普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

いじめ最多54万件の報道とその対策

2019-10-19 15:32:55 | 政策、社会情勢
戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
 10月18日の読売に表記のような怖い報道がありました。もっとも統計の中2割を占めると言う「ふざけあい」までいじめとしているのは、子供ではありがちのことで、個人に集中かつ繰り返しの無い限り、これまで押さえつけようとするのは子供の活力をなくするものです。なお新しい所ではネット上のいじめが高校で2割を占めていること。
「実効性の殆ど無いない?読売の社説」
 問題は「いじめ最多、教師は子供を守りに行く覚悟」の社説です。
・文部省は適切な指導が行われるよう現場に促すこと
・教師に日頃ひごろからクラスの状況に目を配り、加害者を指導すること
・悪質な加害者を出席停止する
・いじめ問題は校長、教員と協力して当たること
・スクールカウンセラーの力を活用すること
 
これでいじめは無くなると思いますか?
 何故いじめが起こるかに触れて居ません。
 校長、教師は具体的にどうどうすれば良いのですか。
「私のイジメ防止策」
 私はイジメ防止策に就いて平成1 8年から何度も提案し、それに対する批判も頂き部分的に修正し今ではネットでも受け入れられまでなりました。
その概要です。
*日常教育で
1.多人数で一人の子をいじめをしたり強い子が弱い子をいじめるのは人間として最も恥ずかしいことだ。(昔流に言えば卑怯者、やくざのチンピラのすること。)
2.反対に弱い相手や物への思いやりは人として最高の美徳だ。
と言う事を生徒達に繰り返し教え込む事。
*イジメを起こし易いような密閉空間を作らないこと。そのため学校を開放すること。
 具体的には信頼の置ける地域の人や、部活の担任・授業の補佐をする人は何時でも校内の出入りを自由にする。
 私の娘が教師になったころは「荒れた学校の時代でしたが」でしたが、夭折の直前に勤めた北九州市の小学校ではいじめが無かったそうです。理由は小さい学校で行事の参加などで地もとの人にも開放されていたから。
*担任教教師は勿論、体育の教師など手の空いた教師、教頭、校長も出来るだけ生徒の下校までなるべく生徒と共に居ること。そのために教師の作業の合理化をすすめること。
 合理化の例:教材の共有とその高度化、レポートの数を減らすこと。業務の電子化。答案の採点、部活は地もとの有志に委託などなどなど。 
*たとえ生徒でも不法行為があり学校で手に負えなくなったら、学校と言っても社会の一部なので警察に通報する。そのことを生徒、父兄に徹底すること。
*イジメがある情報を得たら学校の生徒全員を一堂に集め、「加害者、被害者の個人名を出さずに」上記の1.2を「一般論として」徹底的に教え込む。状況が厳しく皆が言う事を聴かなければ警察や外部機関に通報することになるかも知れないと告げる。
 過去のように被害者、加害者を集めて和解→イジメの陰湿化。多くの人に知れ渡った、ひねた加害者がどう考えるまで気が回らなかった例。
 新しい傾向の高校生たちのネット上のイジメに関しては、スマホ依存症の防止、進学の妨げになるからも、小、中学生は勿論、高校生まではスマホを持たせないこと。
 読売新聞など大手マスコミは私の提案のように具体的な、より良いいじめ防止策を提案すべきだと思います。
1.私の経験
 私が旧制の工業学校(実質的に男子校)に居たころ軟派、硬派と言った「悪」がいたがいじめは全くなかった。その理由は
・弱いものいじめは男の恥だと皆思っていた。
昭和初期の読書は少年クラブと、イジメはチンピラのするものと言う勧善懲悪の講談本が主流だった。
・私の学校があった現在の北九州市の西部は発展途上で人の出入りが多く開放的な地域だった。同地域では多くの余所から来た人を快く受け入れたことは芥川作家の村田喜代子さんも指摘している。
詰まり
・いじめは恥ずかしいと言う考え方が生徒に徹底している
・開放的な土地柄
では見られなかった。
 逆に当時でも、若い時閉鎖的な田舎にいた団地の二人のからいじめにあったと言う話を聴いた。
2.「九州男子」
北海道から北九州市の最西部の折尾に来た若い奥さんから「九州男子と良く聴くけど、どの家庭でも妻の方が威張っているのは何故?」と訊かれ、「九州の男は弱い人に手を出すのは恥ずかしいと思っている。だから口先で優る奥さんのほうが威張っているのだ」と私は答えた。
 高倉健扮する男が女性を追い回して困らせている男、武田鉄矢に言った。「九州の男の癖に弱い女をいじめるなんち、草野球のように「ミットもない」ちゅうことを知らんとか。」
 注記:折尾は石炭景気の中心だったこと。高倉健さんは炭鉱への人の出入りが多かった「川筋育ち」の出身。
3.藤原雅彦さんの意見
 今は古典となっている藤原雅彦さんの「国家の品格」の中からイジメに関連する部分を拾って見ました。
*会津藩の教え
・卑怯な振舞いをしてはなりませぬ、
・弱いものをいじめてはなりせぬ
*藤原さんのお父さん教え
・大きいものが小さいものを殴ってはいけない
・大勢で一人をやっつけてはいけない
・男が女を殴ってはいけない
そのようなことをするのは卑怯者だ。

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川柳くろがね吟社紹介「紅つけて女だったと思う今日」

2019-10-19 15:29:34 | 川柳
川柳くろがね10月号より
前月号鑑賞 小川 清隆 選評
「考えに考え抜いてこの程度」      土肥あづま
 下手な考え休むに似たり。囲碁、将棋での世界のこと。出来上がった句に推敲を重ねて、納得出来るような句は出来ぬものである。推鼓を重ねることが血になり、肉になるものと思う。「塗り足して塗り足してきてわやにする」。

「完壁な夫などいない今悟る」      角 ひさ子
 人は皆完壁を求めて坤吟している。他人に完壁を望む前に自分が完壁になるぺさ。しかし一分の隙のない人ほどつまらぬものはない。ほどほどが丁度良い。完璧でないから人間、と心得ている。

「紅つけて女だったと思う今日」     神谷 幸恵
 「化粧しなくなると女でなくなった」「灰になるまでは女の香を残す」。おしゃれすることは自分を取りもどすこと、自分を確保すること。「化粧したら犬が寄りつかなくなった」、時には厚化粧するのも気分転換になるのかも。

「振り向けばまだ手がゆれる郷の母」   矢野 隆
 親にとっては子が60歳、70歳でもかわいい子どもである。「70歳まだ母さんに甘えたい」 それが親と子の情愛。母は太陽であり、その愛は遠大なもの、大事にしたいもの。

音叉 (前月号より)
 吉冨 廣、松井 昌子、水谷 そう美、安川 聖 推薦
条件をけずれば通る針の穴    中村トシ子
雑踏に操まれて嘘が上手くなる  安川 聖
軸足を命の上に確と置く     松村 華菜 (二名推薦)
おだやかに心開いてボールペン  古野 つとむ
兄ちゃんは小さくなってパパの膝  吉丸 玲子
いい話拾うページを捲るたび    前田 伸江
激辛も甘さも欲しい思考力     吉富 虞
青春の袋小路で母の鈴       中山 和
玉ねぎの力を借りて泣いている   吉丸 玲子
大根といわれて八十の歩が弾む  松井 昌子
いつからかお世辞のすきな耳になる 神谷 幸恵 
丸い石誰もが腰をかけられる   吉富 唐
子守唄聴いてだんだん人になる  時津 みつこ
見たかったこのパラ選ぶとさの顔  坂梨 和汀
力-ナビの押し付けがいや地図を見る 古谷 龍太如
山坂というが過ぎれば一ページ   的場 しずえ
振り向けばまだ手がゆれる郷の母  矢野 隆
あの日から十月十日で母の顔    安部 ももこ
コンビニは出来たが医者が消えた村 田中 和正

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