二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

盆踊り、そのお礼は?

2017-08-26 21:19:17 | 徒然に想う

実は、その日の午後、天神様、辛谷荒神様と集落でお祭りがありました。もちろん直会があり、美味しい食事とお酒を頂きました。そのせいでしょうか、踊りが始まるとすぐに不思議な感覚にとらわれました。自分がいなくなる。踊る体はあるのですが、それとどこか遊離したところに意識が存在するんです。

踊りながら、体の外から他の踊る方たちを観め。ああ、こんなに多くの人が集まり、輪になって踊ってる、どうしてなんだろ。あれ、見たことのない踊り方(たった三回目の参加でわかりはずもないのですが)、どこからだろう。そうなんです、驚くほど冷静に鳥瞰してることを楽しんでる。正直、これまで、盆踊りは屋台が沢山出るとこ、その人込みを見て楽しむだけ。踊ることなど一切興味がありませんでした。それがどうでしょう、踊りながら、鳥瞰しながら、いろいろ考えてる。

横畠での練習の時、相変わらず間違えてばかりなんだけど、合うとその時の感覚が不思議でした。自分はそこにいるのでなく、盆踊りの輪だけあると思えるんです。ドーパミンが大量に出るんでしょう、ハイな状態、あるいはトランス状態というのでしょうか。自分が何をしてるのかわかりません。自分の中で時間の経過がなくなります。ふと、高校のころ、大好きな数学の問題を解いていた時に似たような経験があり、懐かしく思い出しました。

あの夜、あの輪の中にいて、何度も鳥瞰する自分を楽しみました。多くの地域から人が集まり、太鼓と歌とに合わせ、唄い踊る。踊り手それぞれに、地域性がしっかり現れる。それでいて、バラバラでなく、鎌井田老人里の家での盆踊りの輪が一つ完全に出来上がるんです。これはなんでしょうね。不思議でしょうがない。はっきり、そのような時間をなくしてはいけない。まして、他の地域からの踊りを見せていただけるのなら、鎌井田の踊りでお礼をしたい。なんでしょう、この感覚?

 

今日の一枚:23日の映像です。4匹の蜘蛛がいて、巣を壊し合って縄張り争いの最中です。画像では二匹しか写ってませんが。その様子、20分ば、見ておりました。


一杯のコーヒー

2017-08-16 07:30:25 | 徒然に想う

これまでなん杯のコーヒーを飲んできたろう。でも、飲んで眠くなったことなど、あったろうか。先日、どうしたものか、友人からいただいたものを朝食後飲んだら、その後小一時間ほど時間が消えてしまった。ここでの生活の中でも、よっぽどリラックスできたんだろうと思う。気持ちのいい時間だった。

そういえば、そうだ、十年前。あの頃、リラックスなんて一切考えられなかった。仕事に日常に振り回され、ストレスが溜りに溜まってた。ついに2007831日、爆発。数日前から体調があまりにおかしい。自分でも恐ろしくなって、ちょっと産業医の先生に診てもらうつもりで、医務室に駆け込む。話を聞いて様子を見られ、彼が発したのは、「さて、どの病院にするか」。そして、検査のため病院へ。検査だけのつもりが、そのまま入院。「一か月は出れんよ、キミ」と担当医。

色々なことが、こんな自分にも起きる。このカン詰め、傍かから見れば、今思えばどうでもいいことだが、大きな出遅れ・ネガティブと映ったろう。不摂生の自業自得とさえ思った人もいたと思う。が、幸いにも、自分では、重要な岐路に立てる準備をすることが出来た、と言い切れる。このカン詰状態が終わるころ、「ここ」にくる下地が完成していたのだから。とても大切な一つの人生のイベント。

はじめの数日、検査やら、点滴に繋がれ茫然自失。何かの恵みだからしっかり休もうと思えたのが数日後。福岡正信さんの本を持ち込み、読みふける。か、寝るかの日々。まさに完全休養。一通り読み終えたころ、これまでの自然観、人生観が整理されてゆき。暑いのか寒いのか、セミが唄ってたのか、風が吹いたのか、雨が降ったのか、分からないなんておかしい、間違ってる! そして今、こうやってどっぷり仁淀の流れに癒され、この自然に抱かれてる。何だろう、この幸せ。そこに、あの一杯のコーヒーがもたらしてくれたものは?



今日の一枚:玄関を出て定位置に立って。5時過ぎ。


「キビ」のこと、しりたいなぁ

2017-08-05 15:38:22 | 徒然に想う

昨日のこと、台風五号の影響の不安定な天気。草刈りが一段落してたことから、冬野菜の種蒔きをした後、市内にある牧野植物園でやっている『「きび」と高知の暮らし』を見に出かけた。改めて、貰ってきたパンフレットを読み返してる。

栽培技術として面白い。①今でいうところのコンパニオンプランツの手法が取り入られてる。土地の有効活用という観点でもあったろうが、昔の人は良く知っている。紹介されてたのが、二種類。キュウリ、マメ類(アズキ、ダイズなど)。混植するとキュウリは病気にならない。マメ類は窒素固定をしてくれて、「キビ」がよく育つ。さらに、②播種するタイミングをずらし、収穫期間を延ばす「時間差」方式の採用。③連作もやってるし、ハダカムギとの輪作もある。④播種するときは、山のもんのために五粒。⑤定植するとき、二、三本で一組にし、定植後の発根を促すため葉を切る。驚くのが、⑥紙漉きで使われるミツマタと「キビ」の関係。展示を見たとき、三圃式の輪作体系のような図があって、その中にミツマタが組み込まれてた(これがパンフレットで確認できない)。どうも、「キビ」のお世話がミツマタにもつながるんだとか。食物と換金作物とを合わて作る知恵、なんとも合理的。

地域活性化の資源はどこにあるか。その地域が望んでることを把握しすり合わせた上で、外から持ってくる。どこかの地域で成功したからと言って、そのビジネスモデルをただ持ち込んだり、持ち込ませては成功しない。むしろ短期間で費用の無駄に終わる。地域の当事者性を顧みなければ成功は望むべきもない。一方、地域内にあるもの、例えば、この「キビ」に関する技術、生活習慣を振り返ってみること。それを引き継でいくことも資源と見做せるのではないだろうか。温故知新方式といったらいいか。

「キビ」の栽培は雑穀類やイモ類と比べて日が浅い。しかし、七夕やお盆の行事に神様にお供えされているところから、大切な欠かせないものとして生活の中にあった、とか。実際、こうやって中山間地で生活していると、いかに水を引き田を作り稲を育てるか、その壮絶さはいとも簡単に想像がつく。アワ、キビなどであれば、斜面でも畑地があればしよい。まっこと大切にされてきたんだろう。こういった技術(知恵)は、まさに地域の一つの資産。ただ、どうしてもそれを継ぐ人たちが少ない、いない。お祭りも同じ。廃れてもいいだろうか、果たして・・・。

 


今日の一枚:台風5号に備えて、昨日から上流にあるダムで予備的放水が繰り返される。ラフトは多少水が多い方が楽しいか? 15時過ぎ、家に帰る途中。