二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

待ち遠しきは…

2014-02-10 08:30:48 | 徒然に想う

先日から引き続き子規のものを読んでいる。今は高浜虚子が選んだ句集。その中で明治26年の作品で、

≪旅籠屋に 夕餉待つ間の 暮遅し≫

というのを見つけた。吟行でもしたときの一つだろう。読んでいて、四国を歩いていたときのことを思い出す。これは師匠たちにもお知らせせねばと…。

朝6時、7時に宿を出て歩き始め、お参り、昼などをこなしながら7、8時間歩くと30キロ前後。寄り道などしないと、なんだかんだといって3時にはその日の宿に入ってしまうことがある。洗濯だ、場合によってはお風呂を頂いていても、時間がたつのは遅い。昼を取っていても、かなりのカロリ―消費。夕飯の待ち遠しいこと、待ち遠しいこと。あの正岡子規でさえ、同じ経験をしていたのかと、クスッと笑ってしまった。

ちょうど今夜、ジェラルディンとポールに会いにタスマニアに出かける。夜の8時頃成田を出て、明日早朝シドニー。メルボルンに飛んで、そこからタスマニア第二の都市ローンセストンにお昼過ぎ。以前は車を借りて二人の住む村まで行っていたが、今回は迎えに来てもらう。三年ぶりだろか。そう、その再会の待ち遠しいこと。さらに、成田空港で2時間も過ごせばいいが、あの雪の影響で何が起きるかわからない。3時前には出かけてしまおうと思うのだが、またそれまでが長い長い、まだ9時だ。

いろいろなことが待ち遠しいが、早く早くと望めば望むほどなぜこうも時が経つのが遅くなるのだろう。その一方で過ぎてしまえばあっという間に、時は経ってしまう。早すぎるとすぐに恨み節。時が早くなったり、遅くなったりするわけもないのに、文句ばかり付けられる。もちろん、時が悪いんじゃない。それを見てるこっちのせい。まったく身勝手、身勝手極まりない。

 

 

今日の一枚:神社の展望台から、6時頃。ぶれてしまった。ちなみに、タスマニアからの戻りは、3月6日です。

 


雪中行動

2014-02-09 08:16:56 | 徒然に想う

好奇心というのか、一番乗りをしたいだけのことか、いつものように散歩にでる。駐車場によって、積雪を測るために持ち出した20センチの物差しを射しこんでみれば、すっぽりと埋まってしまう。この量、ほとんど記憶にない。子供のころ膝くらいまでいったことを覚えているが、身長を1mとすれば、膝下は20センチくらいか、だとしたら、それ以来のことだろう。何歳のころだったっか…。神社に近いところの吹き溜まりでは、完全に膝下40センチくらいまでになっていた。

境内に入っていけば、今朝歩いた形跡が全くない。ニマッとしながら、参拝。「一番乗りをしたいだけのこと“か”」じゃなくて、「一番乗りをしたいだけのこと」。カワセミの川の土手に出れば、ふかふかの雪の上に倒れ込んで人型を作ってガッツポーズ。我ながら子供じみていると思いながらも、雪が積もるとどうしても、大人しくしてられない。

シドニーへのフライト、大丈夫だろか。さすがにいつものように足が進まず、気がせいる。もう靴の中はビチョビチョ、Gパンの裾も濡れ足首にまとわりつく。梅雨時や夏場の夜露に濡れるのとは違って、どこか居心地が悪い。これだけ降ったのだから、成田の発着にも影響がでたろう。明日とはいえ悪いことが頭に浮かぶ。

やっとの思いででた、遊水池。白梅、雪の白さに比べれば、随分黄色味がかっている。畔にある木に近寄って見れば、そんな発見。パチパチ小さな音がすると思えば、冬枯れている葦にシジュウカラ。山から下りてきて木の芽をたらふくなんてもくろんでいたんだろうが、先日からの寒さとこの雪で食べる物を見つけ難いんだろう。なかなか天候はままならぬものである。

≪春隠す 枯れ葦むしる 四十雀≫

 

 今日の一枚:遊水池の隣の公園の池。氷の張らなかったところに青空が映る。7時頃。

 


…春遠く?

2014-02-08 16:21:33 | 徒然に想う

全くすごいことになって来ました。雪が降り止みません。窓から見える隣の駐車場も真っ白です。外に出てませんが、見た目10センチ以上積もっているようです。3日には18℃近くまで上がったのに…。

これでは春が足踏みをしてしまいます。今年はまだ、桜の報告をしてませんでした。一昨日の寒桜の様子です。あと1週間くらいかと思ったのですが…。

 

先日畑に行く時の電車の中でのことです。

≪春待てぬ 車内迷いし 綿毛かな≫

 

 

 

今日の一枚:16時過ぎの駐車場。

 


急いては、ことをし損じる?

2014-02-06 13:20:20 | 徒然に想う

ノボさんの「俳諧大要」から、もうひとつ。“一、俳句をものするには空想によると写実によるとの二種類あり。初学のもの…”とあって、次の一項が続く。

“一、写実の目的を以て旅行するとも汽車なら何の役にも立つまじ。ただ心を静め気の散らぬように歩むほう最もよし。靴下駄よりも草鞋のほう可なり。洋装蝙蝠傘よりも菅笠脚絆のほうよし。連なき一人旅殊によし。されど行手を急ぎ路程を貪り体力の尽くるまで歩むはかえって俳句を得難し。たまたま知らぬ地に踏み込み迷い足を引きずりてようようによる山を越え山下に宿を乞いたるなどはこの限りにあらず。”


これ読みながら、四国を歩いてたときのことを思い出した。歩いていると、色々なことを考える。それは、土地の人たちと話すことと合わせ、歩きの楽しみの一つ。しかし、急いで歩き先を急ぐと、「ああ今日は何も考えなかった」となる。さらに、訪ねて行くお寺の番号が88番に近づくにつれ、未熟ゆえ足が早まる。そのせいか、深く考えてない自分を見いだすこと、しばしば。急いだことで、一つとして物にせず、せっかくの機会を投げ捨ててきた。

加えて、数年前に亡くなられた自然農法の福岡正信さんのお正月の話(『わら一本の革命』の第4章)も、頭に浮かんできた。「農業が大経営をすれするほど、物心両面に追い回され、精神生活から遠ざかってしまう。昔、正月は三カ月もあって、色々なことに興じてこられた。ところが、大経営になっていくにつれ忙しくなり、二か月、一カ月と短くる。三が日すら休まなくなってしまって、元旦一日だけになってしまった。神社に昔の額が奉じられていて、数十もの俳句が書かれているのを見て驚いてしまう。昔は余裕があった」と。忙しいという「急いでいる状態」の罪を指摘されてる。

…他のことへも応用が出来る。真髄とはそういうこと、なんだろう。





今日の一枚:小川町の八高線の土手、10時頃。

 

見上げたら、太陽に傘がかかり、おまけに幻日もでていた。

≪北風を 止めて雲雀の 宴かな≫


何を嘆きましょう? の答え

2014-02-05 16:26:49 | 徒然に想う

昨日の算数の問題『9―3÷1/3+1=?』、キーは「割り算を表す"÷"と、分数を表わす"/"が混在しており、ここをどう理解するかがポイント」なんだそうだ。Yahooの知恵袋にこのコメントがあって、なるほどと理解できた。この式のまま、学生(新入社員)に出し、正解を出させようとした会社に問題がある。さらに、このことを学生の質の低下の例として、議論したり、記事にしたりすることも問題だ。

算数の問題として出されたのか、それとも算数の問題でなく頭の体操としてなのか。計算の規則を理解しているかを見る問題と好意的に解釈したのがバカバカしくなってしまった。基礎学力の算数テストとして出題と記事にある。だとしたら「"÷"と"/"が混在しており、ここをどう理解するか」なんて余地があるのは、算数の問題ではない。一番分かりやすいのは、この式の結果を、大手部品メーカーなんだから、いくらでもある表計算ソフトを使って求めたらいい。答えは、学生たちの質の低下じゃない。算数教育の質の低下が企業の教育担当や経済団体など年代に関係なくはびこっているという事実だ。

 

 

今日の一枚:神社を出てすぐの畑、雪が青白く、その空の色を写していた。6時半ころ。

氷の花も咲いていた。


何を嘆きましょう?

2014-02-04 18:22:18 | 徒然に想う

こんなニュースを見つけた。

9―3÷1/3+1=? 新入社員の正答率4割』-朝日新聞デジタル 2月4日(火)8時35分配信

「9―3÷1/3+1」(1/3は、3分の1)の答えは? ある大手自動車部品メーカーが、高卒と大卒の技術者の新入社員をテストしたところ、正答率は4割にとどまった。中部経済連合会が3日に発表した、ものづくりの競争力についての提言に、能力低下の事例として盛り込まれた。この大手部品メーカーは毎年、同様の算数テストを行っており、1980年代の正答率は9割だった。基礎学力の低下のほかにも(中略)学生に低下を感じるのもコミュニケーション(中略)中経連は今後、「ゆとり教育で希薄化した初等教育の充実を図る」「授業にディベートを採用し、コミュニケーション能力を養う」ことなどについて、国や教育機関に改善を求めていく。(答えは「1」

この記事、いったい何を憂いているのか、さっぱりわからぬ。学生の質の低下が騒がれているのは、なにも今始まったことじゃない。お世話になった大学の先生に伺うと、院生ですら大学がどこの出身か見るのでは足りないそうで、高校がどこかまで気にすべきだとか。それよりも、こんな記事が公になってしまうこと自体のほうが、ゆゆしきこと。

もう一度、表題を見ると、「9―3÷1/3+1=?」とある。答えは9だ。ところが、本文の始めに「9―3÷1/3+1=?」(1/3は、3分の1)とあり、答えは1だとしている。そもそも、数学の問題に、(1/3は、3分の1)なんて注釈が付くはずがない。もし、その意味で問題とするのであれば、「9―3÷(1/3)+1=?」とせねばならない。どちらの式が問題として出たんだろう。信憑性に欠ける。だから記事全体すらも、?と思ってしまう。

昔、電車の雑誌の吊り広告で、「確90%で起こる!!」なんてのを見たことがある。ふき出す以外なにもできなかったのを覚えている。その記事を書くのに何も下調べや確認をしていないんだと公に証明してしまったわけだし、自ら信頼できませんよと公言すらもしてしまったわけだ。仮に何らかの努力していたとしたら、自らで自らを蔑ろにしてしまったことになる。しかも、それを防ぐ手立てすら持ち合わせてなかったのだから、何と表現すべきか。

表題の通り出題され、答えを1としていたのであれば、それ自体間違っている。学生の質の低下だけが問題ではない。将来ある新入社員を育てる側の質まで、低下していると嘆かねばならない。ウェッブのニュース見出しに字数制限があるという言い訳なども通用せぬ。これでは、何が問題で、事実が正しく認識し、報道しているのかと伺いたくなる。それとも、複数の目を通さず、一人だけで、いきなり公にしてしまうんだろうか。因みに、2020年のオリンピックの投票結果の速報で、一回目で落ちたと報道したのも…。恐らく、出題者は、問題を「9―3÷(1/3)+1=?」とし、計算する際の規則を理解しているか見たかったんだろう。

 

 

今日の一枚:午後になって本格的に雪に。夕方にはよわまったが。マンションの植え込み、17時頃。


シュタイナー? オカルト?

2014-02-04 10:35:47 | 徒然に想う

向こうの雑木林、木々の先端が、白みがかった淡いウグイス色の炎をボォーっと上げている。神秘的。雨が降りそうな雲。かぎろいと合わさったら、凄いだろうに…。

もちろん、そんな炎をあげてるわけなく、幻。ただ、この時期、そう見て取れることがある。若葉が展葉する前、気というかエネルギーというか、なにか独特の物を発散している。それがボォーとした炎として感じられるのだ。ここ数日の暖かさ、そんな雰囲気が一気に強まった。

夏の青々とした山や一本の木立でも、特に雨の日に見ると、矢張り同じように、幻の空間を見ることがある。空でもない、山の端でも、枝でもない不思議な空間。水分を得たことで元気になり、喜んでいるんだろう、それを表わしているだろうと思う。

ハッキリさせる・させたい、か…。学生時分、理学部。科学はそんな立場。その当時はそれで良かったが、今、不思議なことや曖昧なことばかりに取り囲まれている。それらに、レイリー散乱だとか、屈折だとか、ああだこうだとの説明なんてつけてもどうしようもないだろう、どうでもいいと思う。神秘的なあの炎を感じられればそれで十分だ。シュタイナー的に見れるなんて言ったら、怒られてしまう? それともオカルト的だと?

 

 

今日の一枚:6時40分頃、JRの掘割の脇で、南東の空。


後悔なんて!

2014-02-03 20:47:01 | 徒然に想う
はざ掛けに使う竹を切り出す。最高気温どれ位まで上がったろう。長袖のTシャツ一枚、大汗かいた。春、夏を通り越し、秋の準備? ですな、今のうちに、時間のあるときにやっておく。

今日は豆まき、明日立春。例によって『暦便覧』、「春の気立つを以って也」。小川町の畑に向かう途中、秩父山系が霞んで見える。春霞? …種蒔き。畝を立てねば…。春の準備、時間のあるときにやっておく。

予報では今夜から温度が下がる。オマケ付きで明日、雪! 畝を立てられないだろう。やれる時にやっておかねば、出来なくなる。やれるかどうか、考えるんじゃない。考える前に、やっておかねばならない。

《畑起せ ガイヤの覚醒 山霞む》





今日の一枚:竹の切り出し中、内側の美しさに魅せられてしまう。12時ちょっと前。