二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

大晦日の郵便局

2015-12-31 18:32:46 | 徒然に想う

う~ん、失敗! 

郵便局につくと、ちょうど集配車がポストのわきに。で、お姉さんが手紙類を集めてる。おいおい! 駐車場が…、裏に回らなければ。止めて表に出ると、いない。赤い軽バンのテールライトがむなしく赤く、視界に入る。空のポストに年賀状の束が空しく音たてた。

いつ届くかなぁ。いかん、お金、ATM! あ” あ” あ” ATMも終わってる…。 

とうとう大晦日、ですね。考えてみりゃ、初めての一人大晦日。大学時代、実家で大酒。サラリーマン時代、自分の家で大酒。今年、高知で小酒、大酒? 

 

 

今日の一枚:11時ころ、集落の全体的に撮りたくなって外に出た。沈下橋も映ってる。角度的に畑のある斜面は入らなかった。

 

 


収穫、そののち

2015-12-31 18:28:19 | 徒然に想う

文旦、25日から始め、日曜日を飛ばし連続5日間で、49袋のコンテナ(重さがおおよそ20キロ)になった。一つ500gとすれば、ざっと2000個。振り返ってみれば、一つのコンテナが埋まるのに2、30分かかる。我ながらよくやっていると思うが、実際は何をトロトロやってんじゃ、ってとこだろう。なんとか目鼻を付け年を越したかったが、あと3分の2、5分の3は残っている。ゴールは遠い、と、気が重く…。

《鳥たちの 休む川眼下 文旦とる》

不思議なんだが、この収穫作業、ほとんど苦にならない。急峻な斜面を上ったり下ったり。下りの時は、背中に65ℓのザックに20キロの文旦でパンパン。木登りもしなければならない。柑橘類は棘があるから、下手するととんでもないことになる。頭を枝にぶつけるなんていつものこと。やっと取れたと思ったら、手からすり抜け、後追い見れば穴。最悪なのは、果樹園の下の森に飛び込んでいってしまう。それでも、木にしがみ付いて収穫してると、得も言われぬ幸せな気分になる。豊穣の神と交わっているなんて言ったら不謹慎か、でも、それくらい幸せ。

その日の収穫を終え、野囲いに文旦を並べていると、これもなかなか。黄色いのがころっころ。大きいのはソフトボールよりでかい。小さいのは、軟式野球のボールを一回りおおきくした感じ。個性豊か。しかも、写真にあるように、一言で黄色と片付けてしまってはつまらない。オレンジ色が入っているようなものもあれば、レモン色に近いのもある。それが三段、四段と積み上げてゆく。大きさが合うと、ピタッと黄色いテトラポットが組み上がる。その幾何学的な美しさ。女神は美しいものを見せてくれる。

女神がくれたもう、この果実。もちろん、休憩時に食べる。もちろん、美味い。一人悦に入る。抱き合って、獲って、食して、独占する。…こいつはいけない。山で取れたものは独占しちゃいけない。女神の恩に報いるにはどうしよう。どうやって美味しく食べてもらおう。

 

(昨日書いたが、アップし忘れた。)

 

 

今日の一枚:野囲いの中の文旦、13時ころ。この後、二つ目の野囲いを作る。


To-do-List

2015-12-28 06:50:29 | 徒然に想う

気が付けば、すでに28日。年の瀬のあわただしか、部屋の惨状からか、まだ、いろいろなことがちっとも片付かない。焦るばかり。これはイカンと、どれほどあるかとTo-do-Listを作ってみた。17項目、出てきた。 

そういえば、WWOOFでお世話になったジェラルディン、To-do-Listを冷蔵庫にホワイトボードに書き出し張り出してた。一つ一つをプロジェクトと称してた。彼女、それらプロジェクトをすべて同じように扱っていたわけじゃない。項目に対しトリアージュ、優先順位を付けてた。そして、終わっても、スペースがある限り、消さない。二重線で消していく。やり終えたことを残すことで達成感を楽しんでいた。これだこれ! 真似しよう。 

もう、花粉の話題がニュースで取り上げられてる。もう残すところ数日だから鬼も笑わないだろうが、来春の話はもうちょっと待ってほしかった。聞いてしまったものは仕方ない、花粉が今年よりも多いそうだ。今年窪川では比較的楽に過ごせた。でも、この町の至る所に杉がある。あぁ、やだな。花粉症対策の注射受けてみようか…。新たな項目、追加! 

リストを作ってみると、正直17で済んだのが意外だった。多くて困ったと焦っていたが、そんな必要はなかった。もちろん、税金の支払いのような短い時間で済むものあれば、石垣の修復・整備のような時間がかかるものもある。わざわざ晴れの日にやらなくともいいものもある。結局、やろうと思うことを思い付きベースで片そうとするから、中途半端になっていたからなんだろう。

 

 

今日の一枚:倉庫の片付けは、まるで宝探し。あるプロジェクトに参加していて、リフォームをやっている。そこにある倉庫、唐箕がある。それを貰えることになっていて、昨日取りに行った。倉庫を見れば、あるある、沢山ある。穀物を保存する缶、暖気樽? 桶、担ぎ棒…。どうしよう、このままでは1月末に捨てられてしまう。持ち帰った唐箕、昨晩6時ころ。


目指そう、ウィン・ウィン!

2015-12-26 19:59:44 | 徒然に想う

う、う~ん。残念。口径が合わず、風呂の蛇口をシャワーに交換できなかった。風呂も大好きだが、シャワーもまた大好き。自分で交換できるならと、先日、DIY用のシャワーをネットで購入した。いろいろな径に対応できるようアダプターが付いているとのこと、安心してた。今日午後時間ができたので試したのだった。…そのメーカーさんに聞いてみるしかない。来年、だなぁ。

午前中、文旦の収穫。120キロ(500g平均として、ざっと240個)になった。午後農業担い手センターの先輩(年齢は下だけど)が来られる。家でも、畑でも、「ええとこじゃないですか」と連呼。庵主は移ってきただけなのに、嬉しくなる。ちょっと、ドヤガオ。15時ころ、帰っていった。送りだし畑からの帰り道、T兄とお母さんに偶然会う。この「ええとこじゃないですか」のことを話すと、満更でない顔され、笑ってくれる。

意外なんだが、ここにとどまった人たち、つまり県外に仕事先を求めなかった人たちの特徴として、孝行者が多い気がする。T兄たちに会ったときも、T兄が軽トラを運転、お母さんが助手席に。で、荷台には柴が山積み。T兄はあまり外での作業が好きでないし、平日は夜遅くまでデスクワーク。土日はゆっくりされたいだろうに、親の手伝いを笑ってやってる。街仕事してた時一緒だったニイチャンも休みの日に婆ちゃんを病院に連れていくっていっていた。彼らの顔にそういったことをしていることに対しまったくめんどくさい、うっとうしいといったネガティブな感情がまったく見られない。生き方としてここに来たが、この点、理解した上でだと思うも、羨ましい。

そうか、そういうことか。なるほど、なるほど。庵主、今の状況を考えるに、ウィン・ルーズになってるのではと考えてしまう。だって、この集落で一番何も知らない。何をするにも、集落の人たちの力を借りないと何もできない、のだからね。ルーズ・ルーズは最低だが、なんとかウィン・ウィンにならないものだろうか。その方法の一つと考えてもいいんだろう、ここに人を呼ぶってこと。留まれば最高なんだろうけど、そこまで行かないけど、「よそもんが来る」ってこと。これが大切なん?

 

 

今日の一枚:15時半頃、先輩を見送った後で。圃場に上がる道を見下ろす。向うには仁淀川。

今日のヤバイ一枚:花が咲いてしまった。あったかすぎ。昨日16度、今日15度。冬の最高気温じゃない。

 


整理、整頓。長き道。

2015-12-23 23:09:28 | 徒然に想う

今日一日、雨。よっしゃと台所の掃除と整理を中心に着手。セキス炭酸水を作って、フキフキ、ゴシゴシ。なんとか、台所は目星がついた。残ってるのが、服と本・資料類。川の畔の家では、一階は「農(山)」、二階は「街」のコンセプトで生活を分けようと考えてる。それに応じて、場所を分けたい。

これまで、「山」「街」は混在させてきた。移行期間中だからこそ、いい加減で良しとした。しかも、分別は難しいことはない、簡単なことと思ってた。ところが、実際、分けようとすると意外に難しい。例えば、山に行って、お昼に帰った時、Gパンをはいたとする。このGパンは「山」、「街」どちらに分け仕舞っておく? 

いかに機能的に分け仕舞っておくかということ、それを考えようと思う。だから「どっち?」。出来るだけ、余計な労力は使いたくない。ああなったらこうなり、こうなったらああなる。いやいや、逆だろ。迷えば迷うほど、進まない。その一方で、荷・段ボール箱をなくさないと、文旦を仕舞えなくなる。えーい、なんとかならぬものか、この惨状。

 

 

今日の一枚:昼食後、宅急便を出す。そのついでに買い物。二時半ころ、沈下橋を望む。


冬至の朝

2015-12-22 17:51:15 | 徒然に想う

土曜の晩に帰ってきて、日曜はワークショップ、月曜は後片付け。畑のことが気になって気になってありゃしない。今日も午前中三件予定がはいってる。さすがに朝一、山に駆け上がった。畑に向かう川沿いの道、ずいぶん石が崩落してる。先週末の雨がかなり酷かったに違いない。石垣の補修に使えそうなものがないか物色しながら、軽トラを転がしてく。 

朝霧が美しい。水が、流れてない。棚田を一切れ上がると…。馬鹿野郎! ブロッコリーに敷いた落ち葉を丁寧に退かしている奴がいる。しかもご丁寧に、数株抜いてまでくれた。もう一つ上がった布にあるネギの畝。オイオイ、今度は土寄せかい? 勘弁してくれ。三度目の正直、ではないが…。もう一枚上がると、アリガタヤ、アリガタヤ。目論見通り、ほじくり返してくれている。落ち葉に、ミミズ堆肥は効いたね。

錆を落としてもらった我が家の風呂。五右衛門風呂として使えないが、エコキュートのお湯が張れる。問題があって、水抜き栓がネジ式で取れない。サイフォンの原理と手桶を使って排水しなければならない。この数日、体を拭くだけだったから、なんとか今夜使ってみようと、掃除した。忙しいのは楽しいが、多過ぎ。明日は雨の予報もある。家の片付けが進む、か。

おっとやばい、ガスやさんに役場の税務課の方たちが来てしまう。荷物も届いてしまう、かも。こんな時に、ゆっくりしていられないなんて。それでも、何度も朝霧に魅せられ足を止めては、ゆっくり巡回。午後一、役場にリフォーム助成金の使い方の変更届を出し、山へ飛んで帰った。今日は冬至。日南の限りを行て日の短きの至りなれば也(暦便覧)。今日より日が伸び始める。柚子湯? あぁ、しまった、柚子がない。

 

 

 

今日の一枚:8時ころ川を望む。冬至だというのに、15度位まで上がったかもしれない。

 


帰省の一週間が終わり…

2015-12-20 20:03:50 | 徒然に想う

この一週間でリフォームが終わった。荷物の整理も何も終わっちゃいないが、待てない。間抜けなことに、ガスが引けてない。でも、お湯は深夜料金での発電で焚けているからいい、山のコンロもある。インターネットは携帯でつなげられる。あとは…、荷物の片付け。朝から張り切って準備。でも今日は須崎でリフォームのワークショップもある。慌ただしい。

ワークショップから帰ると、T兄のお母さんが来られる。しばし雑談。文旦、収穫しきらなくとも大丈夫。3月位まで木から直接収穫、出荷で問題ない。帰省してた間、一番心配してたところ。ヘッドライトで収穫なんてもありかと、恐れてた。結局、文旦の皮の厚さ、ある程度の糖度。それらで滅多なことでは凍らないそうだ。しかも、木のあるところは暖かい。陽が当たるのも長いし、石垣が熱をある程度保存してくれる。よかった、ちょっと安心。

町から簡易書留、一週間前についてた。個人番号? 前住んでいたところで受け取ってきた。まさか二重発行? めんどくさいなぁ、と受け取ったばかりの書留を開く。で、番号を比べると、同じ。一致してた。郵便局員さんが杓子定規でない、ほんと助かる。この書留に不在連絡の通知。17時以降に届けてくださいと手続き。でも、ワークショップの帰りに買い物できず、なかなか来ないから買い物に出てしまった。当然また不在連絡? かと思ったときに電話。1分待ってもらえないかとお願いしてみれば、快くOK。忙しいだろうにね。

さぁ、これで、いよいよ川の畔の家での生活を始められる。山仕事ももちろんだが、夜になれば家で残っていることにも手が付けられる。今まで以上に片付けがはかどるに違いない。そういえば、蛇口の付け替え、棚作り…。唐箕がもらえることになったから、置き場所の確保。無限に仕事がわいてくる。優先順位を付けていかなきゃ…。ワクワクしてくる。

 

 

 

今日の一枚:祝杯というわけではないが、カツオのタタキで乾杯。19時半頃、居間にて。

 

 

 


さぁ、帰ろう

2015-12-19 23:18:33 | 徒然に想う

さぁ、帰ろう。荷物を出したが、呑んだくれてばかり。年末年始に、実家にいれないという親不孝もする、が。さぁ、帰ろう。

いい季節。羽田を出てグルッと回ると、富士が見え。それが近づてく。おぉ、南アに、中央、北アまで。すっきり見渡せるじゃないか。

これ、南アルプス。たぶん北岳があって、千丈? もみえてる、な。穂高なんかのも撮ったつもりが、ボケてた。

 

空港シャトルバスに乗って、高知駅。17時過ぎの列車に。最寄り駅で、大きく深呼吸。あぁ、気持ちいぃ。

 

 

 

今日の一枚:13時半頃、高知に向かう737-800。

 

 

 


吾輩は猫である

2015-12-14 22:44:39 | 徒然に想う

吾輩は猫である。すでに名をもらってる。このあたり、かの文豪さんのところような血筋じゃない。午後うつらうつらとしてると、見慣れぬ輩がやってきた。気を使って愛想を振りまいたつもりなんだが、あまりにもオッサン臭い。これはたまらんと、さっさと二階に上がってった。背後から声。「愛想ない奴だな。まぁ、以前は一目散に消えてったけど…」。二本足の生き物よ、こっちはお前らよりずっと耳がいいだ。きちんと聞いとるよ。しかしまぁ、頭に白いものも多くなって。なんだろね。

9月に帰省したとき、両親のところの猫が、それまでよりもずっとやせ細っていて驚いた。それが、今回、さすがに年だからふっくらではないが、病的な感じが消える。昔、両親の代わりに餌をやりに行ったとき、足元にまとわりついたと思ったら、一瞬で爪を立てシャッと逃げってたヤツ。それから、しばらく、訪ねていっても、庵主がいるとよっぽど腹が空かないと二階から降りてこなかった。当然愛想ねえぁと思う。が、最近のちょっとは挨拶する姿勢に、うんうん…。いや、昔ことは水に流せ、もう忘れろだって? まったく、可愛げない。むなしく、階段を上がっていく音だけ、心に響く。

文旦、どう売ろう…。実家で、生協からとったセット野菜を見る。先週の箱の中に、白菜にキャベツ(?)、すでにレッドリーフは萎れてる。今日届いた箱に、大きなキャベツ(直径30センチほど)がある。定期的なものでなく、買い物に出かけ持ち帰ることの労力を省くために注文するよう、それはわかる。が、高齢者夫婦だけのところに、直径30センチのキャベツを続けて出す? 送り手はいったい何考えてるんだろう。食が細い、無駄になる(無駄にしたくないから、無理に食べる、かもしれない)。そういったこと、お構いなし。売り手ってのは、売れればいい。しかも定型が扱いやすい。が、それでいいんだろか。

ふん、だからあのオヤジは嫌いなんじゃ。ちーと気を利かせたんだから、喉の一つでもかくかと手を伸ばそうとすればわかるのに。だのに、そんなそぶりを見せやせん。昔、爪を立てたのは、こっちのこと考えもせず、手を伸ばしたからだってつーの。あのオヤジ、受け手のことを考えなきゃ、配送のことに始まって、せっかくの野菜が痛い目に会う…。どう説明すりゃいいのさ。

受け取り手のこと、考えないで送ったら…。つまり、同じ値段だからといって、若い夫婦と年取った夫婦のとこに同じものを送ったらどうなる? どう、体系づけよう。

 

 

 

今日の一枚:洗濯機の上、思索にふける。16時過ぎ、実家にて。


印象ー東京の空気

2015-12-11 18:03:22 | 徒然に想う

50年近く東京・埼玉に生活し、そのうち20年近く都心で働いた。だが、この3月からの高知での生活はすでに何か体にもたらしてしまったようだ。羽田に着くと、空気の匂いがおかしい。リムジンバスに揺られていても、どこか息苦しい。拷問、といったら大げさかもしれないが、気持ちよく息を吸えない苦しさ。マスクでなんとかなるのだったら、すぐにでもつけたかった。

例えるのであれば、焼却場からの煙に含まれているような臭い。ドブ川の臭いも近いかもしれない。いや、はじめはザックに沁み込んだ汗の臭さかとも思ったのだ。が、ジャケットを被せてある。ビル風なのか昨夜からの低気圧による風なのかわからぬが、とても強い風、においなんて楽しもうなんてことにならない。それなのに、幼い頃風向きによって焼却場から流れてきた嫌な臭いを思いだしていた。

今日のフライト、50分の遅れは待ちくたびさせられた。が、あとは平穏だった。なんども飛行機のブロッケン。それだけじゃない、羽田に近づくと雲の下に、彩雲とも違う虹のようなもの。光の綺麗な悪戯を堪能することができた。CAさんたち、彼女らのせいでないのに、何度もすみませんでしたと。そんな心遣いもまたいい印象のフライトに。

ふと気付くと、関越道に入る直前。寝てた? そういえば、外環道に入るあたりから、この不快感、薄らいでた。慣れてしまった、ということもあるかもしれない。50数年沁み込んだことが、たった数ヶ月で消えてしまうということはあるまい。だが、確かに窪川の周辺、川の畔の家のある町の周辺にいると、杉や木や草の匂い。季節によって柑橘類、ショウガ、そうだダイズのもだ、そういったものが町を覆う。東京の空気にはないものばかり。それを比べることに意味ないが、体は意外に正直なんだと思う。

 

《冬ざるる 街路樹我が家 遠くなり》

 

 

 

今日の一枚:13時過ぎ、虹が見えた。12時30分に離陸。着陸したのが13時40分頃。遠州灘か駿河湾の上空あたりでのことになる。