二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

言葉遊び、間もなく

2013-05-31 20:10:40 | 徒然に想う
日々、枝豆が大きくなる。近づけば、枝豆特有の香りも強くなってて。…茹でたてに、冷たいビール。いや、冷めたのでもいい。小川町の畑の枝豆はどうだろ。どっちにしても、間もなくだ。

電柱に一羽のカラス。電線にオナガが二羽。一羽がカラスの頭すれすれに、かすめ飛ぶ。それを繰り返すこと、繰り返すこと。さすがのカラスも五月蝿い、と飛び立った。カラスの背中みたもう一羽、加勢に加わって。逃げ出すカラスを追いかける。その間の彼らの声の凄まじさ。巣立ち、間もなくなんだろう。

《梅雨の間に オナガの親の こえ剣》


どうしたもんか、一匹の蜘蛛。足を伸ばしても10ミリに満たない。車内の冷房の風に揺れ。こんなところに紛れ込まなくともいいのに、と。それとも、どこぞにご出勤か。間もなく、東京駅ですよ。

間もなく、か。なにか待っていたものがやっと手にはいる安堵感、そんな感覚が湧いてくるなぁ。いつ、間もなく、と感じられるんだろ…。





今日の一枚:散歩道脇の枝豆畑、4時半頃。いい香りさっ。久しぶりに雲が切れた。

安全な水

2013-05-31 07:36:58 | 徒然に想う
時事通信 5月30日(木)20時0分配信 :東京電力と資源エネルギー庁は30日、福島第1原発の放射能汚染水対策として、流入する地下水を原子炉建屋で汚染される前にくみ上げ海に放出する計画について、福島県のいわき市漁業協同組合の会合で説明し、理解を求めた。漁業者側からは、安全性や風評被害を懸念する声や汚染水への抜本策を求める意見が相次いだ。 

東電は、地下水に含まれる放射性物質は国の基準値を大幅に下回っており、「生活用水としても使えるレベル」と安全性を強調した。これに対し、漁業者側からは「それなら飲んでみればよい」「建屋から出たらどうする」など怒りの声が上がった。国の責任を明確にするべきだとの指摘も出た。

…国も東電も、未だに、こんなことしか言えぬ。そんなに安全なら、国の、東電の日常飲用にその水に使えばいい。本心から彼らは自分の子供たちにその水を飲ませられるんだろか。その水を放水した海で泳げるんだろか。その海で育った魚や貝を買い食べるんだろか。まるでタバコの投げ捨てと同じ。自分から見えなくなれば、後は何が起きてもしらん顔。

彼らが彼らの家族と率先して水を飲み、海で泳ぎ、魚などの海産物に舌鼓を打つ? いやいや、いの一番に逃げ出し、絶対にそんなことしない。





今日の一枚:こんなことに、一枚たりとも選べない。

種たちの教え

2013-05-30 22:12:31 | 徒然に想う
日曜日に蒔いたアサガオ、水曜日に最初の発芽を確認。今朝、ひとつ、ふたつを除きほとんど双葉を広げる。

去年採取した種、土曜日にちょっと傷をつけ、一昼夜水に浸す。で、日曜日、底から水が勢い良く溢れ出すくらいプランターに充分水をやり、そこに大きく膨らんだものを選び蒔いた。それで、この結果。

何もせずただ蒔いたら、どうなっていたろう。なにせ小川町の畑は、その何もしない方法を採用してる。畑では難しいが、ベランダなら毎日好きなときにチェック出来る。比較したら面白かった、に違いない。気付いたときには、…遅かった。

小川町の畑ではまだら模様。ベランダでは発芽が揃った。こうふたつを並べると、何か歴然と違いがある、と感じざるをえない。何かが支配してる。この違いをどう処理しよう。が、が、だ。何もしない、手をかける。どちらにしても、種たちは発芽し立派に育つ。先日も書いたように、野菜なら、食べた時、庵主たちをなんとも言えぬ幸せな気持ちにしてくれる。…いったい庵主は何をどうしたらいい。たぶん、種蒔きをする、それで充分。あとは何もしなくていい。





今日の一枚:今朝、五日目のアサガオの双葉の様子。6時半頃。

レタスに乾杯

2013-05-29 07:56:46 | 徒然に想う
先日、畑からレタスをいつも行く大将の処に持って行った。家で食べたのには、中が茶褐色になっていたところが。もちろん自分で食べるには問題ない。しかし、お客さんに供されるものに使われる。差し上げて、ゴミにしかならなかったらどうしよう、と心配になって、昨晩出かけきた。

いつもの大将ご自慢のお刺身の盛り合わせ、ちょっとづつ沢山。愛媛県のお酒、石鎚山をのみながら舌鼓を打っていると、牛肉のタタキが出てきた。

頼んでないし。

若大将が、もらったレタスを使っています、と。

あぁ、美味い。このシャキシャキ感。柔らかなお肉に変化をつけ、なかなか。


苗は頂いたもの。それを定植。ほったらかしにして、収穫。それだのに、立派にレタスになり、こうしてメインのお肉をしっかり引き立てている。何もしていないのに、とても嬉しい。と、同時に苗を無駄にせずにすんだと、ほっと。二杯のつもりが、もう一杯。

心の中、杯をかかげ…。苗を頂けたこと、ちゃんと使って頂けたこと、立派に育ったこと。どれもに、ありがとうございます。と、感謝の乾杯。





今日の一枚:頂いた牛肉のタタキ。庵主にはレタスが主。だからピンはレタスに。

公園のカメ

2013-05-28 21:28:06 | 徒然に想う
いいなぁ、君は。特に、時間がゆったりとしているとこなんて、羨ましいよ。たぶん、ゆったりとかなんてなくて、生まれてからこの方キミ自身の時の流れの中で過ごしているから、判らないと思うけど。

だから、その時間が羨ましい。今まで、比較されることで生きてきたから。競争、優劣なんて上下があって、その序列のどこかに位置付けられる。自分の時間、自分の時間の流れなんて…、無視された。

繰り返し過ぎだね、思いが薄れてしまう。伝えたい時、伝えたいことは繰り返す。でも、限度はある。この辺でやめておこう。





今日の一枚:4時50分頃、遊水池の手前の公園の池の畔で。

昨日の道、明日の道

2013-05-27 19:52:14 | 徒然に想う
去年の今頃、松山を目指し歩いていた。毎日、薔薇を紫陽花を見ていた。暑い、過ごしやすい。風がある、ない。五感をくしして、感じて楽しんでいた。…。

帰り際、同僚の一人がポツンと「外、暑いんですかね」と呟く。そう、オフィスにいると、何もかもわからない。

天気がわからないことに疑問を感じない。個人の興味の事だから…。でも、生き物なら…。時間の切り売りは同意した。しかし、生き物であることを蔑ろにしていいとまで、同意したつもりは一切ない。

写真に写る道を進んでゆくと、ちょっとした工場がある。屋根と壁の隙間にムクドリか、巣を掛けた。一羽が戻ると、騒がしい。離れると静かに。腹を空かした雛がいる。庵主の錆びた生き物の感覚にも、その騒がしさが日々大きくなる、力強くなるのが多少なりに伝わってくる。そう、まもなく巣立ち。彼らの前にはどんな「道」が広がるんだろ…。


《紫陽花に 歩きし道の 姿見る》





今日の一枚:五時半頃、あと五分、十分で家に着く。

フラッシュ・バック?

2013-05-25 15:07:53 | 徒然に想う
あれは何番に向かう時だったろか。

小川町に向かう電車が高速道路の下をくぐり抜けた。すると、似たようなところをくぐり抜け、曇り空の下歩いてる自分を突然思い出した。天気が良くなかったから、昨年12月松山から結願への道中だろう。

そう言えば、その後小さなお地蔵さんの焼き物を頂いたっけ。善通寺を越えたところ…?

こんな具合に、何かの拍子に「道」を思い出すことがある。いつもの見慣れた光景でも、場合によって、あの「道」のどっかになり、実感を持って歩いている感覚さえ湧き起こる。ちょっと切なくなる。

《夏の陽に 歩きし道へ 方想い》

《幾重もの 青き山々 遥かなり》






今日の一枚:昼食のオープンサンド。サニーにグリーン・リーフ、ロケット。取り立ても取り立て。目の前には借りた畑が。12時半頃。
本業の方が見たら卒倒しそうな畑でしょ。いうなりゃ、種を混ぜバラまいただけ。クロバーも蒔いていて、それより背の高い草だけ抜いている。あとはほったらかし。


森のクリオネ

2013-05-23 19:56:29 | 徒然に想う
蜘蛛の糸に引っかかって小指の爪の大きさにも満たない小さな花が宙を漂う。偶然に偶然が重なり、糸に引っかかる。そこに庵主が通りかかり、目にするという偶然がさらに加わり出来上がる風景。

初めて見たのが、場所は忘れたが、欅かなにかの小さい枝。十字のような形に、一枚葉っぱがついて。それがどうしたものか、そこに蜘蛛の糸がかかり、案山子の頭のようになっていた。その様子に、「森に棲むクリオネだ」と叫んでいた。

気付かなけば、それで済んでしまう。気付いたところで何にもならない。そんな風景だが、それはある。しかも、見ようとして、探し回ったところで見られるもんじゃない。ふと目を向けたら、ある。

この森のクリオネ、見つけると嬉しくって仕方ない。なんとも人の存在と重ならないだろうか。偶然人と人が知り合い、人が生まれる。その誕生は地球に生きるものにはほとんど知られない。だが、きちんと存在している。何のためでもない。何にも役立たない。だが、しっかりと存在している。自分の存在もいつかは誰かに認識してもらえるんだと思えてくる安心感。ここにいると主張もせず、そのまんまいる。それで充分なんだと諭してくる。このクリオネ、実は精霊なのかもしれない。





今日の一枚:右端にカワセミの川。何の花かわからない。昨日の五時前。
おっと、これはクリオネではない。

蜘蛛がプラプラ揺らいでいる。

秘めた可能性

2013-05-22 22:37:09 | 徒然に想う
最近、駅や電車の中で、白いセーラー服を見かけるようになってきた。どうしたもんか、見かけると、ハッとしてしまう。弾けんばかりの若さに圧倒されるというか…。女性でもない、女の子でもない。そんな独特なエネルギーに驚かされるから、かもしれぬ。

そう、例えるなら…。種が発芽し双葉がでる。そして本葉が開き始めた頃の苗。あるいは新緑に包まれ始めた頃の欅。これからのエネルギーに満ち溢れているもの。幼さの中に、秘めた無限の力を蓄えていると感ずる。

ないものを求める? 時間がないと、時間を。住んでいるところが狭いと広いところを。お金がなければ、お金持ちになりたい。こんな事はよくある話。つまり、若さがなくなってきたから、若さを求めてる? 冗談、やめてくれ。

若さを取り戻したい、取り戻せないの話ではない。今自分が持っているエネルギー、それをいかに効率的に回すか。高校時代のようなほとばしる勢いはもうない。が、その残っている可能性にどれだけ挑戦できるか。自分にはまだそんな力・可能性があって、彼らと相通じあえる。そう、ただ、これがセーラー服からと思うと…。これをオヂサン化と言うのかもしれない。


《セーラーの 白き眩しさ 衣替え》





今日の一枚:先日雨上がりの朝見つけた蕾、いい感じに開いてきた。今朝五時半頃。

知る、とは

2013-05-21 20:50:57 | 徒然に想う
今日は、小満。小満とは…。

万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ。『暦便覧』には「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されている。麦畑が緑黄色に色付き始める。沖縄では、次の節気と合わせた小満芒種(すーまんぼーすー)という語が梅雨の意味で使われる。ーいつものサイトから引用

どんどん季節が変わっていく。ついこないだ、ゴールデンウイークだったのになぁ…。

しかし未だ四月末の報告書を書き上げてない。代わりに、休みの人のバックアップや他の人の尻拭い。なっちゃないと噛みついたり、いい加減にしろと怒ってみたり。何一つ自分のやらなければならないことが片付けられない。他のチームからの頼まれ事も後回し。フォローアップを受けりゃ、逆に当たってしまう。まこと、トホホな事態に陥っている。

「紺屋の白袴」って知ってます? 意外に知らない。今の状況を説明するのに一番いいと思って昼飯時に使ったら、意味が通じなくて。以前「待てば海路の日和あり」を使ったが、やはりキョトンとされてしまった。

知る必要はない言葉かも知れない。ただ、なにか引用できると楽しくないだろか。ただし、これは本がないとどうにもならない。知る、とは難しきことよ…。





今日の一枚:マンションの植え込みのツツジ、ほぼ満開。昨年より遅かった。昨夜8時半頃。