。それでもここはいい、視線を上げれば横倉山など手に取るように山が視界に入る。大きな青空が見える。それに川があって。5分も車で走れば、もっと多くのことが取り囲んでくる。人工物に封じ込められ機械に制御されてきた以前の暮らし、その中で、生き物である自分を長い間置き忘れてきたに違いない。



今日の一枚:一昨日収穫したもの、昼に戻った時に撮影。

今日のもう一枚:こんな夕暮れもいい、8月5日撮影。町のシンボル、横倉山。そうだ! ゆるキャラの投票で、この町の「ヨコジロ-」がエントリーしてます。一日一回、ポチッとお願いします。


ヒグラシと山

2016-08-02 06:56:45 | 徒然に想う

暑くて寝付けぬ、扇風機の音もうるさい。何度寝返ったことか。そのドタバタに喉の渇きを覚え、水飲みに階下に。あれ? 涼しい。布団に戻り、扇風機を切る。静かに外から入ってくる空気を待つ。ついでに、川の音に耳を澄ます。いつの間にか寝入った。

《扇風機 止めた手の甲 撫でる夜気》

目覚まし、鳴る。ストレッチをしていると、4時半。先月下旬から、この時間から40分、50分間、ヒグラシの独壇場。中旬は、ニイニイゼミが邪魔してた。もちろん、ニイニイゼミがいけないわけじゃない。ヒグラシを楽しみたいだけ。聞いてると、心静か。カーテン開けば、対岸の山まだ黒く、街灯の点々とし、さらに心が落ち着く。

この町の北部に、黒森山というのがある。その山頂に雲がかかると、雨が降ると地元のオンチャンが教えてくれた。それを見てるだけでは、「降る」と言い切れないが、毎日見るのが癖に。果たして、それだけ? ある夕暮れ気付いた。山頂の形が、台形になってる。富士山を見てる、らしい。隠してた秘密、ホームシック? いえいえ、そうじゃない。血の中にある形、忘れようがない。

もう一つ、秘密。ヒグラシが歌い止むと、あたりはまた静かになる。2時間ほどか、谷に、対岸の山に、集落に朝陽が差し込むまでのこと。行きとし生きるものがその日の暑さを覚悟するかのような時間帯。ちょっと不思議な静けさ、それが今日何をどう片付けようなどと考える時となって。ヒグラシや山に日々助けられてるこの幸せ、感謝。




今日の一枚:昨日の夕暮れ、浅尾の沈下橋。18時20分頃。