二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

半紙の枚数? フォレスト・ガンプ?

2017-01-31 21:37:13 | 徒然に想う

ちょっと遊んでる。ガマ油の口上に出てくる半紙の枚数。1枚が2枚、2枚が4枚。n回繰り返されると2^n(2のn乗)になる。で、なにを遊んでるっかてと、私がきれいだといったことで、そこに人が集まり出したら・・・。

その1。きれいな上流で1枚の飴の包み紙のビニールが流され、1キロに一回半分になったとしたら、河口では何枚になる? 

その2。きれいな上流から1キロごとにあるきれいなスポットに人が集まり、1枚ずつビニールの包み紙を流したのに気付かなかったら、上流はゴミがあるけれど、まだきれい? でも、河口に近付けば近づくほど、綺麗のままいられる? 

結局、それらはマイクロプラスティックとなって、海で漂い、ゆくゆくはプランクトン、魚・・・といった生態系に入る。「きれいと言いった私」がたった一枚を見過ごしたことで、どれだけの人の口に戻ることになるんでしょう。健康被害の大きさがどんなものかって? 最初は分からないかもしれませんですね、たしかに。でもね、世代が一つ過ぎ、それが際限なく繰り返される、そしたらどうでしょう。日本の国債という借金のように後世に渡していっていいんですか、ね。一枚も見逃すことはないと絶対的責任を負える(ミスは決して許されないってことです)ならまだしも、そうでなければ、別な方法を模索してもいいのではないでしょうか。例えば、立ち止まって、何もしないってのもあり、じゃないですか。これ考えてたら、歯磨き粉、見直さなきゃって思い始めた。買ったばかりなんだけどなぁ。



今日の一枚:春から入る新しい仲間、レモン。たぶん2年樹。来年以降だね、果実をくれるのは。午前中文旦を洗いながら。


いい日やった

2017-01-27 18:11:45 | 徒然に想う

二度、三度と枝に、脳天をぶち当てる。凹みそうになるが、凹んでいても何も生まれない。木を、いや気を取り戻して、ナタネ油粕をふる。目論見では、今蒔いて3月にいい感じになる。春芽が出るころに肥効が最大にと・・・。

それにしても今日はいい日だった。「いい」って何とも抽象的だが、沢山の方に支えられてるなと実感できた一日。こんなことがあった。藪のようになっていたヒノキの枝を落としてもらえた。先日から間を見て、レモンを植えるところや風を文旦の木々に当てたくて伐木作業をしてる。半分ほど思惑通りに進められたのだが、かのヒノキ。その枝が高くてよう登らんとちろっと隣のオンチャンにぼやいた。すると、今日朝山に上がると、そのオンチャンのところに八朔の収穫を手伝いに来てたオンチャンが来られて「切ってやるき、ちょっとまっちょれ」。も一つ。「例えば、キュウリ。二本、五本などいろいろな本数を用意して、産市に出せばいいじゃない?」。ポンカンが中途半端に残ってしまったので、無理言って買うてもらうた。その時、貰ったアドバイス。いろいろな本数や個数のものを用意しとけば、買う人が自分の都合に合わせて選べる自由度が増える。その方がありがたいって、の。なるほどねぇ。

どんなに肥料をふろうとも、所詮、自然にはかなわない。長年ほったらかしの温州ミカンの美味しかったこと。それを思えば、ほっときたくなる。でも、ブンタンの木々は今まで沢山のお世話をしてきてもらってる。いきなりゼロにしたら混乱する。それじゃいけない。お世話をゼロにするのでなく、違うやり方にしてみる。どちらがいいかなどというレベルの選択の問題じゃない。ブンタンたちに育てられてる。それは町の人たちに支えられているのと同じ。どう恩返ししていったらいいんだろってこと。今日もありがとう!



今日の一枚:やっとほころんできた山の梅。去年は十日近く前に咲いてた。わからんもんだ。13時頃圃場にて。