5月3日の、ネット上で問題になり、最近では産経新聞でも取り上げているNHKの「JAPANデビュー」の第2回「天皇と憲法」の放送が有りました。
私は前回の台湾問題の放送があったとき、私はその予告編から明らかに偏向番組であると判ったので見ませんでしたが、私のブログの訪問者から、同時代に生きた私の意見を聞きたいとコメントがあり、何となく責任を感じて、また反日的な番組を見ねばならぬかと鬱陶しい気持ちを抑えながら、折角の卓球選手権からチャンネルを変えて見ました。
そして結論としては、内容も余り偏った番組ではなく、今日迄のネット上の批判も第1回ほど激しいものでないようで、戦前派の日本人としては一安心しました。
[番組の概要]
番組の趣旨はNHKの案内によると、
日本が国家の骨格ともいうべき憲法を初めて定めてから120年。大日本帝国憲法は「立憲君主制」を採り、当時の世界からも評価されていた。しかし、19世紀帝国主義から第一次世界大戦を経てうねる時代の流れの中で、日本はその運用を誤り、帝国憲法体制は瓦解する。その要因と過程を国内外に残された資料からつぶさに分析し、新しい日本国憲法誕生までの道程を検証する。
ある様にタイトルの「天皇と憲法」と少しかけ離れて、天皇の地位の決め方の経緯の他は、番組の殆どは「天皇の軍の統帥権」の運用を巡る争いから軍部が如何に力を付けてきたか、そして力を付けた軍部の暴走を描いています。
軍の統帥権の争い絡む、天皇機関説の美濃部達吉を批判する東大の同僚の上杉慎吉の論争、日本改造法案を引っ提げた北一輝の参戦。
ロンドンで海軍軍縮会議で海軍の同意なしに、軍縮を締結した民政党の浜口内閣に対し、天皇の承諾無しに決めたのは憲法に定めた統帥権干犯とする政友会の総裁の犬養毅の攻撃。
関東軍の暴走と満州事変の勃発。
5・15事件で犬養は軍青年将校により射殺され政党政治最後の総理大臣となる。
と当時の世界情勢の中で、遂に軍人が総理大臣になることになると言う経過を報道していました。
[NHKが触れなかった右傾化のもう一つの理由]
NHKの統帥権の解釈に焦点を当てた報道は方向は余り大きな間違いや偏向はないような気がしますが、放送で一つ抜けているのは軍の政治参加を受け入れようとする世の中の風潮があったことだと思います。(*注記)
軍国化への動きの中で国を揺るがす程の大きな影響を与えたの事件として5・15事件と2・26事件がありました。
その軍の将校たちを決起させた理由の一つとして言われているのが、政治家と財閥系大企業との癒着が代表する政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況、貧困の問題です。
それと当時は国の政治を支配していたのは、二大政党の政友会の民政党でしたが、政権政党による反対党に対する激しい選挙干渉は当時有名で、私は子供でしたが大人たちからよく聞かされたことを今でも覚えています。
詰まり国民の間に閉塞感がみなぎり、政党政治への絶望感から新しいリーダーシップを持った人が出てくるのを望んでいたのです。
そしてその対象が軍律厳しい軍隊の中で育った軍人だったと思います。
詰まり幾ら世の中がNHKの言う様に右傾化しても、曲がりなりにも立憲政治の国ですから、一部の権力者や学者、軍部がどう思っても、国民に軍人の登場を求める風潮がなければ、軍人支配の政権は出来なかったはずだと思います。
[当時の日本と今の日本]
もう皆さんがとうにお気づきになっていると思いますが、当時の情勢は現在の日本とそっくりです。
それとネット上で良く言われるように、大正デモクラシーに代表される民主主義機運の盛り上がりによって、革新派による軍縮支持・軍隊批判の背景もあったそうですが、これも今の自衛隊批判の動きに良く似ています。
そうかと言って私が軍隊の決起は絶対に反対だし、敗戦の得難い経験からのシビリアン・コントロールの大切なことを国民も自衛隊の人達も良く知っているので、こう言う不祥事は絶対にでないことと信じています。
唯一つNHKへの同種の報道への希望は、
・一部の権力者や直接の関係者だけでなくて、当時の日本国内の環境や一般の人達もどう考えていたか
・日本が右傾化、軍国化した理由の一つが、憲法の中の統帥権の条文の解釈の違いであったことと、昭和憲法の9条の解釈の問題
を何らかの形で同時に伝えて貰っていたら、その放送がもっと有意義になり、現代の人達に反省を促すものになっていたのにと思います。
・日本の環境で言えば、当時の閉塞状態の環境と政治家の動きと、現在の行き詰まっている日本に対する政治の停滞などの比較と今の政治のあり方、
・そして憲法で言えば、日本の方向を誤らせた統帥権の解釈と、現在の憲法の前文の、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と言う現実に即してない条文のために日本政府が解釈の変更までして自衛隊を派遣した実態に触れ、そのために方向はどうあれ、日本の将来を誤らないために改憲論議の必要性の有無
など国民に考えさせるような、報道だったら良かったのにと思います。
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*注記:
・5・15事件、2・26事件のころは私はまだ子供だったので、当時のことには実感はありませんが、下記のような海軍中尉三上卓が作った青年日本の歌(昭和維新の歌)を私たち子供でさえ歌っていましたので、一般国民にも心の中では青年将校たちの決起に同情の念を持っていたのかも知れません。
・当時と今の日本の環境が違うのは、日清・日露戦争に勝利と言う日本の上昇期にあり、壮士、国士を自称する人達が満州に乗り出したり、日本に亡命してきた中国の孫文などを匿うというように、一部の青年の意気が高揚していた時代であったのも、事件が起きた背景にあったのかも知れません。
・青年日本の歌(昭和維新の歌)
汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ
権門上に傲れども国を憂うる誠なく
財閥富を誇れども、社稷を思う心なし
人栄え国滅ぶ、盲たる民世に踊る
うらぶれし天地の、迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に、誰が高楼の眺めぞや(以下省略)
2・26にしても軍部・政治家が一部将校を抑え切れずに政治家の暗殺を陛下が「反乱軍」の一言で鎮圧されて居ます。陛下が軍を利用された訳でも有りません、鎮圧は国内の混乱を止める唯一の方法を軍部・政治家が出来ない事を引き受けられただけの事でしょう。
当時の日本人は「軍」の規律の厳しさを徴兵制度の中で知り全幅の信頼を寄せていたのは間違いがないと感じて居ます。放送もそんな事は触れずに「統帥権」の弊害だけを取り上げ、天皇陛下の存在を排除したいような番組作りをした様な気がします。
最後に云われる「統帥権」と「護憲9条」の共通点の危うさを「中道」を標榜するNHK?ならではのコメントが有ってもおかしくはないのですが、統帥権だけを「天皇の軍隊」としたくて作り上げた作品と私は考えてしまいました。
当時を生きたブログ主様の目から見て、意見としては比較的まともだという受け止めでよろしいでしょうか。
警察の取り調べに置き換えて考えると分かりやすいかと愚考致します。第1回が厳しく追及する役、第2回がなだめ役と置き換えると所謂「オルグ」の手法に他ならないわけで、相手に再考の余地を残しているかのような印象を与えることが目的なのかと感じます。
詐欺師は紳士の格好をしてやってくる、そんな疑念は拭えません。
大日本帝国憲法は日本人の手でゼロからつくられた国産憲法だが、現憲法は占領軍に無理強いされたもので、当時の国民の大半は例え国際法違反でもGHQの言いなりになるも止むなしと受け止めていた。3発目の原爆への恐怖と飢えにおびえ、そのうえ天皇陛下のお命までも人質に取られていては、反乱などできるはずもなし。GHQの検閲と占領軍にたてつくような危険分子の公職追放で自由に意志を表明できない国会で共産党以外が圧倒的多数で賛成したのは、GHQの支配下にあったことを如実に物語っている。
英知を集め、成文化した大日本帝国憲法を天皇陛下を権威付けるための道具と称し、心血を注いで制定した伊藤博文を蔑むような評論を展開した山室こそ、下卑た曲学阿世の徒であり、美濃部達吉が現憲法制定に反対したことやその弟子の宮沢俊義が保身のため戦後豹変して「8月革命説」を唱え、現憲法を無理やり正当化させた事実を完全に無視した。
NHKは占領政策に基づく洗脳放送から一歩も抜け出そうとしない。軍部は暴走したのではなく、政府や国会の指示通り南進したのであり、当時もシビリアンコントロールは存在していた。戦争責任を個人に問うなど、法的根拠がないのだから、あってはならない。日本人を精神的な奴隷としたGHQの蛮行は文明社会を否定する行為だ。
私は現在56歳で、米ソの冷戦下、1980年代に「防衛と平和の会」を組織し当時のソ連の軍拡の危険性と日本への侵攻の危機を地域社会に訴えた経験があります。
その時もNHKは国際共産主義の世界共産化という危険性には目をつむり、米ソの愚かな軍拡の被害者としての日本の状況を強調するのみでした。つまり、NHKに巣くう労組・社会主義者が主導する反核平和をどの番組でも宣伝していました。
当時からNHKは社会共産主義に基づいた報道姿勢です。
NHKの隠された目的は、依然として、伝統的日本主義の弱体化であり、言うなれば人民による人民のための日本政体の構築・・・天皇制は時代後れであるから廃止にしたい・・こうした意図を隠しているように、私は思います。