mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルク一周とカッパドキアの旅<アンカラ市内観光(昼食とアナトリア考古学博物館)>

2019年01月18日 | 旅行記
 昨日に続き旅行2日目の昼食とアナトリア考古学学博物館の模様をお伝えします。

 ◆ アンカラ市内観光(昼食、アナトリア考古学博物館)

 <レストランの屋根から中を覗く猫>


 <スープ>


 <サラダ>


 <パン>


 <カルキヤルク>


 <デザート>


<Mugiko>
 私たちが料理をいただいている部屋の横に猫がいたので「ビックリ!」したわ。
<Mugio>
 メイデッシュノカルクヤルクは、ナスの挽肉詰め焼きらしいけれど、色とりどりの料理が出てきて楽しませてもらったという印象だね。
 肝心な味の評価だけれど、スープ(麦)はイマイチ、サラダは色、量とも合格点だけれど、味は我が家の水菜の方がはるかに美味、ナスの料理は柔らかいけれど味はイマイチ、デザートは合格点といったところかな?
<Mugiko>
 あら!世界三大料理に対してずいぶん厳しい評価ね。
<Mugio>
 ところで、君は私たちの前の席に座ったAさんと韓流のことで話が盛り上がっていたね。
 何しろ、Aさんは、レストランを出るときに韓国人の団体客に話しかけていたからね。
 さぁ!次はアナトリア考古学博物館の見学だよ。
 レストランからは歩いてすぐの距離だけれど、その時に見えた建物なども面白いと思い、「パチパチ」と撮影したので、お口直しにご覧いただきましょうか?

 <レストラン付近>


 <小路を歩いて行くと?>


<Mugiko>
 昼食会場のレストランセンゲル・パシャ・コナウも雰囲気があって良かったけれど、近くには馬の蹄鉄を店の門に飾っていたBoyacizadekonagiというレストラン(「レストラン付近」の写真)があり、また、下の写真の小路(Berrak Sk.)に沿って白い壁の家々があるなど、博物館に着くまでにこの付近の雰囲気を十分に楽しめたわ。
<Mugio>
 小路の突き当たりの道路を左に歩いて行くと、次の訪問地アナトリア考古学博物館があった。
 博物館の入口付近には、首のない像がいくつか置いてある庭にような空間があったので、「びっくり!」したよ。

 <アナトリア考古学博物館前の通り>


 <博物館の前庭>


<Mugiko>
 アナトリア考古学博物館は、もとは15世紀建造の屋根付きバザールだった建物のようね。
 世界に誇る貴重な発掘品を収蔵していて、特に、ヒットタイトの遺物に貴重なものが多いことから「ヒットタイト博物館」ともいわれていると聞いたわ。
<Mugio>
 でも、「ヒットタイト」などといわれても、古いことは分かるけれど、「何なのか?」さっぱり分からないな。
<Mugiko>
 ヒットタイトというのは、ウィキペディアによれば、「インド・ヨーロッパ語族のヒットタイト語を話し、紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いた民族、または、この民族が建国したヒットタイト帝国(王国)を指す。」と説明しているわ。
 そして、「高度な製鉄技術によりメソポタミアを征服した。最初の鉄器文化を築いたとされている。首都ハットゥシャ(現在のトルコのポアズキヨイ遺跡)の発掘が進められている。」そうよ。
<Mugio>
 紀元前15世紀か!古い時代に話で驚いてしまうね。
 この博物館には、そのヒットタイトの遺物を「古王国」「中王国」「新王国」という時代別に、また、出土別に展示しているという話だね。
<Mugiko>
 余計な話だけれど、紀元前15世紀といったら約3,400年前のことだけれども、日本の縄文時代は1万5,000年前(紀元前131世紀)頃から約2,300年前(紀元前4世紀)までというから、日本の縄文時代の方がはるかに古いそうね。

 <博物館の正面>


 <入口の大きな石像>


 <模型による展示品?>


 <博物館の中央付近>


<Mugio>
 そうなのか!よく調べたね。
 さて、博物館の見学が終わると、今夜の宿泊地カッパドキアに向かいますが、途中、塩の湖トゥズ湖まではアンカラから約1時間の距離でしたが、出発してすぐにアンカラ駅と思しきところを通ったりしたので、飽きることはなかったのです。
<Mugiko>
 どうしたの?言葉がバカに丁寧になってきたわね。
 飽きたようだから、私からトルコ共和国の父と呼ばれるアタテュルクについて話しておきたいわ。


 <以上で本日の記事は終了です。次回は、アンカラからカッパドキアのホテルまでの模様をお伝えします。>