岡山市議会議員/おにきのぞみの虹色通信

〈いのち・みどり・平和〉を大切にする
 政治や暮らしをつくっていきたい。

4月20日-1 私の母・藤井生子が天国に召されました

2020-04-20 | おにき日記

 2020年4月13日に、私の母・藤井生子が天国に召されました。84歳。優しく可愛らしく、そしていつも凛としている大好きで尊敬いっぱいの母でした。
 「大丈夫、大丈夫。のぞみちゃんはイエスさまが守ってくださるから。のぞみちゃんにとっていいように、イエスさまが導いてくださるから」。
 子どもの頃から、何度言われたことでしょう。母は敬虔なクリスチャンで、信仰生活が人生のベースでした。
 暮らしと体験を大切にする母でもありました。自分が体験したこと、自分が見聞きしたことをストンと心におさめ、暮らしのなかから自分の言葉で発する。行動をする。地に足のついた言葉には説得力がありました。
 子どもたちが引越しをすると、その場に必ず足を運び、子どもたちの人生の節目には、そこに必ず母が居ました。たぶん、孫たちにとっても心強いおばあちゃんだったと思います。
 自宅で赤ちゃんを預かりながら、4人の子どもを育て、子どもたちを喜ばすために、寸暇を惜しんで動いていました。そんななか、出会った人との交わりもとても大切にしていました。
 ろうあ者の方との出会いのなかで、手話を学び、みごとにコミュニケーションが取れるようになりました。出会った一人暮らしのおじいちゃんには、毎年、私たちのお節料理をシェアして届けていました。書き出したらキリがありません。母の存在と言葉に「安心と希望」、そして人生の方向を示された人は多いかと思います。
 「自分の暮らしを大切にできない人は、議員活動はできないよ」という母の言葉は私に刻み込まれいます。

 今年の2月に癌の再発がわかってからは、訪問診療・訪問看護を利用して、子どもや孫たちに囲まれて、自宅で療養していました。私も時間が許すなかで、米子市に暮らす母の横で過ごしました。「まぁ、のんちゃんとこんなに過ごせるなんて」と母も喜んでいました。
 コロナ対応などお問い合わせは多くて、岡山×米子を行ったり来たりしながらのテレワーク。実家の台所が私の事務所状態でした。
 最期まで意識はハッキリとしていて、心が通いました。医療や終末ケアについて、痛み止めの点滴の拒否するなど、自らの意思を伝え、それを通しました。母らしいです。最期、2日間は苦しみがまったくなくなり、自宅にて、安らかに穏やかに召天しました。

 「家にある座布団の数で」という母の希望で、4月15日に母が通うキリスト教会で家族葬を行いました。母の意向でご香典やお花料もご遠慮いただいています。母からいただいたものを大切に生きていきたいです。
 これまでの皆さまのご厚情に心から感謝いたします。母の略歴もアップしていますので、ご覧いただければ幸いです。

 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月19日 笠岡市議選 応援をし... | トップ | 4月20日-2 「困っている人に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

おにき日記」カテゴリの最新記事