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(2012.07.28訪問)
京都五山之一天龍寺は天下の名勝嵐山 (らんざんと読んでくださいね) 絶好の地に在ります。真夏の炎天とは
今日みたいな日を云うのでしょうが、熱中症覚悟の方々のなんと多いことか。名勝のインパクトは暑さ寒さ
は関係ないみたいです。
で、イザ嵐山 (ここはあらしやまと読んでくださいね) へ。
悪名高き足利尊氏開基の天龍寺は、後醍醐天皇鎮魂の寺のはず、されど今は一堂宇に祀られる後醍醐さんの
みで鎮魂の厳粛さはどこにもないようで、曹源池庭園を中心のまさに一級の観光寺院。そんな気がしました。
ところで、京都五山の順位は誰がどう決めたんでしょう? またタヌキがらみでしょうか。
[ 天龍寺 ]
●山号 霊亀山(れいきさん)
●寺号 天龍資聖禅寺(てんりゅうししょうぜんじ) 通称 天龍寺
●宗派 臨済宗天龍寺派大本山
●開基 足利尊氏
●開創 暦応二年(1339年)
●開山 夢窓疎石(むそうそせき)
●本尊 釈迦如来坐像(重文)
●平成六年(1994年)世界文化遺産に登録
天龍寺縁起 (天龍寺 HPから抄出)
この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺、檀林寺の跡地で、檀林寺が
廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開
基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応二年
(1339年)に創建された。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、弟直
義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てる
ことを計画した。これが「天龍寺船」の始まり。造営費の捻出に成功した天龍寺は康永四年(1344年)に落慶
した。南禅寺を五山の上として天龍寺を五山の第一位に、この位置づけは以後長く続いた。
▼天龍寺石標。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/0a/61366ef99bae4ff220abf994b8eeb5cb.jpg)
▼総門。舞子さん本物かなァ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ff/e993c2aa3d19febca27622b25828484d.jpg)
▼広々とした参道が真っ直ぐ続きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/32/502e2fb02ce9071f4ae88c1587e45fe4.jpg)
▼法堂。加山又造画伯による雲龍図が公開されています。
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▼独特の庫裡デザインが見えてきました。相当暑いんですが、皆さん達者です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/3a/9dc7f955842fbe986619352d39d083e9.jpg)
▼さて庫裡です。ここから世界遺産の真髄を巡りましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/17/e0b693aa305f6eb643f90720af5cd985.jpg)
▼入堂するといきなり大達磨さん。前管長、平田精耕老師の筆によるもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/dc/79a97f5543b6bf33ee452359177b9495.jpg)
▼方丈。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/18/0633a525504522c7b1d600d820e6ad5e.jpg)
▼方丈広縁の人々。けっして雨宿りではありませんよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/76/b9f890efda9c71a1a7e4148289796a36.jpg)
▼方丈扁額。関牧翁老師(天龍寺第8代管長)揮毫。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c8/405d2f089bdfabe456529efc730e263c.jpg)
▼方丈仏殿。本尊 釈迦如来坐像(重文)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/d9/1d97abf512a50d8da8fdb47a964c2010.jpg)
▼方丈の正面。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/0c/86df3a0514e55d22eba2b8e15a61ae40.jpg)
▼方丈勅使門。後ろに見える屋根は法堂の屋根です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/6e/f40f4b49915c5847a3a73770badc0bd3.jpg)
▼方丈前庭に咲き出している芙蓉。緑まっただ中の赤、目立ちます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/10/88b66686f3d0caab6124be25b6a09d90.jpg)
▼曹源池庭園。池泉回遊式庭園です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/78/609ebe9d19c6f25bdc67f983d3caa80e.jpg)
▼曹源池庭園。
曹源池中央正面 (写真右側です) には2枚の巨岩を立て龍門の滝とする。龍門の滝とは中国の登龍門の故事に
なぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れ
の横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしている。 (天龍寺HP曹源池庭園から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/d8/ce8d068bbde0590b19842759549ab0d5.jpg)
▼大堰川から引き込まれた小さな流れが、曹源池に入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/51/0b1ef7363d85d8643ab8dfdfae0fae9a.jpg)
▼小方丈から多宝殿への渡り廊下。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/de/3f2ca54b8cce3da7c8ae42ffa50fda0c.jpg)
▼多宝殿。後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/71/2547b26db36cc8530745cf189e859636.jpg)
▼多宝殿。中央に後醍醐天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/3e/80e6d092f11da64912e54bae46d42ea6.jpg)
▼後醍醐天皇。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/42/827f16fc727b6be4f2cffd585692abb0.jpg)
▼硯石。
多宝殿から北門への苑路、百花苑の一角にデッカイ硯の碑。法堂の先代雲龍図を描画の時、雲水六十余名が
かりでこの硯に墨を摺ったそうです。この硯に触ると書上達間違いなしだそう。触りまくりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/f4/e7b49f2480b05cf85b044c42b6ccd6cc.jpg)
▼やはり百花苑の一角に石像の観音像が。お顔、容姿はギリシャ彫刻を思わせます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/7b/47de394bbffbee153d5251889992b4f1.jpg)
▼放生池の蓮。唯一目についた蓮花も、今にも花弁が落ちそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/55/afd69fd02d1b5c001df83b8a04b197d1.jpg)
残念ながら天龍寺は、創建以来、数回に渡る兵火で、創建伽藍はすべて灰燼、多くは明治以降の再建といい
ます。堂宇や仏像に見るべきものは少ないですが、曹源池庭園を中心に配置される伽藍群と庭園は臨済寺院
の一つの様式美として評価され、お寺の歴史や伽藍の古い新しい、仏像の価値が有る無いに関わらず、これ
が臨済禅の神髄なのか、と錯覚してしまいそうな世界遺産の一日でした。
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