各種の報道やインターネット上で学校でいじめがあったとき、何故加害者やその家族が問題にならないの疑問が出されています。
それは多分加害者の生徒の将来に対する配慮(教育的配慮?)から一般社会で個人の特定を防ぐ為だと思います。
然しこの教育的配慮につけ込んでいる生徒も多いのではないでしょうか。
教育と言えば、どのようにいじめっ子への指導をしているのでしょうか。
質の悪い生徒は、教師の言う事をはいはいと聞いていれば、それで済むと思っているかも知れません。
福岡の自殺事件では、加害者の生徒がもう別の生徒のいじめを始めたという一部報道も頷けるような気がします。
私は前にもいじめ防止への提言を書きましたが、余りにもいじめの問題が続きますので思い出したことを報告します。
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/
私が高等小学校(今の中学校)の頃「講堂修身」と 言うのがありました。
学校内で何か問題があると、生徒全員を講堂に集め、約一時間、先生の何人かが交代で、生徒全員に「気合」を入れるのです。
勿論いじめ側、いじめられ側も特定せずに、全員集めるのです。
先生は教育に非常に熱心で生徒達にも人望がある人が何人か選ばれているようでした。
そのころいじめなど殆どありませんでしたが、いじめの場合はこんなことを言ったでしょう。
弱い者いじめしたり、多人数で一人にいじめをするのは卑怯者だ。
いじめを見て見ぬふりをするのも卑怯者だ。
自分に気に入らぬ人をいじめるもの、人の心の痛みの判らぬもののは、心の狭い人間だ。
冗談でからかっても、相手が嫌な顔をしたら直ぐ止めろ。
それが相手への思いやりだ。
もし、このような生徒がそのまま社会に出たら皆から爪弾きにされたり、落ちこぼれになるに決まっている。
学校はそんな生徒を一人でも出したくない。
だから学校からいじめを根絶したい。
もしいじめの兆候があったら、無記名で良いから学校の誰にでも良いから、教えろ。
これだけ言って、もし問題が出たら、学校が出来るだけ君たちを守るが、どうしても手におえぬのについては、警察に通報する。
何故ならいじめの中には、社会では恐喝、名誉棄損、セクシャル・ハラスメントなど犯罪になるものが多い 。
学校も治外法権でなく、日本の法律を守らねばならぬからだ。
そして、同じような問題がまた起きるたびに、全員がいじめが悪い事、いじめをする人が、人間として恥ずかしい事をそして、いじめ問題が起こる度にそして皆が判るまで、何度も何度も「講堂修身」を繰り返すのです。
このやり方の良い所は、
1.従来の奇麗事ばかりの教育からネガティブ面からの話、生徒達の生活に直結した話しになる。
2.個人を特定しないので、思い切った話しができること。
3.いじめっ子が普通の生徒の中で自分の悪い事を聞かされることは、内心で恥ずかしい思いをさせられる。
しかし、人物を特定されていないので、皆の面前で本人が辱めを受けることにはならない。
4.普通の生徒まで何度も講堂修身に呼ばれることは、いじめっ子への反感となり、学校へのいじめの通報が増すことを彼らが気がつくこと。
5.教師がいじめ防止に団結してることを示す。
何回か「講堂修身」を繰り返す内に、生徒達も次第にいじめの本質に気づき始め、いじめっ子への皆の見方も変わって来て次第にいじめが減ってくると思います。
いじめ防止の(私だけの)キヤンペーンにご協力お願いいたします
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