普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

支持率最低の菅さんへの援軍?経産省の古賀さん

2011-07-15 20:19:21 | 菅内閣
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 最近の菅政権の支持率は民主党政権で最低の15~16%、時事通信に至っては、前月から9.4ポイント急落し12.5%になりました。
菅さんは正に四面楚歌。支えるのは国民新党の亀井さん、北沢さん、江田さん、選対委員長の石井さんとソフトバンクの孫さんだけだそうです。
そして各社の世論調査後のいきなりのストレステスト発言、脱原発の記者会見への批難轟々。
そう言う菅さんの突然の脱原発発言を支持する人が現れました。
意外にも何時も民主党政権を批難している経産省の古賀茂明さんです。
14日のテレビ朝日の朝の番組で、何故菅さんが突然に脱原発を発表したかの説明をしていました。
 理由は菅さんが言う前に、色々閣内や経産省で細目を検討していたら、閣内、省内、野党、産業界からの意見が出て骨抜きになってしまうから、最初に菅さんが一発かませて政府の方針をはっきりと打ち出すべきだ言うのです。
 そしてその条件として、発送電分離が不可欠だと説明していました。
 私は情報に振り回されているかも知りませんが、やはり報道されるように、最初は浜岡以外の原発の運転容認→緊急の安全策決定と実施→その線で海江田さんが玄海原発の運転再開要請→その間に孫さんとの会合で再生エネルギー重視、反原発に次第に考えに変わる→佐賀県知事の玄海原発容認の前提条件として菅さんの来県への要望→行けば菅さんの容認から反対の考えの変化の説明がつかない→それでいきなりのストレステスト発言→国民の良い反響→反原発声明となったと言う見方が正しくて、古賀さんの言うように、先の戦略を考えての発言ではなく、そのば限りの発言だと思います。
 それはとにかくとして、古賀さんの言うように、菅さんの発言は閣内、野党、一部を除くマスコミ、経団連、企業家などから批判が出ています。
 然し彼のいう「骨抜き」の「骨」の具体案が菅さんの説明の中になにもありませんが
[私の提案]
 最初にお断りしておきますが、読まれたらお判りになると思いますが、今までの馬鹿正直な提案でなくて、所謂「斜に構えた」提案であることをご了承下さい。
・提案:古賀さんを総理大臣補佐官など何らかの形で内閣の一員に迎え入れること、極端な場合は海江田さんが辞めたらその後任に古賀さんを据える
・提案のメリット
 古賀さんが官僚組織や業界の裏表を知り尽くしていること、特に官僚を信頼しない菅さんに取っては古賀さんの存在は非常に役立つ
 口ばかりの政治家だけでなく実務家を身近に得られる
 古賀さんのような硬骨漢を使えと言う世論
 古賀さん登用による菅内閣の支持率のアップ、多分5~15%くらい?
・提案の理由
 菅さんが辞めても民主党の政権は後二年は続く可能性が非常に高いので、国のためには出来れば優れた人材を投入して、より良い政治をして貰いたい。
提案の問題点
・古賀さんが硬骨漢であることは判るが仕事がどれだけ出来るか知らない
・第一に古賀さんが菅さんのオファーを受け入れるかどうか判らない
・部下を叱り飛ばしたり部下の手柄を自分の物にする菅さんと古賀さんが旨く行くかどうか判らない
・特に古賀さんは現在走り出している原発賠償法に就いては国民に負担を強いるより東電にもっと負担を強いるべきと言う意見を強硬に持ち出す可能性が高い。 
・古賀さんと経産省の人達との人間関係がどうなるか判らない、悪化することも考えられる
 そして何よりも菅さんが国会で「将来的な「脱原発」方針について、政府見解ではなく、個人としての考えを披瀝したものだ」と釈明したように、彼の発言が単なる彼の思いつきだったことを明らかにしたことが判りました。
 私の提案の前に菅さんがやらねばならぬことをしなければ、脱原発も進まないし、その一方では停止中の原発の再稼働も一歩も前に進まないと言う最悪の事態になるかも知れません。

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1 コメント

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Unknown (oo)
2011-07-16 11:14:36
1972年版 中経出版『日本の歩みと世界』(監修:豊田武)より 
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4世紀の後半になると、大和朝廷は、朝鮮半島に勢力を広げた。そのころの朝鮮半島には、北に高句麗、その南に新羅と百済が国を建てていた。大和朝廷は、まとまりの遅れていた南の任那をおさえ、そこを足場に、一時、百済・新羅を従えて高句麗と戦った。
いっぽう、5世紀には、中国が南と北とに分かれた(南北朝時代)。大和朝廷は、朝鮮半島南部における日本の立場を認めてもらおうとして、南の王朝にたびたび使いを送った。
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つまり当時の朝鮮半島南部の多くの地域は、日本の支配下にあったということ

その後はどんな風に教えられるようなったか。
以下は小学館の『日本歴史館』(1993年発行)という分厚いカラー図鑑の記述から。
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倭は朝鮮半島内での対立構造によって、その援助が強く期待されることが多く、積極的にその対立に関わった。およそ6世紀の初めまで、そうした構造は維持される。
倭国はそのような関係のもとで、伽耶の南部諸国および百済から先進の文化・技術を入手し、その見返りとして兵力を提供した。そうした出兵で、朝鮮半島内の抗争に巻き込まれることになるが、およそ支配を及ぼすような関係ではなかった。

・・・日本では『日本書紀』の記事のままに伽耶諸国を“任那”ということもあるが、それは本来の正しい用法ではなく、伽耶の一国(金官国)の別の呼び方にすぎない。
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倭国が朝鮮半島に支配を及ぼしていたどころか、進んでいた半島の技術を入手するため倭国が兵力を提供したとか、それまでの日本における歴史観から180度転換

上田 正昭(うえだ まさあき、1927年4月29日 - )は兵庫県出身の日本の歴史学者。
京都大学名誉教授、大阪女子大学名誉教授、西北大学名誉教授。勲二等瑞宝章。修交勲章崇禮章(韓国から)。
門下生に千田稔(国際日本文化研究センター名誉教授)、和田萃(京都教育大学名誉教授)、井上満郎(京都産業大学教授)、灘本昌久(京都産業大学教授)、田中俊明(滋賀県立大学教授)などがいる。
教科書に竹島を記述することについては「するべきでない」と発言。
八木晃介、水野直樹らと一緒に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人となっている。

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