電王戦考察という記事を書きましたがその続編です。
電王戦については最近書かれたこの記事がかなり評判になっています。
「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実 【前編】
対局3日前、「棋界の武蔵」三浦八段が漏らした本音
「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実【後編】
一手も悪手を指さなかった三浦八段は、なぜ敗れたのか
この記事の中で気になった部分を引用させてもらいます。
阿部光瑠四段
『そもそも僕は、コンピュータとの勝負は人間どうしの将棋とは違う、別のゲームだと考えています。ですから、『将棋のプロなのだから将棋で勝たなくては』とは思っていなかったです。『ルールにさえ違反しなければいい』と思っていました。
コンピュータが人間を超えるのは『時間の問題』です。もう、コンピュータとまともに戦うことにこだわっている時代ではないと思います。』
そうですね。
阿部四段の指摘の通り、これは別物。
我々の慣れ親しんでいる日本文化としての将棋とは全く別のもの。
別のゲーム、別の種目、別のエンターテインメント。
今回は同じ土俵で人間とコンピュータが戦ったけど、本来的には別々のもの。
例えて言えば猪木とアリが、プロレスでもボクシングでもない別の格闘技で戦ったような感じ。
あるいは将棋ボクシングのようなイメージか。とにかく別種目。
もし、そこが明確であるのなら、持ち時間の問題とか、事前の貸し出しとか、条件をできるだけ対等にするために熱くなることはなんだか不毛なことだと思います。
この先、条件をさらに調整して(いろんなハンディをつけて)第三回をやることになるのでしょうか?
ドワンゴはぜひそうしたいと思っているでしょうし、興行的な意味はすごくわかるけど、連盟HPの中の棋戦一覧の中に名人戦、竜王戦などと同じレベルで入っていることがおかしいのではないでしょうか。
ponanzaの開発者、山本一成さん
「でも、人間との勝負にこだわっているわけではありません。僕はただソフトを強くしたいんです。
「ただ、自分の中でもたしかに矛盾はあるんです。人間がコンピュータに負けてほしくはなくて、電王戦でもponanza以外はみんな人間を応援していました。
ずっと将棋をやってきた者としては、プロの権威を傷つけたくはない。でも開発者としては、ソフトの力を試したい。葛藤があります。傷つきなんかしない、杞憂だとは思うけど、でも杞憂であってほしいという願望かもしれない。
うーん、やっぱり杞憂かな・・・でもそうでもないかな・・・わからないです。だけど、こういうことは、これからどの分野でも起こることですよね。でも・・・すみません、混迷しています」
山本さんが混迷、葛藤しているこの部分。
プロの権威を傷つけたくはない。
プロ棋士に勝ちたいということでなく、単にソフトを強くしたい欲求。
棋士は強くあってほしい、負けないでほしい。しかし、自分は開発者魂として強いソフトを作りたいだけ。
よくわかります。
山本さんの意見や考え方については最近のChikirinさんの日記にも出ています。
『われ敗れたり』 米長邦雄
盤上の勝負 盤外の勝負
あらためてちょっと整理してみます。
ここまでで出てきた疑問は以下の二つ。
1.このままソフトが強くなっていったら、将棋は大丈夫なの?って心配。
2.強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問。
まず1.のテーマについてあれこれ思いを巡らしてみます。
トップ棋士もまるでかなわないような強いソフトがこの先どんどんできてしまうのは仕方ない。
もうそれは時間の問題。
そうなると、前回書いたようないろいろな危険性、心配は大丈夫なのだろうか?
人類対コンピュータとか、そういうレベルの話ではなく、例えば名人戦の解説をponanzaがやって、この手はこうです、この先はこうなります、普通にやれば先手勝ちです、などと言い切ってしまったらどうなるのか。
要らぬ心配とは思うけど、プロ棋士の価値が落ちたりはしないのだろうか。
対局中、棋士が昼休みに気分転換のために外食に行くことも怪しまれるような、不正の問題は大丈夫なのだろうか。
我々ファンは今までよりも純粋に将棋を楽しめなくなっていかないのだろうか?
もちろん使う方がきちんとした姿勢でしっかりマネージメントするのであればそんな心配は杞憂だという理屈はわかる。
しかし、今まではトップ棋士たちがいくら考えてもわからない、明確な結論が出ない、ということが当たり前であった将棋。
これだけ考えてわからないのだから、相手だってわかるはずもない。
あとは将棋の神様のみぞ知る。
皆がストレス溜めて、命を削ってギリギリの思いで戦いながら少しでも深い部分、先の部分を突き詰めようとしていた。
そして、その課題やテーマを棋士たちが寄ってたかって何年もかけて、研究を重ねてようやっと結論めいたものが導き出されてくる。
またさらに時間が経つと、その時代の風潮とも重なって今までは注目されなかった、あるいは無理だとされた戦法が再び浮き上がってきたりもする。
将棋にはそんな面白さ、楽しみ方もある。
でも、そういうことが、コンピュータにかかると一瞬でわかってしまうことになる。
正確な最善手や結論を即座に冷徹にはじきだしてしまう。
棋士たちの長い期間をかけた情熱や勇気や努力が無駄にはならないのだろうか。
長い間熟成させてきたひらめきや発想が、一刀両断に切り捨てられたり、決めつけられたりする5年後の世界。
人間をはるかに超えて強くなったコンピュータが出した結論、情報はどこかから広く伝わるはずだ。
そうなった時にどうなるのか。
誰も結論が出せない中で、研究に研究を重ねて身を削って読もうとあがいていた今までの状況と、ソフトに聞けば一瞬で明快な答えが出てくるという今後の状況。
今まで通り、いや今まで以上にアマチュアも含めた棋士たちは、脳細胞をフル回転させ続けていくのだろうか。
このことは棋界に、棋士に、ファンに、どういう影響を与えるのか、与えないのか。
理科系のことはまるで疎いし、心配性で考え過ぎなのはわかっているのだけど、果たして今後どういう展開になっていくのか興味は尽きません。
では次回は、2.強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問について。