即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

「屋上派」と「地下室派」

2009年09月16日 00時05分59秒 | 雑感
2009年8月28日(金)付
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 気象予報官にもタイプがあって、その昔は「屋上派」と「地下室派」がいたそうだ。気象予報士の森田正光さんが、鹿児島気象台長だった倉嶋厚さんから聞いたという話を小紙に寄せていた▼屋上派は屋上で空を眺め、風を確かめる。実況に照らしてデータを修正して予報を出す。片や地下室派は、部屋にこもって資料とにらめっこをする。解析技術は高いが、降っているのに「晴れ」と予報するぐらい実況には無頓着な人たちなのだそうだ▼相通じる話を、免疫学者の多田富雄さんが書いていた(読売新聞)。医者がパソコンばかり眺めて、患者の顔を見て診察しない。数値に頼って患者の訴えを聞かない。多田さんによれば科学的根拠に基づく医療が行きすぎたゆえの問題らしい▼その反省から「ナラティブ・ベイスト・メディシン」というのが提唱されているそうだ。訳せば「物語に基づく医療」となる。聞き慣れないが、つまりは話をよく聞き、「ひとりの人間としての患者」を忘れない医療である▼結構な話だが、医師のコミュニケーション能力は大丈夫かと心配になる。最近、ある医学部を見学した人が驚いていた。「患者ロボット」を相手に問診の訓練をするのだという。なぜロボットなのかと聞くと、人との対話が得意でない学生もいますから、などと説明があったそうだ▼その大学が「最先端」なのかもしれないが、ひょっとしてそんな流れなのだろうか。病という難事において人生という物語を共有してくれる、「屋上派の医師」がもっと育てばいいのだけれど。
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かなり共感できる記事です。

「屋上派」と「地下室派」。

膨大なデータとか資料。
パソコンを駆使した研究。
今の世の中、どう見てもこっちの方が通りがよさそうです。

いやしかし、いつの世も、事件は現場で起こってるはずです。
会議室に金は落ちてない。
現場を知らない本社のえらいさんが判断している事にどれだけの価値があるのか。

そして、ただただ現場が重要というだけでなく、
大切なのは現場におけるイマジネーションです。

「人生という物語」、という言葉。

深いですね。

病ということだけでなく、
例えば、外食産業しかり、車のディーラーしかり、
お客さん一人一人の「人生という物語」をイメージし、
物語に基づくマーケティング、
物語に基づくサービス、
物語に基づく販売、
をすることがいかに大事な事か。

現場を知らない地下室派が、降っているのに「晴れ」というくらい馬鹿げた事はない。

ビジネスで言えば、経営数字がどうの、戦略がどうの、と言う前に、
店とか、売りの現場、客の反応を見れば、一目ですべてがわかるはず。

ふと我に帰ると、地下室派のものの考え方をしてる場合がある。
現場に立脚した、現場の体験、発見に基づく、屋上派の判断や行動がいつの世も正解だと思う。

事件だけでなく、すべては現場で起こっている、のですね。
コメント
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