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mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

ルーマニアの町シナイア

2016年12月06日 | 旅行記
 10月23日の14時30分ごろ、ブカレストを離れて「カルパチアの真珠」といあれるシナイアに向かいました。
 シナイアは王侯貴族の別荘が立ち並ぶ町ですから、素晴らしいところなのでしょうネ。
 ブカレストからは120㎞ぐらいありますので鉄道でも2時間から3時間かかる距離です。

 ブカレストからシナイアまでの間に見えた景色をご覧ください。
 
 <IKEAの看板が!>


 <どこかの教会?>

 
 バスに乗って40分ぐらいのところにIKEAの看板が見える建物があり、そこから40分ぐらい走ってガソリンスタンドでトイレ休憩、その後、バスに乗ってすぐに、どこかの教会のような面白い建物がありました。

 <ルーマニアの秋景色>


 <シナイアのホテル付近>


 トイレ休憩したところから約1時間走ったところに紅葉した小高い山が、また、ホテル到着前に縦長の建物が見えました。

 <ホテル到着>


 <通路に秋らしい赤い草花>


 ところで、シナイアという町ですが、次のように事前勉強していました。
 この町は、ルーマニアの中央を走るカルパチア山脈(標高2000m級の山々が連なり、麓から山脈を覆う樹海は、四季折々の自然美を見せてくれる)の中のプテジュ山の中腹、標高800mの景勝地にあります。
 町の歴史は、17世紀にシナイア僧院が建立されたときにはじまり、18世紀にはブカレストの王侯貴族たちの別荘として繁栄しました。
 そのため、宮殿風の館がところどころに建ち並び、ルーマニアのほかの都市にはない町並みが見られます。
 ブカレストからも近いことから、夏が避暑地、冬はスキーリゾートとしてたくさんの観光客を引きつけています。

 また、主な見どころは、シナイア僧院やペレシュ城ですが、ここに行くには町のメインストリートになっているコルロ1世通りを起点にすればよいようです。
 幸い、私たちが宿泊したホテルのモンタナは、この通りに面していました。
 このホテルに到着した時刻が17時15分でしたから、主な見どころの観光は明日になりますが、ホテルの向かい側には郵便局と電話局などがありました。

 <ホテル前の光景>


 ホテルの部屋に落ち着いて窓から外を眺めますと、目の前のカルロス1世通りがあり、その美しさに導かれるように夕食前に散策しました。

 <散策すると別荘?が建ち並んでいました>


 <同じくカルロス1世通りにて>


 <この建物は?>


 これらの写真は、ホテル前のカルロス1世通りを右方向に散策して撮影したものですが、通りの両側には別荘風の建物が並んでいました。
 薄暗くなってきて町の様子が分かりにくくなってしまいました。

 散策をしてからホテルで夕食をいただきました。
 メインディッシュは、「チキンのサルティンボッカ」というジャガイモや鶏肉などの炒め物?」のようですが、小生は、サラダの方が美味でした。

 <サラダ>


 明日は、ペレシュ城とシナイア僧院、そして、ドラキュラのモデルとなったブラン城、黒の教会や聖二コラ教会などがあるブラショフ観光です。

 これらの模様につきましては、後日、お伝えします。
 それでは、またお会いしましょう!

 

ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅(旅行8日目、ルーマニアのブカレスト)

2016年12月04日 | 旅行記
 今日は、ブルガリアに「さようなら」を告げてドナウ川を渡ってルーマニアに入ります。
 本日の予定は、8時15分にホテルを出発して、バスでルーマニアに入国、その後、ブカレストで昼食、ブカレストを車窓から観光して、宿泊地のシナイアに向かいます。

 という書き出しで始まる旅行8日目ですが、ブルガリアのヴェルコ・タルノボのホテルから国境までは200㎞以上ありそうで、また、ブカレストからシナイアまでも目算で120㎞ぐらいありそうですから、この日は、「バスに揺られる日」だったのかもしれません。
 ヴェルコ・タルノボから国境近くのドナウ川までは、なだらかな丘陵地帯が続き特質するような「面白い光景」は見えませんでした。
 
 <ルーマニアに向かう途中で見えた景色>


 <トイレ休憩、ブルガリア>


 <だんだんと国境が近づく>


 <同じく国境手前20分ぐらいのところ>


 <同じく>


 こうして、国境でバスを乗り換える大きな駐車場に到着しました。
 この間の様子は、添乗員さんの日記のほうが臨場感がありますので、引用します。

 「8時15分にホテルを出発し、ブルガリア最後のドライブへ。10時30分国境の町ルセへ。ブルガリアとルーマニアの国境には500㎞にわたりドナウ川が流れています。ルセとギュウギュウの間にはドナウ川一長い2200mの「友好の橋」があり、ここを越えてルーマニア入国です。」

 国境の駐車場でユーロからルーマニアの通貨レイに両替をして、バスを乗りかえました。このバスで私たちを歓迎してくださったのは、ガイドのカティさんとドライバーのドリンさんでした。
 カティさんは、流暢な日本語を話す若い女性で、ドリンさんとともに帰国するまでルーマニアを案内をしてくださるそうです。

 ところで、、ルーマニア人は、中欧でラテン民族の血を引いている唯一の民族で、そのためか人々は陽気で明るく、困っている旅行者を見たらほうっておけないようなところがあるそうですから、人情味あふれる楽しい旅が出来そうです。
 また、ルーマニアの世界遺産は、
 1 ドナウデルタ(ヨーロッパ最大の湿原地帯で野生生物の宝庫)
 2 モルドヴァの修道院群
 3 ホレズ修道院
 4 トランシルバニアの要塞教会
 5 オラシュチエ山脈のユダヤ人要塞
 6 シギショアラの歴史地区
 7 マラムレッシュの木造教会
 の7つですが、私たちは、この旅でどこを見ることができるのでしょうか?

 さて、話を国境のところに戻していただいて、国境のギュウギュウ(本当にこういう地名?!)から首都のブカレストまでは150㎞ぐらいのようです。
 乗りかえたバスでの移動ですが、その間の景色も平坦な畑と丘陵地帯が続き「これっ!」といったものは見当たりませんでしたが、いくつかご覧ください。

 <ルーマニアの風景>


<同じく>


 ブカレストが近づいてきて、都会らしい建物が見え始めました。

 <ブカレスト>


 <同じく>


 <同じく>


 ブカレストに着きますと中華料理をいただく昼食です。色、味とも「いまいち!」という感じでしたが、取り皿で各人が好きなものをいただくものでしたので、和気あいあいの雰囲気が楽しいものでした。

 この後は、ブカレスト観光ですが、観光地としての評価は低いようです。
 20世紀初頭には「バルカンのパリ」といわれるほど美しい街並みを誇っていたブカレストですが、独裁を続けた共産党によって古い教会や歴史的な建造物は、ことごとく破壊されてしまったそうです。
 その代わりではないと思いますが、とてつもなく巨大な建物群が目にとまります。
 まるで、故チャウシェスク大統領の野望を有形化したような「共産党本部」や「国民の館」などですが、小生は「ここがチャウシェスク大統領で有名になったブカレストなのか!」という思いを強く感じたものでした。

 官庁街の場所にあったその遺産ともいうべき建物などをいくつかご覧いただきましょう!

 <クレツレスク教会>


 <大学図書館>


 <旧共産党本部>




 旧共産党本部は、赤の広場にあり、1989年12月22日にこの建物のテラスから故チャウシェスク大統領が大群衆に向かって最後の演説をしたところで、その際、ブーイングに遮られ、その直後、屋上からヘリコプターで逃亡した、という建物です。
 現在、労働省になっていて、建物の前にそびえる細長い塔が印象的ですが、その頂上付近に血のようなもので赤く染まっているところがありました。
 次の写真は、ここからは少し離れたところに建っている国民の館です。

 <国民の館>


 この建物は、故チャウシェスク大統領が日本円で約1,500億円を投じて作らせたという巨大な宮殿で、建設目的は、私欲を満たすためだったそうです。
 中は、贅の限りを尽くしていたといいますが、車窓観光ですから見ることはできませんでした。
 国民の館は、写真では小さく見えますが、ペンタゴンに次ぐ世界第2の大きさの建物だけあって、本当に巨大でした。現在は各政党のオフィスが入っているほか、国際会議やコンサートにも使われているそうです。

 こうして、ブカレスト観光を終了しましたので、「カルパチアの真珠」といわれるシナイアに向かいました。

 ということで、今日はここまでにして、シナイアについては次回の楽しみにしたいと思います。
 では、これにて失礼します。


 
 

 



 
 

ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅(旅行7日目、アルバナシ村からタルノボに戻る)

2016年12月03日 | 旅行記
 先日は、アルバナシ村の「聖誕教会」の内部が素晴らしい、ということまでをレポートしましたが、今日は、その後にあった驚きから申し上げます。

 <聖誕教会の聖歌隊の皆さん>


 その驚きとは、教会の中で行われたコーラスの演奏でした。
 楽器の演奏がないコーラスですが、あまりの美声に「涙が止まらなかった」とか「鳥肌が立った」という声があがったほどでした。
 コーラスが終わりますと、皆さん、その余韻に浸っていて寡黙になっていました。
 この素晴らしい歌声を披露したのは、修道士ではなく、聖歌隊だということが分かりましたが、私たちがここを去るときには、整列して見送ってくれました。

 こうして、聖誕教会を後にしたのですが、その印象があまりに強かったものですから、次の訪問先の「コンスタンツァリエフ・ハウス」のことを忘れそうです。
 コンスタンツァリエフ・ハウスは、聖誕教会から歩いて5~6分の距離にあり、オスマン朝ヴェリコ・タルノボ総督の親戚で、アルバナシで最も美しいといわれる女性の旧家だそうでです。

 <コンスタンツァリエフ・ハウス>


 <コンスタンツァリエフ・ハウスの中>


 <同じく>


 この家の2階のリビングルームには、トルコとブルガリアの生活や伝統文化を感じさせるソファや織物がありました。
 この家には、時間にして約20分ぐらいの滞在でしたが、豪邸の一端を垣間見ることができました。
 村の見どころとしては、この二つ以外に聖二コラ修道院などがありますが、これ以外を見学する時間がありませんでした。
 しかし、短時間ですが、村の散策をしながら穏やかで美しい光景を見ることができました。

 <アルバナシ村の風景>


 <犬が案内役?>


 この後はヴェリコ・タルノボ市内に戻って「サモヴォドスカタ・チャルシャ」という職人通りの自由行動がまっていました。
 サモヴォドスカタ・チャルシャのチャシャルは、「市場」という意味だそうで、この通りには、金属加工、陶器、織物、革製品、木彫り、絵画などの小さな店が軒を連ねていました。

 <職人通り>


 <職人通りの雑貨店>


 <陶器の店>


 アルバナシ村から帰ってきてヴェリコ・タルノボのどこでバスを降りたのか分かりませんでしたので、自由行動になってホテルに帰ることができるのか不安でしたが、心配は無用でした。
 歩き始めた職人街を進んでいきますと、ホテルのそばに着く、ということでした。

 ところで、通りの店の中で、特に人気があったのがバラの香りがする石鹸、化粧品などを扱っている店で、「あっ」という間にクリームが店の棚から消えてしまいました。
 もちろん、私たちのメンバーが買い占めたのですが…どこかの国の爆買みたいですね。

 <バラ製品の店のポスター>


 ヴェリコ・タルノボの春のバラ祭りを連想させるポスターです。もちろん、店の方に了解していただいて撮影しました。

 <同じ店の商品の棚>


 私たちも、皆さんがいなくなってから、この店でバラの香りがする品物を買いたいと思い、店に行ったのですが、クリームを希望していた数だけ買うことができませんでした。
 そのかわり、代替品を買うことができましたので、一安心です。
 次に、通りを戻って気になっていた絵画の店に向かいました。

 <購入した絵画にサインを>


 旅行の記念にいつも絵画を購入していますが、ここでも無事、サイン入りで購入することができました。

 この後は、ホテルではなく、市内のレストランで楽しい夕食です。
 メニューは、前菜が「鶏肉とセロリのチーズ包み」、メインの「牛肉の春巻き風雨包み」などですが、赤ワインをいただきながら美味しくいただくことができました。
 明日は、ドナウ川を渡ってルーマニアに入国です。

 以上で、本日のレポートを終了します。またお会いしましょう!




 


 

ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅(旅行7日目、アルバナシ村)

2016年12月01日 | 旅行記
 今日は、本来ですと、旅行7日目の午前中に観光した街ヴェリコ・タルノボを記事にするところですが、11月5日に記事にしていますので、午後から訪問したアルバナシ村についてお伝えします。

 ヴェリコ・タルノボには、私たちが見学したところ以外に多くの見どころがあったのですが、タルノボ近郊にも歴史を刻んできた魅力的な村がいくつもあり、そちらに時間を割きたいということのようでした。しかし、村から帰ってから職人街を散策する予定になっていましたので、一安心です。
 さて、近郊の村の話ですが、タルノボから北へ4㎞のところにある「アルバナシ村」という村には、古くからの屋敷が80余りあり、そのうちの36の家が国の文化財に指定されているそうです。
 
 私たちは、バスに乗ってアルバナシ村に向かったのですが、まず、昼食を村のレストランででいただくことになっていました。しかし、その前にトイレ休憩をとっていただきました。
 場所は、ガソリンスタンドでしたが、ブルガリアの可愛い人形を売っていましたので、紹介します。

 <ガソリンスタンドへ販売していた人形>


 その後、11時50分ごろレストランに到着して、チキンのスープやポークと野菜のシチューなどをいただきました。

 <レストラン>


 料理は、スープが大変美味だったのですが、それよりもレストランに到着する前に見えた歓迎アーチのようなものと、レストランから見えた青いプールのような光景が印象的でした。

 <アルバナシ村の歓迎アーチ?>


 <レストランの屋上から>

 
 ここで、アルバナシ村の勉強します。この村に豪邸が多い理由は次のようなことだそうです。
 1938年にオスマン朝のスルタン、レイマン2世が義理の息子にアルバナシを贈り、その所有権が代々の後継者たちに受け継がれていった。
 そして、税制上の特権を授けられ、村人は有利な条件で商売ができた。職人や商人たちが美しい家を建てられたのも、蓄財ができたからだ、というのですから驚きです。

 さて、アルバナシ村の見どころですが、「聖誕教会」「コンスタンツァリエフ・ハウス」「ハジリエフ・ハウス」「聖二コラ修道院」などと案内されています。
 私たちが訪問したのは、このうちの、「聖誕教会」と「コンスタンツァリエフ・ハウス」でした。
 まず、「聖誕教会」に向かいましたが、静かな村を歩きながら村の何とも言えない雰囲気を楽しんだのですが、しばらくしますと、塀に囲まれた敷地に平屋の建物がある場所に案内されました。

 <聖誕教会に向かって歩く>


 <教会付近の様子>


 この建物がある入口を見ながら、小生は、「ここはどういうところなのだろうか?」と思ったのですが、敷地の通路を進んでいきますと、修道女のような姿をした女性が見えて、裏側のようなところから建物の中に入りました。

 <教会の入口方向>


 <教会の建物>


 <同じく建物>


 <裏側から教会に入る修道女>


 教会の建物の外は、ご覧のような緑あふれる環境で下から「清々しさ」を味わったのですが、建物の中では、もっと貴重な出来事が待っていました。
 この建物を見た感じは「小さいな!」ですが、中に描かれているイコン画で「東方正教」の素晴らしさを身をもって体験することになりました。
 この教会は、「アルバナシ村で最も古い教会で、半ドーム式の内部は絢爛たるイコン、壁画で埋め尽くされている。16~17世紀にかけての宗教画、「運命の車輪」「イエスの木」など非常に美しい。」と説明されていますが、まさに、その感じで壁も柱もドーム状になっている天井もイコンとフレスコ画で埋め尽くされているて、その数と美しさに圧倒されて言葉が出ませんでした。
 男性と女性ではお祈りする部屋(礼拝堂)が別で、奥の男性部屋にはキリストの生涯が、女性に部屋にはマリアの生涯が描かれているそうですが、ただただ「唖然!」として見惚れていました。
 また、「人生の車輪」は、女性用礼拝堂の側室の壁にありますが、太陽を中心とした宇宙の4要素、12の星座、12の月が描かれていて、それを天使が回しているそうです。そして、その車輪の外側に人間の一生が描かれていて、神を信じないものは地獄に落ちていく様が描かれています。
 こんな素晴らしい建物の中ですが、撮影禁止!でした。

 ところで、驚きはこれだけではなかったのです。
 「涙が止まらなかった」とか「鳥肌が立った」という言葉が飛び交った出来事がこの後にあったのです。
 その内容については、次回にレポートしたいと思います。