二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

春、始動

2013-02-28 07:57:18 | 徒然に想う
畑の中の一本道に入れば、右手側も左手側もきれいにトラクターが入って起こされている。いよいよ春が始動し始める。

この春から七畝ほどの畑を三人で等分し使わせていただくことに。先週そこに堆肥を播く。風が強く寒いと感じるが、ちょっといい汗をかいた。これが来月にもなれば、なんてことを想いながら。

《畑返す 農夫の額に 汗光る》


公園も土手も柔らかく押し戻してきた。手袋も途中で脱いでしまう穏やかな朝。





今日の一枚:5時40分頃。またしても、寄り道。切り通しに向かう道にもう一度入る。



カラス・ノート:4時50分。遊水池あたりから、微かにマンション方向から。移動の気配なし。風無し。齢18の月が薄い雲に滲む、朧月とは違う。星は一切見えず。しばらく確認できず。5時25分頃、東の空地平に近いところの雲の隙間から青の時間。あちらこちらから、移動している気配あり。

人間、不在

2013-02-26 18:58:53 | 徒然に想う
Webから拾ったニュース、SankeiBiz 2013/2/25 18:51 配信から。ちょっと長いが…。

ボトル入り飲料水の大手メーカー5社は25日、ペットボトル商品の賞味期限表示を日付単位から月単位に切り替える取り組みを5月から実施すると発表した。商品管理が月単位になることで物流や保管の効率化が図れるほか、廃棄ロスも減るという。「細かい表示を求める消費者もいるが、廃棄ロス削減や環境負荷低減にもつながることを理解してほしい」と話した。農林水産省の推計では、国内で廃棄される年間約1800(万)トンのうち、まだ食べられる食品が500~800万トン含まれており、廃棄食品の削減は業界の課題となっている。

このニュース、廃棄食品の削減になっていい知らせ、のように最初読んだ。しかし、これ、何かどこかおかしくないだろうか。

二点ある。そもそも、年間約1800万トンが捨てられ、うち、まだ食べられる食品が500~800万トンとはどういうことだろう。作る量を減らすわけにいかないのか。投資資金を回収し利益を上げなければならないから、出来ないだろう。

賞味期間がどれほど品質管理に有効か知らないが、品質管理を緩くして捨てる量を減らすという点が分からない。どこに転換したか。消費者に、じゃないか。きれい事を並べているが、すべき管理を消費者になすりつけている。

結局、企業の論理が働いているだけで、消費者という個人が蔑ろにされているような気がしてならない。JRの安全管理もそうだが、どうしてこうも企業論理が先立ち、人間が軽視されるのだろう。そういう人間軽視の時代なんだろうか。





今日の一枚:切り通しに向かう道。5時半。

カラス・ノート:5時25分頃。満月が西の空、こうこうと行く道を照らす。ほぼ無風。マイナス1.4。6時16分。マンション近く。

疑問…

2013-02-25 23:36:35 | 徒然に想う

昨日の男の子の「きれいだね」はどこに消えてしまうんだろう。大人になるにつれ、大概、そう思っても、言うことが出来なくなる。あの子がそうなるって事ではなく、自分の周りを見回したとき、自分を含めどれほどの人たちがそんな思いを表現してるだろか。答えはほとんど否だ。何がそう表現させなくするのだろう。

社会は、教育と称し、子どもたちに空を指差し「青」と呼ぶ。クレヨンや絵の具を与え、「青い」とマークする。それを使って空をかけば、大きな笑顔を返す。そうでなければ渋い顔。こんな具合に空は「青く」なる、なってしまう。

色、これをホントに理解しているのは子どもだと言う。しかも、幼ければ幼いほど色を知っている。なぜなら、彼らは知識と言うフィルターをかけず見るからだ。分類などもしない。

ちょっとでもズレたら…。自分の見たものを自分の言葉で表現したら…。そこに無意識に恐怖に近い躊躇が生まれてしまうのではなかろうか。だから、表現できなくなる。正しい正しくない、ではない。一人ひとりが感じたままではなく、社会が感じるであろうように表現をせさせる。だから、面白くない。となると、一体、教育は何を目指しているのだろう、「知る」ってなんだろう。



《冴え返る 街が田畑が 朱に染まる》

 

今日の一枚:5時30分ころ、切り通しに向かう畑の中の一本道にて。


ほのぼのの気配

2013-02-24 07:27:08 | 徒然に想う
「きれいだね」幼稚園に上がるか上がらないか位の男の子。思わずこちらも笑みになる。全くその通り、と。一家四人、海外旅行をするだろう、大きさなスーツケースを持って電車の中。今日は味噌の麹作りに小川町へ。

ちょうど赤の時間、6時半ころ。電車が貨物ターミナルを過ぎるところ、何々駅でどう荷物とベビーカーを運ぼうかとのご夫婦の会話を遮るように、男の子が発した一言。ママ「そうね、きれいね」「ママ、こっちもきれいだね」。すっかりママは会話を中断。やったな、少年!

電車などで親子や家族を観察していると、子供の行動は面白い。僕の、私のこと、忘れてない? ってな調子で、親や親たちのやっていることを邪魔する。ママやパパなどの呼び掛け言葉が多い。言葉で表現出来ないと行動をも使っている。微笑ましいときもあるが、その子の我慢してる気持ちや寂しい気持ちが見え隠れすることも。

一家は久しぶりの旅行らしい。下の子がベビーカーあれば連れて行けるようになった。帰省ではない一家での旅行。ママのウキウキした気持ちがビシビシ伝わってくる。早朝の寒い電車が暖かい何かに満たされていた。そう、まるで、最近の日差しの中に感じる春かのようだった。


《雪まとう 空の貨物が 東風運ぶ》




先日の蝋梅の話し。蝋梅は冬、黄梅は春の季語との指摘を頂いた。有り難い。自分の季節感ではなかなかどうしてうまくいかない。キチンと勉強しなけりゃならない。






今日の一枚:昨日の朝5時40分頃、神社の展望台から。

もう間もなく、だよね

2013-02-21 07:47:04 | 徒然に想う
5時ちょい過ぎ、ポラリスの左下あたりにどんな一等星よりも強い光、それがあっという間に消える。人工衛星のように一定の光度で一定の速さ、ではない。ちょうど、カワセミの川の土手、JRの高架が見えるところ。道の右側に何本か八重の桜が植わっている。まだまだ蕾は固い。

《花見んと 宇宙(そら)からひとつ 訪ね来る》




カラス・ノート:4時35分。ピーカンの空、若干放射冷却? マイナス1.4。風、時々弱く、冷たし。日の出時刻、6時22分。ガ~ァと数回、寝ぼけている? それ以降家に帰るまで聞かず。





今日の一枚:5時35分、切り通しに向かう畑の中の一本道。グルッと周り家に帰ろうとしたら、気付いてしまい、ちょっと寄り道。
一枚目から、約10分。家に着き、ベランダからの光景。一日の半眼。

無、その対局

2013-02-20 22:53:13 | 徒然に想う
久しぶりに、会社の事を考えながら歩いてしまった。いつもなら違うことを無理やり考え会社の事なぞ、頭の外に追いやるのだが。せっかくの朝の楽しみを奪われた。あぁ、うっとおしい!

人はさまざま。仕事場だとさらにチームという人格が出てくる。余計、さまざまな「人」が蠢くことになる。それは一つの面白さ。しかし、問題は、チームという人格の評価は複数の個人に依存すること。

悪事、千里をはしる。寝ていても務まるということは、その悪事に近い。寝ていても問題ない、つまりその程度のことを司っているにすぎないと受け取られる。世に言う窓際族と同じ。その事はあっという間に広がり、チームの評価がそれで固まる。一旦固まると、変えるのは難しい。さらには、それが一人を原因としていても、他のチームの構成員も同様に見られる。

その位、子供や入ったばかりの新人でなければ判る。躍起になって昔の高い評価を維持しようとしてきたが、此岸から彼岸へ渡ると決めたのでどうでもよくなった。しかし、さすがに目に余るものがあるとイライラする。いい加減にしろ、と声を荒げたくなる、昨日はそんな一日。あぁ、もう、いい加減にしてくれ!



カラス・ノート:4時35分。マンション近く。風、北から断続的に。気温、マイナス0.2度。風が止んでいると、寒くない。六、七割方、雲。東の雲は下から光に照らされているように輝く。西の空は星がうっすら。昨日は雨雪、食事が足りなかったか。いつもよりずっと早い。





今日の一枚:わら一本の革命から

カラス・ノート

2013-02-19 17:45:23 | 徒然に想う
まだまだ風は北から。とはいえ、今朝は暖かい。手袋をしてると甲がジリジリしてくる。脱いでも、悴まない。襟元から忍び込んでくる冷気が心地いい。

5時、行く手の神社下の公園方向からカラスの声。移動している。雲は厚い、切れ目がないのか浮き上がり輝く様子がない。ベットリと覆っている。風は吹き続けるというより切れ切れに。温度は4.4のプラス。日の出時刻は6時24分。

母親が子供を促す、さ、さ、さッ早く。そんなカ、カ、カ。聞いてるようで聞いてないときのはい、はい。そんなカァ、カァ。高校生ぐらいが怒られのを承知でメシ、メシ、メシと鞄をほっぽりなげる。そんなメシに近い、カア、カア、カア。

彼らが鳴き出すのはもちろん、一斉ではない。カラスにも家族があって、その日の始動もさまざま。まるで人間のドタバタを聞いているかの様。天気予報によれば、雨か雪。天気が悪くなるせいか、ちょっと騒がし朝だった。





今日の一枚:昼休み、会社から、12時半頃。雪が降っている。

間にいる

2013-02-18 08:09:20 | 徒然に想う
散歩の終盤、だいぶ、雑木林と空の境目がはっきり判るようになった。向かっている方向の空はというと、おとめ座があってしし座がある。まさに朝と夜の間。

帰って、メールを確認すると天気予報会社からのメールサービス。今日は「雨水」。『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている、とか。鶯の鳴き声が聞こえ始めたり、農耕の準備を始めたり。春ではないかも知れないが、冬ではない。冬と春の間。

今年、齢五十。天命を知る年。ここではない、ということは分かった。これか、ということもつかんだ。それを試してみようと思う。しかし、説明しきれない。そこを甘えだと非難があがる。それはそうだ。まるで、此岸と彼岸のような違い…。これも何かと何かの間。

色々なことが、「間」にある。だから楽しいかもしれない。





今日の一枚:散歩から戻り、ベランダから。5時50分頃。

カラス・ノート:5時。正面、神社下の公園。カワセミの川の土手。左手に畑が広がり、川岸段丘に雑木林。この雑木林方向から。風ナシ、気温マイナス1.4からマイナス1.7。雲あり、下り坂であるが、星もしっかり見える。日の出時刻、6時25分。5時では白んでいるかどうか、まだまだ夜の空。

鉄道の様子:上野で人身事故。

花、想う

2013-02-14 08:14:56 | 徒然に想う
吹けば、北からの冷たい風。いろいろ花が咲き出しているが、なかなか満開を促すようなのがやって来ない。雪も降ったりで、春はまだ遠い、か…。

あの若い桜の木、どうしてるだろう。ほころびだしたろうか。

《枝の先 花東風待てじと 意を決して》


それとも花を開かせただろか。

《花東風を 待てじと一輪 枝の先》


想像も、一週間前の様子しか頭にないと難しい。




今日の一枚:先週の土曜日の寒桜の様子。7時20分頃。老犬ノア、小屋の前に佇んでいた。


カラス・ノート:4時55分。無風。厚い雲、白く輝く。所々切れ目があって、星がチラリと見えては隠れる。月は地平線の下。気温、マイナス0.5。日の出時刻、6時30分。白鷺、水鳥も静か。

いのちの食べ方

2013-02-12 12:17:05 | 徒然に想う
「いのちの食べ方」というドイツのドキュメンタリーを見たこと、あります? 日常食べるものがどう育てられているか、流通にのる前段階の状況を描いたもの。ロリーナのジェラルディンに数年前から見なさいと言われ続けてきた。それを、ようやくYouTubeで見つけ、昨日見た。

ちょっと変わった作りで、それがとても印象的。解説もなければ、音楽もない。人間の会話もほとんどわからない。入っている会話がドイツ語だからという訳だけではなく、モゴモゴと言葉としてとらえられない。ひたすら、事実を淡々と一時間半ほど描き続ける。

苦しめちゃった、とアビトゥアの片付けをした後、ソファに身を投げ出し、虚空をぼんやり見つめるジェラルディン。暑い夏の炎天下、トマトやキュウリをつまみ食いをさせてくれる人たち。身の回りの人たちは、自分たちの作ったものに畏敬や感謝の念を持たれている。それがよく伝わってくる。

シーンが変わるとき、働いている人が出てくるんだが、その表情がとても効果的。作業風景がより鮮明になる。最後あたりには、その様子に恐怖や憤りすら感じてしまった。普段何をどう食べるか、深く考えさせられる一時間半。とてもお薦め。




今日の一枚:日の出が6時半過ぎ。一時間程前、散歩から家に戻る頃は東の空、白んでいるのがわかるように。青の時間前、白の時間。昨日の7時頃、遊水池にて、赤の時間が始まり出した。