戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
「私のイジメ防止策」
私はイジメ防止策の提言に就いて何度も提案しそれに対する批判も頂き部分的に修正しネットでも受け入れられまでなりました。
その概要です。
*日常教育で
1.多人数で一人の子をいじめをしたり強い子が弱い子をいじめるのは人間として最も恥ずかしいことだ。
2.反対に弱い相手や物への思いやり人として最高の特質だ。
と言う事を生徒達に教え込む事。
*イジメを起こし易いような密閉空間を作らないこと。そのため学校を開放すること。
具体的には信頼の置ける地域の人や、部活の担任・授業の補佐をする人は校内の出入りを自由にする。
*担任教教師は生徒の下校までなるべく生徒と共に居ること。
そのために教師の作業の合理化をすすめること。
合理化の例。教材の共有とその高度化、レポートの数を減らすことと電子化。答案の採点、部活は地もとの有志に委託なとなと。
*たとえ生徒でも不法行為があり学校で手に負えなくなったら警察に通報する。そのことを生徒、父兄に徹底する。
*イジメがある情報を得たら学校の生徒全員を一堂に集め、個人名を出さずに上記の1.2を一般論として、徹底的に教え込む。(状況が厳しければ皆が言う事を聴かなければ警察や外部機関に通報することになるかも知れなと告げる。)
「岐阜市の中学三年の生徒の自殺事件」
生徒の自殺事件のてとき私の提案のように、日常教育で前記のようなイジメ防止の教育をしていたのか、学校が地域の人に開放されていたのか、担当教師から普段から生徒と共にいたのか否か判りませんが、はっきりしていることが有ります。
五月末に女子生徒の勇気有る通報。担任は加害者生徒から話しを聞き悪ふざけの範囲と判断。六月中旬のアンケートで彼へのイジメ指摘。男子生徒は自殺。その後新たなイジメ行為の証言。読売はその社説で、イジメの情報が管理職らと共有されず学校として組織的な対応が取れなかったのが残念だと批判。
私は担任個人の批判など大嫌いですが、私の提案のように「イジメがある情報を得たら学校生徒全員を集め、「個人名を出さずに」イジメは人間として恥ずかしいこと、人への思いやりは人としての最高の美徳と教え込む」べきでした。そのために報道にあるように管理職に話しを出し、学校生徒全員を集めるべきでした。
担任のもう一つの失敗は「女子生徒も一緒に戦う」という言葉からも、ことの大事さを知り、私の説のイジメ問題が起こったときは「個人名を出さずに」処理すべきなのに、「加害者の生徒」の話しを聴いたことです。彼らが担当から呼ばれて悪ふざけの範囲と判断と聴いてイジメ好きの「彼らががそのまま引っ込むか否かは分かりきったこと」です。だからその後「被者者がトイレで土下座」の話が後から出てくるし、その間担当に被害の生徒が「大丈夫と言った手前」今更担当に彼の悩みが言えぬまま深刻化したのかも知れません。
「私のお願い」
私の提案は私の昭和10年からの経験とそれに基づく提案への批判にたいする修正に基づいたものです。もし私の提案にご賛成のなら、宜しければお手数すがどうぞご拡散をお願いいたします。
これに関して今は古典となっている藤原雅彦さんの「国家の品格」にもイジメに関連することが書いてありますのでご一読されては如何でしょうか
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
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参照:私の経歴
・小学生から旧制工業高校までイジメなし。理由は「イジメは卑怯者のすること」で恥ずかしいと言う考えが行き渡っていたこと。
・私の住んでいた北九州市西部は「誰でも受け入れる開かれていた地域だった」こと。この事はネットで指摘されて気付いた事実。
・旧制の高等小学校では生徒が弛んでいるとき全校生徒が行動に集められ、「個人名を特定せず」、全体の問題として教師から気合を入れられて居たこと。だからその後「個人的の被害は出なかった。」
・私の娘が教師になったころは日教組全盛、やり放題の小学生など荒れた学校の時代。その中で彼女が夭折した最後の小学校は「地域に開かれた」穏やかな学校だった。しかし娘の後輩の教師が「平穏な小学校をでた生徒程、進学の中学校でイジメの被害に逢い易い」と私へ教えてくれた。
「私のイジメ防止策」
私はイジメ防止策の提言に就いて何度も提案しそれに対する批判も頂き部分的に修正しネットでも受け入れられまでなりました。
その概要です。
*日常教育で
1.多人数で一人の子をいじめをしたり強い子が弱い子をいじめるのは人間として最も恥ずかしいことだ。
2.反対に弱い相手や物への思いやり人として最高の特質だ。
と言う事を生徒達に教え込む事。
*イジメを起こし易いような密閉空間を作らないこと。そのため学校を開放すること。
具体的には信頼の置ける地域の人や、部活の担任・授業の補佐をする人は校内の出入りを自由にする。
*担任教教師は生徒の下校までなるべく生徒と共に居ること。
そのために教師の作業の合理化をすすめること。
合理化の例。教材の共有とその高度化、レポートの数を減らすことと電子化。答案の採点、部活は地もとの有志に委託なとなと。
*たとえ生徒でも不法行為があり学校で手に負えなくなったら警察に通報する。そのことを生徒、父兄に徹底する。
*イジメがある情報を得たら学校の生徒全員を一堂に集め、個人名を出さずに上記の1.2を一般論として、徹底的に教え込む。(状況が厳しければ皆が言う事を聴かなければ警察や外部機関に通報することになるかも知れなと告げる。)
「岐阜市の中学三年の生徒の自殺事件」
生徒の自殺事件のてとき私の提案のように、日常教育で前記のようなイジメ防止の教育をしていたのか、学校が地域の人に開放されていたのか、担当教師から普段から生徒と共にいたのか否か判りませんが、はっきりしていることが有ります。
五月末に女子生徒の勇気有る通報。担任は加害者生徒から話しを聞き悪ふざけの範囲と判断。六月中旬のアンケートで彼へのイジメ指摘。男子生徒は自殺。その後新たなイジメ行為の証言。読売はその社説で、イジメの情報が管理職らと共有されず学校として組織的な対応が取れなかったのが残念だと批判。
私は担任個人の批判など大嫌いですが、私の提案のように「イジメがある情報を得たら学校生徒全員を集め、「個人名を出さずに」イジメは人間として恥ずかしいこと、人への思いやりは人としての最高の美徳と教え込む」べきでした。そのために報道にあるように管理職に話しを出し、学校生徒全員を集めるべきでした。
担任のもう一つの失敗は「女子生徒も一緒に戦う」という言葉からも、ことの大事さを知り、私の説のイジメ問題が起こったときは「個人名を出さずに」処理すべきなのに、「加害者の生徒」の話しを聴いたことです。彼らが担当から呼ばれて悪ふざけの範囲と判断と聴いてイジメ好きの「彼らががそのまま引っ込むか否かは分かりきったこと」です。だからその後「被者者がトイレで土下座」の話が後から出てくるし、その間担当に被害の生徒が「大丈夫と言った手前」今更担当に彼の悩みが言えぬまま深刻化したのかも知れません。
「私のお願い」
私の提案は私の昭和10年からの経験とそれに基づく提案への批判にたいする修正に基づいたものです。もし私の提案にご賛成のなら、宜しければお手数すがどうぞご拡散をお願いいたします。
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参照:私の経歴
・小学生から旧制工業高校までイジメなし。理由は「イジメは卑怯者のすること」で恥ずかしいと言う考えが行き渡っていたこと。
・私の住んでいた北九州市西部は「誰でも受け入れる開かれていた地域だった」こと。この事はネットで指摘されて気付いた事実。
・旧制の高等小学校では生徒が弛んでいるとき全校生徒が行動に集められ、「個人名を特定せず」、全体の問題として教師から気合を入れられて居たこと。だからその後「個人的の被害は出なかった。」
・私の娘が教師になったころは日教組全盛、やり放題の小学生など荒れた学校の時代。その中で彼女が夭折した最後の小学校は「地域に開かれた」穏やかな学校だった。しかし娘の後輩の教師が「平穏な小学校をでた生徒程、進学の中学校でイジメの被害に逢い易い」と私へ教えてくれた。
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