数日前の雨による川の濁りがようやく澄み始めた。こんな時もいい、瑠璃色も様々に変化し、時には青竹のような、あるときは翡翠。午前中、ビーツと春菊、人参にリーフレタスの種まき。稲藁をマルチにして、文旦の摘果の続き。そんなこんなでお昼になって、帰る道すがら何度車を止めたことか。こんな色にもなるん…。
この七変化、いや変化の多さに圧倒される。それを独り占めしてるのもいいが、そんな風景、どうやって伝え共有したらいいだろう。暖簾に腕押し状態になったら最悪…。騒がしくなっても面白くない。ワンウエイもいかん。ガヤガヤもだ。
TVなどでのインタビューのなかで、「…いいと思います」「よかったと思います」という結びの句をよく耳にする。が、この「いい」「よかった」という意味が分からない。具体的なことが伝わってこない。どこでそう教えるんかわからないが、老若男女、誰もが使う。これらの単語は、話者が説明し伝えるのを放棄し、聞き手にその責任を押し付けているじゃないかと思わせる。
もし、「あの川の色はよかったと思います」「川がいいと思います」といっても、明らかに何も語らない、伝わらない。明らかなこと。これらの言い回しでは表現しようとしている対象から、簡単に使えるが、逃げているだけと言われても仕方ない。でも、あの色は、どう表現したらいいか…。「いいと思います」としか言えない。あぁ、何たる惨めさ。
今日の一枚:12時半頃、水自身透き通っているんだ、これが。空を川底を山を森を映しているんだろな。実際をの見せてあげたい。