ちょっと遊んでる。ガマ油の口上に出てくる半紙の枚数。1枚が2枚、2枚が4枚。n回繰り返されると2^n(2のn乗)になる。で、なにを遊んでるっかてと、私がきれいだといったことで、そこに人が集まり出したら・・・。
その1。きれいな上流で1枚の飴の包み紙のビニールが流され、1キロに一回半分になったとしたら、河口では何枚になる?
その2。きれいな上流から1キロごとにあるきれいなスポットに人が集まり、1枚ずつビニールの包み紙を流したのに気付かなかったら、上流はゴミがあるけれど、まだきれい? でも、河口に近付けば近づくほど、綺麗のままいられる?
結局、それらはマイクロプラスティックとなって、海で漂い、ゆくゆくはプランクトン、魚・・・といった生態系に入る。「きれいと言いった私」がたった一枚を見過ごしたことで、どれだけの人の口に戻ることになるんでしょう。健康被害の大きさがどんなものかって? 最初は分からないかもしれませんですね、たしかに。でもね、世代が一つ過ぎ、それが際限なく繰り返される、そしたらどうでしょう。日本の国債という借金のように後世に渡していっていいんですか、ね。一枚も見逃すことはないと絶対的責任を負える(ミスは決して許されないってことです)ならまだしも、そうでなければ、別な方法を模索してもいいのではないでしょうか。例えば、立ち止まって、何もしないってのもあり、じゃないですか。これ考えてたら、歯磨き粉、見直さなきゃって思い始めた。買ったばかりなんだけどなぁ。
今日の一枚:春から入る新しい仲間、レモン。たぶん2年樹。来年以降だね、果実をくれるのは。午前中文旦を洗いながら。