今日5時25分頃、ふたご座の上方向から、かに座としし座の間を大きな火球。ふたご座流星群の時、見たのと同じ位。バリバリと赤い軌跡残し。
年が明けると、しぶんぎ座流星群がピークを向かえるという。朝だと北東の空、ベガと柄杓の柄のの端の中間あたりが放射点。ちょうどカワセミの川のわきを神社に向かう道筋がその向き、正面になる。流れれば分かる。どんな音、すんだろう。
今日の一枚:11時頃、オフィスから
一昨日、11月に会った方たちの中、最後まで歩いていたY君が結願した。
その日の内に、87番から88番、山を下って10番、8番を超えたところまで行った。ざっと計算して38キロ前後。スゴいなと言えば、事無げに、そんな距離だったんですかと答えてきた。
歩いていない人間はその距離歩いたのを賞賛する。だが、当人は意にも介さない。「自分の時間」を使っている人の清々しい気持ちが伝わってきた。何キロ歩こうが、何時間歩こうが、何になるんです? 驕りも邁進もない。
「自分の時間」と言いながら、考えているだけの者と実践者との違いだろう。優劣ではない。だが、差がある。無意味な競争や比べっこから、感覚や思考が抜け出せているかいないかの、差と言える。
そのY君のメールに、Nさんが、「あぁ、また行きたくなった。」 全くキャラが違うが、いいチームだった、と。そんなNさんが道後温泉で待っている。
Y女史がNさんに答え、「また四人で、焼き肉したいですね」。Y君がさらに折り返す、「庵主さんが結願の折りには是非」と。
ウッシ、春には再開すぞ!
今日の一枚:昼飯を食べに大将の処に。帰り道、運河に掛かる橋の上で空を仰いだ。12時5分頃。
昨日は冬至だった。まさに冬に至りクリスマス寒波到来。年内に結願をめざしてるY君は、どの辺まで行ったろう。一昨日あたり雲辺寺を越えている。高松市あたりだろうか。ただ、足首に腱鞘炎が出てしまって、薬を打ってもらったといってきた。無理せねばいいが。
≪歩き続く 友を思いて 柚子の風呂≫
今朝6時前、Y女史からメールが入る。結願したとのこと。これからお礼参りに1番を打って、高野山へ向かうという。きっと、キャーキャー喜んでいるにちがいない。
≪結願の 友を祝いて 熱燗一献≫
彼女はビール党だったか、まぁいい。今夜は祝い酒だ。
今日の一枚:間もなくマンションに着くころ通る街道沿いの家の垣根、葉っぱと鉄の枠とに挟まれてちょっと窮屈そううな寒椿。現実と希望とに挟まれているかのよう。きれいに咲けるだろうか。8時頃。
あれは夢だったんだろうか。ひたすら「自分の時間」を追い求め歩き続けた日々は。
帰ってからの日々は、何しろ、何だせ、どうなっているとの業務命令に従うだけ。あるいは、チームに課せられたことなのに、見て見ぬふり。やろうとしない。だから、仕方なく手を出す。気が付けば昼飯時、19時だ、20時だ。
来年3月に休むため、マニュアルを作ろう。マニュアルだけでもきれいに残そう。
どんどん時間が奪われる。マニュアルはまだ三分の一も書き上げられない。書き上がらなけば、どうだ、残りを打ちに出れるんだろか? しかし、このままではおかしくなる。狂気がはるか遠くで笑っている?
「自分の時間」…。見失っていた「自分の時間」の存在を再び見いだしたんだ。必ず、必ず取り戻してやる。
あぁ、オヘンロにでて良かったのか、悪かったのか?
夜明け前間近は心底冷える。手袋やネックウォーマーなどをしてても、一時間でも散歩して家に戻るころには、体が冷え切る。戻ってから、初霜や初氷が庵主の住むあたりで記録されたりで、「四国の道では、どうだろうか」などと、気になってしょうがない。
そうだ、服装のこと、もう少し記録しておこう。
を持っていた。朝の行動を起こす前や到着して宿でのんびりとしているときなど暖を入れないでいると、寒くてダウンをなんどか使った。これは小さくなるし軽いし、いい選択。ヤッケ、大概7時頃(夜明け直後ころ)から歩き出していたが、それから一時間ほど着ていることもあった。が、すぐに体が温まる。結果的に、ヒートテックの半袖シャツ、ユニクロの長袖(Tシャツの長袖版)で、十分。寒くて困るようなことはなかった。しかもこれらは洗濯しても早く乾いてくれる。薄い割には大変重宝する。ただ、ヤッケは雨具のことと合わせ考えると、いらない。セパレートの雨具があって、上着をその代わりにすればいい。ポンチョもいらなくなる。
ヒートテックの半袖シャツには驚いた。今年が暖かだったのかもしれないが、11月だっていうのに、それ一枚になってしまってもちょうど良かった時間もあった。歩き出すと、想像以上に体が温まる。
今回は、手袋やネックウォーマーは装備には入れなかった。ただ、最高気温を高知や広島などのと住んでいるあたりを比べると、同じようなもの。ここ数日の寒さでは、必需品かもしれぬ。
今日の一枚:今朝6時頃、散歩に出た直後、カワセミの川に向かう畑の中で。
四国で何を感じたか。2日に一緒にまわっていた方たちにお礼を送っている。それに書いた。名前の以外原文のままで。
引用:
Nさん、Y女史、Yさん、
(長文、失礼します)
大変ありがとうございました。お会いでき、一緒に歩かせていただけたことに感謝申し上げます。
昔からの表現でしょうが、これまでの生き方を顧みるような日々でした。
歩き出した数日、周りの方達に合わせよう遅れを取るまいと、抜かれたら抜き返すと必死でした。在りもしない競争に負けじと歩いていました。
恐らく、Nさんに再びお会いし、皆さんに鶴林寺の麓で一緒になれた頃だと思います。自分の時間を失っているのではと思い始めました。
その日、井戸寺から眉山を越え、ほぼ一日一人で歩きました。何度も道に迷い、何度も遠回りし、何度も人に尋ね…。先に徳島市内まで歩かれた方達にはちっとも追いつけない。なんで眉山越えにこだわり、前日楽をしたのか、自分のプランを後悔したものです。
ところが立江寺から金子屋さんを目指す雨のなか、思いました。迷ってもそれは自分の、遅くてもそれは自分の時間。遍路に出る前からずっと今まで、実は周りに翻弄されていたに過ぎないのではないだろうか。(だから)日々イライラし、自己嫌悪にも陥いる。いったい自分の時間はどこにいったんだ、と。
それ以降自分の時間を取り戻すよう、時には一緒に、時には一人で歩かせていただきながら、自分の時間を見るよう、それに従うようにしました。
例えば、Y女史、覚えていらっしゃいますか。メニューを縦に読んで、訳の判らない食べ物を真剣に考え、横に読むことに気付かされた時、ホントに腹から笑っていました。あんなに笑ったのは何年かぶりです。Y女史は一緒に歩かれていて、怪訝な顔をされたのではないですか。それは自分の時間で歩いていたから、出来たことでした。
禅師峰寺から下ったとき、Yさんは早いですねと言われましたね。高校の山岳部時代のことを話し、ついて来る必要なんかないですよと言ったと思います。あれは、それが私の時間だから。YさんはYさんの時間を使えばとの思いでした。
結果、短い間でしたが、自分の時間を取り返せたと思います。そして、皆さんの時間と私のが同調したところで、あの様な素晴らしい時間となった。
そんな時間を一緒させていただきました。どう感謝したものでしょう。来年は清滝寺から打ち始めます。皆様から教わった時間の使い方を生かし、結願させたいと思います。これからも、どうぞよろしくお願い致します。
庵主
引用おわり:
仕事に戻って、来年3月再開するぞと。
今日の一枚:今朝雲ひとつない、放射冷却でよく冷える。初霜に、初氷。切り通しに向かう畑道で、6時15分。
≪暖あるか 伊予路の遍路よ 初氷≫
帰ってから5日も経ってしまった。先達Nさん、Y女史、Y君らは足摺をまわったという。間もなく高知が終わる。こちらは月末、月初になって忙しい日々。日常がまた元に戻ってしまっていろいろ分かってきた。それは別にまとめるとして、まず、装備のことから見直してみる。
歩きだした時点で、身につけているもの(靴以外)もカウントして、以下を持っていた。これで総重量11.6キロ。「今日の一枚」の装備。これは出かける前と比べると、納経帳などが増えている。お参り用品をメッセンジャー・バックに入れて、斜めガケにして、ザックを背負っていた。
お参り用品(白衣と金剛杖以外)
これで10.6キロ。それでもなかなかの重さ、Nさんたちに言わせれば「なんでそんなに重いのか」。ザックだけで2.5キロある。カメラ用のせいだろう。これを普通の山行用のものに変更するか。すれば、恐らくそれだけで1キロは減らせる。へんろみち保存協会の「解説編」によれば、だいたい総重量が7キロだから、それでも重い。
荷物を見返し使った頻度を考え、ちょっとシュミレーションをしてみた。
先ほどのものから、A4バインダー(地図用の防水ケースを代わりにできる)、ズボン(有料のこともあるが洗濯機と乾燥機が比較的使えるので、部屋着としてジャージの下があれば、歩いていないとき十分)、「般若心教」の解説本(事前にしっかり読んでおけばいいし、宿にはいってご飯を食べ終わるとほとんどすぐに眠気に襲われる。9時には寝ていたので、本など読んでいられない。「わら一本の革命」は信念として持ち歩く)、スポーツタイツ(SKINS)を落とすと、9.6キロに。ここにザックを変えたら、より理想に近くなる。それでも重いと言われそうであるが、これなら良さそうである。3月でも防寒対策は必要だろうし、雨にぬれた時を考えると、これ以上減らす勇気が起きない。
検討を要するものとして、ポンチョ。今回は雨の時風が強くなかったからよかったが、やはりセパレートの上下の雨具のほうが利便性が高そうだ。防寒着にもなるし、ウインドブレーカーにもなる。ザックの中に雨対策用の袋でもあればザックカバーと合わせ心強いかも。お賽銭。小銭を用意していったが、結構重い。かといって、小銭ができるような買い物もするわけでもないし…。
役に立ったものとして、細引き。もう少し長くとも良い。部屋に張って、濡れたものを乾かすことができる。金剛杖の持ち手に巻き、持ち手を改良できる。スポーツタイツのCW-X。これがあれば、テーピング用品はいらない。爪切り、意外に忘れるが、爪はいつでも伸びている。山用の靴下、高くとも機能性のいいもの。マメが一切できなかった。ヘッドライト、暗い時にももちろん役立つが、トンネルの中。歩くところを照らすのではなく、車に人がいることを知らせるため。ユニクロのシャツ類。軽いし、防臭効果もあるし、何しろ早く乾く。Nさんは多少の雨なら雨具を使わず、そのまま歩かれる。来ているうちに乾いてしまうからだそうだ。おかしなことに、Y君以外三人使っていた。
靴に関して。22番平等寺のそばで泊った時、三巡目にして歩きを初めてされているご夫婦と一緒になった。「靴はどうされているのか」と誰もが気になる。先達NさんとY女史は軽登山靴(中にクッションを入れていたかと思う)、Y君はマラソンシューズ、庵主はミズノのウォーキング・シューズ(OD 100GTX)。いろいろだ。通しの場合だと違うだろうが、OD 100GTXは良かった。雨でも靴の中が蒸れることはなく快適であった。ただ、舗装道が多く、底が減るのが早いかも。
ひとまず、こんなものか…。まだ減らせる余地がありそうであるが。
今日の一枚:1番霊山寺の前に立った時の中身。帰ってから再現した時の写真。どう減らすか考えたとき、使用頻度の少ないものを最初に選んだ。次ぐに代用できるかどうかだ。しかし、ふと思う。遍路として歩くことが、日常や人生なのだとしたら、背負うものを選ぶということは、生きていく際何を背負っていくかを選ぶことにほかならない。余計なものなど背負っていられぬ。いらないものをはぎ落していく作業なのだ、と。