フィレンツェの象徴であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の前に立つ洗礼堂は、フィレンツェの守護聖人、聖ジョヴァンニに捧げられたもので、白と緑の大理石で飾られた八角形の建物です。
この洗礼堂の入口は、東、南、北の三方があり、その門扉には、いずれもブロンズの浮き彫りが施されており、このうち、北と東の二つがルネサンス時代である15世紀に付け加えられたものです。
北の門扉の「イサクの犠牲」は、アブラハムが神の命により息子を生け贄にしようとする瞬間、天使に救われるという旧約聖書の物語でありますが、その作者は、有能な新人芸術家「ロレンツォ・ギベルティ」であります。
ギベルティは、その後、ミケランジェロが「天国の門」と呼んだ東の門扉も完成させています。
ちなみに、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、1296年の着工から600年の歳月をかけて完成したとされていますが、この洗礼堂は、11世紀に建てられ、さらに、13世紀に改築されたとされています。
また、ルネサンスはフランス語で「再生」を意味し、14世紀に始まり、15~16世紀にイタリアから西ヨーロッパへ広まった「古典の再生」文化革新運動を指すそうです。
古典の再生の「古典」とは、どうやら古代ローマ時代のことのようです。
時代背景としては、人々の豊かな暮らしと市民自治の尊重があり、古代ローマ時代の人間をありのままに描き出す芸術など自由で明朗な文化を求める機運があったのでしょう。
などと、分かったようなことをいっていますが、以上述べたことは、本の受け売りであります。
ルネサンス時代の特徴は、古代ローマ時代への憧れと、競争による芸術家、そして、この時代に権力と富を握ったメディチ家の登場であります。
メディチ家は、1,397年に銀行を設立するなどして富を握り、以来、フィレンツェの実質的な支配者として君臨したようであります。
などと言ってますが、これも「受け売り」?、もちろん「イエス」であります。しかし、メディチ家がルネサンスを庇護したからこそ、このような芸術と文化の花が咲いたのではないでしょうか?
まぁ、メディチ=リカルデ宮、ビッティ宮、サン・ロレンツォ聖堂、ウフィツィ美術館などフィレンツェを代表するような建物を次々と建設したのですが、それが純粋に芸術の改革のためだったかは、後世の人々がどう評価することになる・・・・・
今日は、まじめに本を読んで、このブログを書いていましたので、疲れました。
本を読みながら、そして、小生の勝手な解釈もありますが、皆さんに分かりやすく、という気持ちで書いています。
では、今日は、この辺で失礼いたします。
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