mugifumi日誌

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福沢諭吉:現代語訳「学問のすすめ」2

2010年11月28日 | 本と雑誌

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 福沢諭吉の「学問のすすめ」については、その現代語訳(筑摩書房)があることをお伝えし、初編の「学問には目的がある」のうち「1人権の平等と学問の意義」について9月23日のブログで紹介しました。

 あの有名な言葉「天は人の上に人を造らず、人にしたに人を造らず」を説明したところです。

 この続きの内容としては、「役に立つ学問とは何か」を説明して次のように述べています。

 「ここでいう学問というのは、ただ難しい漢字を知って、わかりにくい昔の文章を読み、また和歌を楽しみ、詩を作るといったような世の中での実用性のない学問を言っているのではない。たしかにこうしたものも人の心を楽しくさせ、便利なものではあるが、むかしから漢学者や国学者などの言うことは、それほどありがたがるほどのことではない。」

 といってます。ということは、日本の伝統文学を否定しているようですが、当時の日本には「普通の生活に役立つ実学」が大事だとは言いたかったのでしょう。

 実学というのは、「いろは四十七文字を習って、手紙の言葉や帳簿の付け方、そろばんの稽古や天秤の取り扱い方などをはじめとして、学ぶべきことは非常に多い。」といってますから私たちの世代では「読み書きそろばん」という言葉が頭によぎります。

 現代は「読み書きそろばん」の便利な道具として電卓や携帯、パソコンなどが登場し、また、文章の手書きも少なくなっていますが、国語や算数の基礎がなければ、こうした文明の利器も役に立たないのではないかと思います。

 その意味では福沢が言っていることは現代社会にも十分通じる真理ではないかと思います。

 もちろん、実学は「読み書きそろばん」ばかりではなく、「地理学とは、日本国中だけではなく、世界中の国々の風土の案内をしてくれるものだ。物理学というのは、この宇宙の全てのものの性質を見て、その働きを知る学問である。歴史学とは、年代記を詳しくしたもので世界の歴史のようすを研究するものだ。経済学というのは、個人や一つの家庭の家計から世の中全体の会計までを説明するものである。修身学とは、行動の仕方を学び、人との交わり方や世間での振るまうべき自然の「道理(倫理)」を述べたものである。」と説明しています。

 そして、大事なポイントは「こういった学問は、人間にとって当たり前の実学であり、身分の上下なく、みなが身につけるべきものである。」としている点です。

 なぜならば、「この心得があった上で、士農工商それぞれの自分の責務をつくしていくというのが大事だ。そのようにしてこそ、それぞれの家業を営んで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができるでだろう。」と考えているのです。

 わかりやすく言えば、国民全員が人間にとって当たり前の実学を勉強(学問のすすめ)しなさい、そうすれば、家も国家も独立することができる、といってるだと思います。

 福沢諭吉が生きていた時代とは、日本の社会も世界の情勢も大きく変わりましたが、今の日本は彼が考えていた「実学が溢れる国」になっているのでしょうか。

 巻頭写真?トルコのペルガモン遺跡です。 


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