先日から引き続き子規のものを読んでいる。今は高浜虚子が選んだ句集。その中で明治26年の作品で、
≪旅籠屋に 夕餉待つ間の 暮遅し≫
というのを見つけた。吟行でもしたときの一つだろう。読んでいて、四国を歩いていたときのことを思い出す。これは師匠たちにもお知らせせねばと…。
朝6時、7時に宿を出て歩き始め、お参り、昼などをこなしながら7、8時間歩くと30キロ前後。寄り道などしないと、なんだかんだといって3時にはその日の宿に入ってしまうことがある。洗濯だ、場合によってはお風呂を頂いていても、時間がたつのは遅い。昼を取っていても、かなりのカロリ―消費。夕飯の待ち遠しいこと、待ち遠しいこと。あの正岡子規でさえ、同じ経験をしていたのかと、クスッと笑ってしまった。
ちょうど今夜、ジェラルディンとポールに会いにタスマニアに出かける。夜の8時頃成田を出て、明日早朝シドニー。メルボルンに飛んで、そこからタスマニア第二の都市ローンセストンにお昼過ぎ。以前は車を借りて二人の住む村まで行っていたが、今回は迎えに来てもらう。三年ぶりだろか。そう、その再会の待ち遠しいこと。さらに、成田空港で2時間も過ごせばいいが、あの雪の影響で何が起きるかわからない。3時前には出かけてしまおうと思うのだが、またそれまでが長い長い、まだ9時だ。
いろいろなことが待ち遠しいが、早く早くと望めば望むほどなぜこうも時が経つのが遅くなるのだろう。その一方で過ぎてしまえばあっという間に、時は経ってしまう。早すぎるとすぐに恨み節。時が早くなったり、遅くなったりするわけもないのに、文句ばかり付けられる。もちろん、時が悪いんじゃない。それを見てるこっちのせい。まったく身勝手、身勝手極まりない。
今日の一枚:神社の展望台から、6時頃。ぶれてしまった。ちなみに、タスマニアからの戻りは、3月6日です。