≪ナナホシの眠りを覚ます畑返し≫
17℃ほどまで上がる暖かな一日。その午後の散歩でのこと。トラクターで畑を起こしていた。足元に…。
家に帰って、畑を起こすのは季語なんだろうか調べてたら、こんな句を見つけた。
耕して神と佛につかへけり | 思桂 「ホトトギス」 |
すごい。
≪ナナホシの眠りを覚ます畑返し≫
17℃ほどまで上がる暖かな一日。その午後の散歩でのこと。トラクターで畑を起こしていた。足元に…。
家に帰って、畑を起こすのは季語なんだろうか調べてたら、こんな句を見つけた。
耕して神と佛につかへけり | 思桂 「ホトトギス」 |
すごい。
思わず、やった! と立ち止まり、グーの右手でパーの左の手の平をポーンと叩いて、ガッツポーズ。今年初めてのウグイス。待っていましたよ、遊水池を取り巻くブッシュの中から、聞こえてくる。へたくそー。もちろん、ホーホケキョなんて程遠く、一生懸命練習している。ケキョ位はうまい。風がないのに、声のする方の枝が揺れる。姿見せないかと、しばらく立ち止まってみたが、いつの間にか声が消えてしまった。
遊水池の湿地にあった葦やガマの枯れ草がきれいに片づけられた。湿地帯の植物保護のために立ち入るなと看板があるのだから、たとえ手を入れるためでも、立ち入るのはおかしくないか(もちろん、屁理屈。人工であつらえたところだから、整備する必要がある)。ところがだ、マガモの番いやムクドリのコロニーが、丈の低くなったその湿地に入り込み盛んに啄んでいる。今まで、丈の高いものによって遮られていた分、虫たちが隠れているんだろう。それこそ、ニワトリたちが喉を鳴らして餌を啄むがごとく、泥の中に嘴を突っ込んで食事にいそしんでいる。規則を破っても、他の生き物たちに恩恵がもたらされる。
情けないことをする。カワセミを狙う人たちにとって、この遊水地は静かでいいらしい。が、そのマナーの悪さたるや…。ここはカワセミだけのための池はない。マガン、オナガガモ、カルガモ。アオサギ、コサギたち、他の野鳥たちが多く来ている。おそらくコサギやアオサギたちがいるとカワセミが来ない。だから、交代で彼らが舞い降りてくるたびに、走って追い払っている。写真は撮れるかもしれないが、虚栄心しか映らないつまらぬもの以外何物でもあるまい。まぁ、見たいとも思わぬが。
この小さな遊水池は分かりやすいかもしれない。こうやって草木を見れば芽吹いてきているのが日に日にわかり、春が見える。ちょっとモネ風? 耳を澄ませば鳥たちがたくさんいる。春が聞こえてくる。季節季節の変化が身近に感じる。
今日の一枚:ずいぶん日の出時間が早くなり6時15分ころだ。今朝は寝坊をして朝陽が差し込んだ7時ちょうどころの池。
追伸:今朝の桜の様子。ちなみに、土筆が頭を出している。蕗の薹はもう頭が割れ始めていた。そんなのを昨日見つけた。
昨日、気温20度迄上がり、春一番が吹く。あちこちから、蕾のはじける音が聞こえてきそう。
先週は紅梅はまだまだだった。
この桜は、小五郎の家の前の桜並木に入る直前、着物工房があって、その建物わきにある。まだまだ若い木。ソメイヨシノなのか、早咲きの別なものか…。先週はガチガチだった。もういっぱしの桜色。
いつもの桜(河津桜の若木じゃないか)。もう葉が広がり出した。花で空気が変わった。
花だけではない。空の様子も違ってる。カワセミの川のほとりに出ると、東から来る飛行機に気付いた。まるで、たっぷり水分を含んだブルーの紙の上、飛行機が、白い絵の具をちょっとつけた刷毛となり、サッと一筋入れていく。気付いた時、太陽が昇るのが早いか、角度のせいか、薄紅色だった。見とれていたら、どんどん白に。
昨日の朝は、もっと濃いコバルトブルーの空に飛行機が雲の軌跡を残していくのが見れた…。空に水蒸気がたまるようになって着た証し、なんだろね。
さぁ、春本番だ!
今日の一枚: 潮だまり、というか土だまりが畑の道に、たくさんできてる。冷えてはないが、風が冷たい。昨日の今日だから、なおさらかもしれない。
追伸:プレドニンが隔日1錠に減った。スタートは近い。
久しぶりにバスに乗って20分ほどの繁華街に買い物に出た。待ち時間の二時間余り、街中をプラプラ。デパートの地下の生鮮食料品売り場では、東北のある町がコーナーを出して野菜を売っている。顔写真入りのパッケージで。隣では、各地の有機農家さんの野菜が山積みになっている。安全安心の文字が飛び交う。しかし、不思議なことに手にはするが、かごに入れない。農協を通ったきれいな野菜を手にするだけ。安い?
本屋にも行った。ものすごい情報量。同じテーマを何人もが書き考えを主張しあう。写真のフレーミングはこうする方がいい。田舎暮らしの場所はこのエリアが安くて便利。今週の売り上げNo1は…。xx賞受賞作「XXXXXX」の次は…。ただ気のせいか、買ってる人がいるように見えない。いないわけじゃないんだが…。何十分かいて、お目当ての物を一通りみるとプイっと帰っていくか、待ち合わせや庵主のような時間つぶし。どれが必要なのか選べない?
この花たちは自分に揺らぐことなく、勇敢に自分の生き方を貫いている。ただ、大気のさざ波・風に揺らぐだけ。そうだ、凜として見える。
そんな街中にいて、真綿で絞められるようにゆっくりと不安感にとらわれてきた。売る側の理屈、買う側の理屈が見え隠れする中で、結局、売る方も買う方も情報に振り回されている。無表情にさせられたヒツジの大群の一頭のよう。もちろん、いい悪いじゃない。そんな基準からしてみれば、自分の選択しようとしていることは、非現実的なのだろうか。非常識的な発想なんだろうか。このまま、群れの中にいた方が、風に揺れるよりも温くていいかもしれない…。
今日の一枚:寒桜と枝垂れの紅梅に白梅。壁の向こうから白梅のほのかな香りが漂う、曇り空の寒くない朝。
今日は、二十四節季の雨水。陽気に地上に発し、雪氷溶けて雨水となれば成り(歴便覧)。空から降ってくるものが雪から雨に変わる頃、深く積もった雪も溶け始める。春一番が吹き、九州南部では鶯も鳴き始める頃、なんだそうだ。
この解説のように、金曜日は鉄道が二、三十分遅れるほど、春一番ではなかったようであるが、風が強かった。しかも、月曜日晩の雪以来日中は何日か春めき、温度が上る。やっぱり、これまで追ってきた寒桜の蕾が気になるところ。土曜にしては早くに5時には散歩に出発。雲が切れ間を持ちながら東から南を覆っている。遊水池に着く5時半ころ、ちょうどよく青の時間。切れ間から金星がちょろりと顔、出した。
ところがだ、土手に上がったころから、急に足が重たくなる。遊水池あたりから、その兆しはあった。先週よりも、ずっと春の気配を感じるのだ。で、土手が終わり神社の公園が見えているにもかかわらず、何と川の対岸に渡り、遊水池まで引き返してしまった。ちょうで赤の時間ころ、遊水池にもどる。今6時半ころ日の出だから、そんなころだ。
どうしたものか、今朝は鳥たちが気になる。スズメ大の鳥が群れなして盛んに地面をついばんでいる。その場所に行ってしゃがみこんだが、ただの土。彼らには見えるんだろう。
≪鳥たちの 嘴の先に 春萌す≫
農家さんのしだれの梅を見ていたら、向こうの畑でヒバリが。
≪微かなる 香りの向こうに 初ヒバリ≫
7時前ころ神社やっと着いて、我に返り、そういえばと足早に歩き出した。今朝の様子は…。
枝越しにはよくわからない。下からのぞいたのが上の写真。ちょっとダメージがある、か。二分咲きというところか、他の蕾も花を広げている。風は冷たいが、いい季節になってきた。
今日の一枚:別の枝の、風に枝に打ちつけられなさそうなのを選んでみた。横から撮って色が出た。
ポール、ジェラルディン。
もしかしたら、今日18日はピッツァ・ナイトではないでしょうか。ちょうど帰ろうとオフィスを出ると真ん丸な月が東の空に浮かんでいます。
あれは5年前でした、はじめてお会いしのは。あの日は金曜日、奇しくも満月。昼間、リンゴを収穫してサイダーに。むいた皮は干して、こちらで言うところの生薬にしました。極めつけは、夜。コミュニティー・ホールで、村の人たちとピッツァを食べ、ワイワイガヤガヤ。ピッツァ・ナイトでした。そんな中、福岡先生のことを沢山話してくださったことを思い出します。なんで外国のあなたたちがあんなによく理解されているのか驚き聞き入ってました。
不思議なもんです。お二人にお会いするには、飛行機を乗り継いでも、二泊しなければならない。しかし、こうやって満月を見ていると瞬時に時間や思いを共有している気がしてきます。相変わらず、昼間はウーファーたちの尻を叩きながら笑い、夜語られていることでしょう。まったく…、コミュニティー・ホールからお二人の笑い声が聞こえてきそうです。元気ですかとドアを開け飛び込みたくなります。
なるほど、今やっと分かってきました。あの晩の最高の収穫がなんであったか。それは、この満月です。満月を見れば世界のどこにいても、あの夜のことを思い出す。それをトリガーにして、共有する時間を持てるんですね、「気がする」じゃない。距離や時間を超越し一瞬で共有しはじめることができる。こんな月の存在を与えて下さったことだった。そういうことだったわけですね。
今夜はもうひとつ試してみましょう。お二人とまたお会いしたくなりました。月にその思いを伝えてくれと頼んでみたところです。うまくいきますでしょうか。
さてさて、長くなってしまいました。季節がいいからと、無理なされませんように。
敬具
2月18日 二畳庵庵主