普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

大丈夫?日本人の学力

2008-03-11 07:35:09 | 教育

 3月8日の夜、NHKで恒例の「日本の、これから」で「大丈夫ですか?日本人の学力」のタイトルで早稲田大学教授の榊原英資さん、東京大学大学院教授の佐藤 学さん、作家の「あさのあつこ」さん、有名な杉並区和田中学校校長の藤原和博さん、ローソン代表取締役の新浪剛史さんと、レギラーの三宅民夫さんと武内陶子さんの司会、それに市民40人と中学高校の生徒約7,8名を加えてのての討論会が行われた。
 その中で特に印象に残ったものを書いてみた。

[何故勉強をしなければならないか]
・経済協力開発機構(OECD)の世界各国の15歳の生徒を対象に行った学習到達度調査(PISA)で2006では年では2003年と比べ、読解力は14位→15位へ、数学的リテラシーは6位→10位へ、科学的リテラシーは1位→5位へと順位を下げた結果の説明、
・文科省の「義務教育に関する意識調査」(2005年)によると、家庭で平日「ほとんど勉強しない」小学生は17%、中学生は43%の説明、
の後討論が行われた。
 その中で、生徒達から何故勉強しなければならないか判らないと言うお決まりの意見に対して、榊原さんが国際的な競争が激化している中だ、日本が生き抜いて行くためには優秀な人材が絶対必要だと言っていた。
 教育は言うまでなく日本の抱える大きな問題点であり、そのために日本が「ゆとり教育」を見直しと言う舵を切り、NHKでもこの番組を作った理由だ。

 ここで疑問なのは学校でこのような分かりきった勉強の理由を何故教えないのかということだ。
 これを書いていうちに一昨年のエントリーの
「私が見てきた教育荒廃の歴史」
の[何故学校に行くのか]を思い出したので紹介する。
 
(ゆとり教育導入時)、中学校の生徒と先生、生徒と当時の元東大の総長だった文部大臣の対談のプログラムがありました。
 その中で、生徒が高校の受験勉強でに苦しめられていることに関連して、生徒が何故学校に行かねばならぬのかと言う質問が出ました。
 生徒の意見は、「国民が教育を受ける当然の権利だ、だから、くだらない受験などのために学校に行く権利を放棄しても良いのではないか」と言うのです。
 しかしこの意見に対して、先生達からも文部大臣からさえも明確な答えが出ませんでした
 普通の人が直ぐ考えつく答えは、生徒が学校に行くのは、国民が教育を受ける当然の権利を行使するだけでないこと。
 人的資源しかない日本が、弱肉強食の資本主義が主流の世界の中で、他国と同じような生活レベルを保つために、不可欠な人材の育成をするために、生徒たちは将来日本の社会全体のためになるよう勉強しなければならないことは誰も異論のないことではないでしょうか。
 こんな判りきった答えが先生方や文部大臣からさえも出なかったのは、当時(今でも?)上から下まで、終戦以来から醸しだされてきた、権利のことは言っても義務や責任のことを言いにくい所謂「空気」にどっぷり漬かり過ぎていたからでしょうか。
 つまり少なくとも「ゆとり教育」から今まで、学校では何故勉強しなくてはならないのかという生徒がいつも疑問に思っていることを今日まで教えて来なかったのです。

 例に上げたのもNHKの番組だったが、今回の番組でも榊原さんの発言の他、生徒の勉強の必要性とか、最初にNHKが提示した学力低下そのものがもたらす問題点については殆ど討議が無かった。
 
 生徒達は学校で権利、個性尊重、自由など民主主義のバラ色の理想を生徒に与え続けていたのではないか、権利に伴う責任、個性の尊重や自由も他人に迷惑を掛けないこと、社会やグループのルールの制限があることなどバランス良く押してか来たのだろうか。
 そして昔の軍国主義のトラウマから人のため世のため、日本と言う生活共同体のために働くとか、それに備えて勉強することなど、どれだけ力を入れて教育して来たのだろうか。 
 NHKがとり上げたテーマは教育格差、習熟度別教育、藤原さんの塾の講師を呼んだ補習授業など言わば学力向上の周辺のことばかりだった。
 何故、生徒の勉強へのモチベーションを如何に高めるか、公立の学校内での学力の向上策も論議しなかったのだろうか。

[携帯にはまる子]
 番組では子供が勉強しない理由の一つとして携帯の流行を取り上げ、その一例として携帯にはまった子の家庭の状況を写していた。
 それにはある程度のやむを得ない「やらせ」やカメラの前と言う家族の意識もあったと思うが、見ているうちに頭が痛くなってきた。
・食事中の子供のだらしない態度。(子供の躾けはどうなっているの?)
・食事中に携帯をいじる子に食事中だけは止めてという優しく言う母親。
・それを黙って見ている父親。(???)
・自分の部屋に戻っても携帯。
・学校の宿題は先生に「出さなくても良いと言われた」からせずに、塾の宿題だけする生徒。(学校の教師は宿題だけだして一応の責任を果たしていると思っているのか?)
・学校より先行している塾の教材。(これで学校の授業が面白くないのと当然だ。)
・結局、家に帰って塾の宿題の他勉強一つせずにメールを打った数に250~260回。
・共働きだから連絡上携帯を持たせるのは仕方がないという両親。
・父親の子供が携帯で時間を取られ過ぎの問題は、子供がその失敗に自分に気がつくまで、子の自主性に任せたいと言う発言。(自主性など言い方は格好が良いが実質は子供養育の責任放棄だ。)
 子供の失敗に気がつくと言えば、携帯上のいじめからの人間不信、不純交際は何とか避けても、このような勉強や努力をしない子の将来は、志望校への入学の失敗、低賃金のサービス産業のパート、契約社員になるかも知れない。
 そして今の時代が変わらない限り、一度敷かれたレールから抜け出すのは、余程のことが無ければ出来ない。
 その時になって子供がその失敗に気がついたときは遅いのだ。
 他の子供も持っているからと言って携帯を与えて、わざわざ子供にその勉強に集中できない環境を与えるのと、携帯を持たせないか、持たせても家で使わないルールを決めて、勉強や読書の習慣を付けさせるのと、どちらにより大きな愛情があるのか。
 私は周辺の母親達の話から、この様な子供に甘い家庭はごく限られており、大多数の家庭は堅実な子育てをしていると思う。
 然しこの放送を見て、自分達の携帯の使い過ぎに言い訳の種を見つけた生徒も多いと思う。
 何故、NHKはこのシーンを放送するだけで、これに対する討論を省いたのだろう。

 私事ですが、家内が体調を崩して、エントリーが遅れた上に中途半端で終わり、他のより重要なテーマまで触れる時間がありませんでした。余裕が出来次第エントリーして皆さんに聞いて頂きたいと思いますのでご了承下さい。

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