我が思い出の名馬カツラノハイセイコが死亡しました(記事)。
私の記憶にある最古の馬でした。ハイセイコーの初年度産駒で、父の勝てなかったダービーをハナ差で制しました。私にとってこのレースが全ての始まりでした。
西浦騎乗の後の宝塚記念馬テルテンリュウが直線で内にささり、カツラノハイセイコを内に押す形になり、更に内にいたリンドプルバンがラチ沿いに閉じ込められる不利を受けました。一方のカツラノハイセイコは外からささってくるテルテンリュウと内のリンドプルバンの隙間を力強く抜け出し、体勢を立て直して追い込んできたリンドプルバンの猛追をハナ差しのぎきったところがゴールでした。とまあ、今ではこうやってVTRを見て解説できるのですが、当時は幼稚園児であり、なんか知らんけど凄かった、という感じの感想でした。
記事中、河内現調教師が激しい気性だったことを語っていますが、その気性は叩き合いでは勝負根性として発揮されました。
シンザンの記録を目指して長生きしてほしかったのですが残念です。
1965年の有馬記念のシンザンの鞍上は故・松本善登騎手。カツラノハイセイコのダービー時の騎手でした。
私の記憶にある最古の馬でした。ハイセイコーの初年度産駒で、父の勝てなかったダービーをハナ差で制しました。私にとってこのレースが全ての始まりでした。
西浦騎乗の後の宝塚記念馬テルテンリュウが直線で内にささり、カツラノハイセイコを内に押す形になり、更に内にいたリンドプルバンがラチ沿いに閉じ込められる不利を受けました。一方のカツラノハイセイコは外からささってくるテルテンリュウと内のリンドプルバンの隙間を力強く抜け出し、体勢を立て直して追い込んできたリンドプルバンの猛追をハナ差しのぎきったところがゴールでした。とまあ、今ではこうやってVTRを見て解説できるのですが、当時は幼稚園児であり、なんか知らんけど凄かった、という感じの感想でした。
記事中、河内現調教師が激しい気性だったことを語っていますが、その気性は叩き合いでは勝負根性として発揮されました。
シンザンの記録を目指して長生きしてほしかったのですが残念です。
1965年の有馬記念のシンザンの鞍上は故・松本善登騎手。カツラノハイセイコのダービー時の騎手でした。