二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

狂い咲き

2008-10-31 09:55:40 | 徒然に想う
あれ? 春に咲くはずの花が秋に咲いている。「狂い咲き」、夏の終わりか秋の初めごろ、葉が大量に無くなったか。

調べると…。

桜は落葉し休眠状態にはいることで、冬の寒さに備える。問題はその休眠を誘発する物質で、それは葉の中で作られる。ところが、その物質が十分にできない・できたとしても葉から体内に移行する前に、葉が落ちてしまうと、十分に休眠に入れないことになる。花芽は夏にほぼできあがっているので、そこへ、温暖な季候を迎えると、春と勘違いして花を咲かせてしまう。

なるほど。自然の妙味だ。

となると、このことを利用すれば、人工的にこの時期に咲かせることができる。そんなことしても何もメリットなぞないが、まさかこの樹に誰かがねぇ。まぁ、だとしても、ひとりはこうして楽しんだのだから、今はよしとしよう。

晩秋

2008-10-30 09:14:34 | 徒然に想う
低い雲におおわれ、遠くの貨物列車の警笛が間近に聞こえる。切れ間はオレンジ色に彩り、光がスロープのように差し込む。

振り返ると、雲の下秩父奥多摩の山々。窮屈そうに、でも近くに見える。灰色様々に変化し、一羽白鷺、西に山の方へ。

長袖シャツでは寒い、ついにナイロンのウインドブレーカー。予報通り、いきなり寒い。晩秋か…。朝の挨拶する機会が減った。

これでヒッツキ虫も姿隠し、虫たちの声も小さくなって、もう冬眠だろうか。蜘蛛の巣も減った、落ち葉で壊される。蜘蛛たち、虫たちはどこに行くのだろう…。

その美しさ、危険につき

2008-10-28 18:19:59 | 徒然に想う
頭の上、白鷺の群れ、一羽が輝いて。

明けたばかりの陽光に、羽根は透明感のある朱色から白色に、そして薄墨色、また薄墨色から白色へ、朱に染まり、ゆったり波うち。体半分を淡い朱色に、残りを淡い墨でぼかす。きりっと前見据え長い嘴、黒々と。一方の羽根は白から薄墨色、また薄墨色から白色へとゆったり流れる。


その美しさに、もんどり打った。

ゆでカエル

2008-10-27 13:22:39 | 徒然に想う
今年の冬はどこかで寄り道をしているらしい。去年より5日ほど平年より二週間遅れて稚内から初雪の知らせが入ってきた。漸く今週あたりから北海道の都市部でも雪が降り始めるそうだ。

久しぶりの晴天の下、散歩にもいかず満員の通勤電車。仕方ない、検査の日。空が青くきれいなのに、残念。しかし病院近くの道端で発見。タンポポ、春うららの…。ウ~ん、どうしたもんか。

そう言えば、先週散歩の道中、サツキかツツジ。白い花を可憐に数輪咲かしている。あぁ、ツクツクボーシの声を最後に耳にしたのが十月上旬。初秋まで鳴くというが…。ブドウの開花と完熟が年々早くなると勝沼のワイナリーで。

二十四節季の霜降も過ぎはや四日。心地よいうちは異常とは言われず、過ぎると騒がれる。だがやがて異常も異常でなくなり気付かない。地球が水から茹でられたカエルにならければよいが、遅いかもしれぬ。

思いがけないところ

2008-10-26 10:22:27 | 徒然に想う
太陽が出てくるのも遅くなった。散歩に出かける5時半ではまだまだ暗い。鳥たちカラスがやっと目覚めたタイミング。遊水池に着く6時頃になってやっと太陽が顔を出してくる。カワセミも起き掛けか、なかなか姿を見せない。

今日も諦め、歩を進めていた。ところがである、思いがけないところにいた。以前も同じところで見かけた気がしたのだが、まさか。カメラを出す間もない。手すりから川を見下ろすと、背を見せ向こうの岩へ。追いかけると、今度は逆に向かってきた。

散歩中、実に二つの川の脇を歩く。一本目が遊水池のある川。よく話題にする。もう一本はそこから河岸段丘を越え約40分歩いたところ。護岸がコンクリートで固められ、川というより下水道のよう。カルガモや白鷺がいるので、さほど汚くはないだろうが、ゴミを多く見る。

その二本目の川にいたのだ。彼らは清流にすむイメージがある。どうして清流とは程遠いあんな川にいるんだろう。適応してしまったのか、住まざるを得ないのか。イメージが変わってくる。

役割り

2008-10-25 08:45:21 | 徒然に想う
境内の木々の葉も今年の役割を終え、土に返る。久しぶりに雨が上がり散歩に出れた。木々も冬への休眠期に向かってエネルギーを無駄にしないようにとのことだろう。

土手の雑草たちも枯れてきた。土止めやら、草刈りという仕事を提供したりやら、彼らにも役割りがあることだろう。そういえば、スギナ…。

聞けば、タスマニアの土は酸性だという。酸性土…、確かスギナは酸性土壌を好み、成長するにつれて体内に多量のケイ酸カルシウムを含むようになる。そして、枯死することで土を中性に移行させることが出来る。

それはカルシウムのほとんどないような土地からもカルシウム分を合成するのだそうだ。しかも、地下茎は4メートル以上にも伸び、地中深くまで耕すという。スギナを持ち込んだらなんて思うが、タスマニアにはその仲間はないのだろうか。いい役割をしてくれるような気がする。

雨は雨

2008-10-24 12:36:47 | 徒然に想う
二日連続の雨。ベランダから外を望むと、向こうのマンションが煙っている。同じ雨に煙るにしても一ヶ月前とは全く違う。比べちゃいけない。マンションという“木”では、和むどころではない。

ニュースでは、太平洋側に低気圧、中国大陸から伸びる前線に挟まれ、東日本・北日本で大雨になるという。そういえば乗換駅のホームに下りたとき、いつに無く強い降り方だった。心持ち、電車も遅れていた。大事にならぬと良い。

タスマニアでの生活も一ヶ月前のこと、早いもんだ。だが、昨夜、知り合いと話しをしていて、忘年会どうしようという話になってしまった。10月も下旬となると12月の調整が必要になる。これまた、早すぎる、か。いや、矢のごとく過ぎていく。おちおちはしていられない。

会社としての公式な忘年会・新年会は、このご時世一切中止となった。やまない雨はない、いずれやむ。何事も回復するもんだろう。しかし、天候にいい・悪いは無い。人間が作出したものだけに、いい悪いがある。いっそのこと、いい悪いがなくなってもいいかもしれない。

雨の音

2008-10-23 07:03:57 | 徒然に想う
久しぶりに雨の朝。先週からほぼ一週間近くいい天気が続いた。気温も25℃を越える夏日があって、秋にしては暖かだ。駅前のナナカマドはすっかり秋。公園尾モミジはまだ緑。不思議と、車が弾く水の音が心地よい。

車の音は勿論騒音、雨の降る音自体のほうがいいに決まっている。とはいえ、この生活では、限界だ。車が弾く音がいいなんて、あの村に人たちが知ったらなんて思うだろう。

結婚する直前、確か夏だったと思う。台風のときに、弟と傘も指さずに外に跳び出して大騒ぎをしたことがある。全身ずぶぬれ、若気の至りだが、そんなことよりも、雨に打たれる楽しさときたら、今でもたまに思い出す。

一番よい音は雨具を着て外に出た時に聞こえてくるものだ。実にそれは頭からも手の平からも肩からも、一体となって伝わってくる。もしかしたら、雨具も要らないかもしれないが、それは試したことがない。ふと、雨の中帽子一つで薪を取りにいくポールの後ろ姿を思い出した。

一先ず、

2008-10-22 23:05:28 | 徒然に想う
遅くなってしまった。幸いにも一日休みが取れたので、一気に旅行記を仕上げていたら、こんな時間になってしまった。

仕上げるといっても、第一稿が出来上がったという感じだ。まだまだ。これから、また赤を入れて…。今週末には完成するだろう。

好きとはいえ、時間がかかりすぎる。しかし、こうでもして総括しとかねば意味がなくなってしまう気がするのだ。

あと少し、もう少し。頑張りますか。